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夫婦で歩くプロヴァンス歴史散歩#21/シャトー・ヌフデ・パプ11


偉大な指導者にとって最大の