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小説特殊慰安施設協会#17/横浜税関ビルGHQ本部

夕方。宮沢理事長と林穣の二人が意気揚々と事務所に戻ってきた。
「仕事を中断して、全員二階に集まってくれ。」宮沢が立ったまま言った。林穣は疲れたようで杖を置くとそのまま自分の席に座った。
 一階から上がってくる社員の中に慰安部の責任者である高松八百吉の姿もあった。
 宮沢が全員を見回すと、おもむろに話し始めた。
「本日、連合軍司令部で弊社事業について説明をしてきた。連合軍は弊社の事業について深い理解を示してくれると共に、弊社事業の重要性について強い共感を示してくれた。」全員が息をのんだ。宮沢は胸を張りながら話を続けた。
「それで弊社の重要性を鑑みて、連合軍側からも弊社事業の担当窓口を出してくれることになった。これは弊社事業が連合軍によって正式に認められたということに相違ない。早日、連合軍担当者が弊社を訪ねてくる。そのときに具体的な連携の形が決まるだろう。弊社としても直接担当者を決めなければならないが、統括責任者は林部長が担当するので心してくれたまえ。」
「しばらくは私も参加しますが」林穣は机につかまりながら立ち上がった。「担当責任者は総務の尾崎君にやってもらいます。補佐はキャバレー部から萬田君を出します。英文の提出書類制作などは萬田君が担当してください。私がいないときは萬田君が通訳も担当してください。兼務は煩雑で大変でしょうが、連合軍との連携を図るための重要な窓口になりますから、漏れがないように細心の注意をもって対応してください。お願いします。」
「それと」あとを宮沢部長が続けた。「当面の問題である慰安部施設における一部米兵の狼藉についてだが、連合軍の軍警察が即応してくれることになった。一部施設については、常駐者を出してくれるとのことだ。ありがたいことだ。高松部長。」
「はい。」高松が立ち上がった。
「これが連合軍警察・・MPというそうだ。彼らが明日の朝から常駐してくれる弊社慰安施設の一覧だ。」宮沢部長がカバンの中から書類を出した。「すぐ指定してくれという担当者からの話だったので、私がその場で決めた。神奈川の幾つかと大森海岸、それと福生のものにした。これら現場の受け入れ態勢を本日中に整備してくれ。」
「判りました。」そういうと、高松は宮沢の書類を受け取り、そのまま退席した。
「最後に。弊社・社名だが、変更することにした。連合軍が馴染みやすいように英文にする。新社名はR.A.A.協会。意味は」宮沢は林穣を見た。
「Recreation and Amusement Associationです。連合軍将士のために、リクリエーションと娯楽施設を提供する企業であるという意味です。」
R.A.A.・・・全員がその言葉を反芻した。
「今後は、対外的にも社内でも。すべてR.A.A.協会を弊社・社名として使うように。判ったね。以上だ。解散する。」宮沢が言った。
「尾崎君と萬田君は、このまま残ってください。打ち合わせをします。」林穣が言った。

9月4日火曜日、毎日新聞と東京日日新聞に以下の広告が出た。

《急告 特別女子従業員募集、衣食住及高給支給、前借ニモ応ズ、地方ヨリノ応募者ニハ旅費を支給ス
東京都京橋区銀座七ノ一 特殊慰安施設協会》

毎日新聞掲載分は、最初の案では「特殊慰安施設協会慰安部」だったが、慰安部担当者が、きっと理事長が納得しないだろうと言って、協会名だけになっていた。東京日日新聞掲載分は。

《キャバレー・カフェー・バー ダンサーヲ求ム 
経験の有無ヲ問ハズ
国家的事業ニ挺身セントスル大和撫子ノ奮起ヲ確ム最高収入
東京都京橋区銀座七ノ一 特殊慰安施設協会キャバレー部》

と、キャバレー部の名前を入れた。
この二つの新聞広告は絶大の効果が有った。

9月4日火曜日の朝、千鶴子が出社したときには、もう数十人の列が出来ていた。ほとんどが女性だった。今の今まで、焼けトタンの下で暮らしていたというような風体の、汚いモンペ姿の人ばかりだった。中には裸足の人もいる。どうやって新聞広告のことを知ったんだろうと思うような人ばかりが並んでいた。その列を整理するために、事務所の人間が一人出ていた。列は事務所の前から日本ビールの建物を囲むように作らされていた。
「おはようございます。」千鶴子が整理に立っていた男に挨拶をした。 「お。早いね、萬田。」男が言った瞬間、列に並んでいた女たちが全員で千鶴子を見た。千鶴子は一瞬全身を針で刺されたような錯覚を起こした。
「はい。キャバレー部の方の面接のお手伝いをすることになってるので。少し早く出ることにしたんです。」
「そうか。まあこんな感じだよ。」男は笑いながら、女たちの列を指さした。列に並ぶ女たちは聞き耳を立てて千鶴子と男の話を聞いていた。千鶴子が「面接の手伝い」といったとき、女たちの視線に敵意が走ったような気がした。
「よろしくお願いします。」千鶴子は男に頭を下げて、急いで事務所に入った。その一挙一動を列に並んだ女たちが見つめていた。

 二階に上がる階段を昇りながら、千鶴子は思った。もし8月29日の広告に気が付かなかったら、私もあの列に並んでいたかもしれない。千鶴子は思わずブルっと震えてしまった。
  林穣は出社していなかった。千鶴子の机の上にメモと書類が有った。
《本日午後、私は連合軍司令本部を再訪します。その折に、明日にでも連合軍側担当将士が弊社へ来訪してくれるよう要請します。これは、明日担当将士に渡す書類です。途中まで私が書きましたが、残り分を本日中に英文にしておいてください。それと明日の担当将士との打ち合わせには貴女も参加してください。私の帰社は本日夜半になります。貴女は定時帰宅してください》とあった。
 千鶴子は書類を手にした。書類は既存設備の一覧と年内中の出店計画書だった。
《銀座・丸の内地区。キャバレー複数軒、バー・ビリヤード場・ビヤホール・レストラン・ローラースケート場各々1軒。
大森・大井地区。慰安所複数軒。
三多摩地区。慰安所複数軒・キャバレー2軒程度
品川・芝浦地区・キャバレー2軒程度。
向島地区・将官用レストラン。
板橋・赤羽地区。慰安所1軒・キャバレー1軒。
三軒茶屋地区。士官倶楽部1軒。》

既存施設は大森・大井地区と三多摩地区に急造された慰安所だけだ。林部長は、残りすべてをこの4か月で出店するつもりらしい。
 その計画書の横に赤ペンでメモ書きが二か所有った。

《銀座地区・必要なダンサー数1,000名程度。品川・必要なダンサー数400名程度。赤羽・小僧閣100名程度。三多摩・ニューキャッスル100名程度。他地区に分散して200名程度。総数で凡そ1800名程度が必要。ダンサー用寮設備とダンス教習所・美容院は必須。早急に要解決》
《慰安婦の必要員数については慰安部に一任。確保も慰安部が行う。設備規模から鑑みて、おそらく凡そ700名程度か》

 1800名のダンサーを雇用?千鶴子は茫然とした。この短期間で。千鶴子は事務所の前に並ぶ汚れはてたモンペ姿の女性たちの群れを思い浮かべた。そして思わず「できるの?」と独り言を言ってしまった。

 募集受付を始めると、受付は混乱を極めた。
 仕事の内容を聞くと冷笑して、そのまま立ち去る者。「私に娼妓をしろというの?!」と怒り出す者。泣き始める者が続いた。そんな受付の様子を後ろから見ていて、列に並ぶ女性たちは騒然とした。すぐに「要するに米兵相手の売春婦の募集らしいわよ」と話す声が全員に伝わった。かなりの人がすぐに列を抜けて去った。しかし下を向いて列に残った女性も多かった。残ったのは、身なりが殆ど浮浪者状態の女性ばかりだった。
合格者は、次の面接者のために。彼女たちは事務所2階の壁際に並んで待機させられた。事務所に彼女たちの異臭が蔓延した。
 タイプを打つのに夢中になっていた千鶴子がハッと気が付いた。彼女たち全員が刺すような視線で、千鶴子を見ていたのだ。迎えのトラックが来て、彼女たちを連れていくまで、千鶴子は針の筵の上に座らせられているようだった。

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無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました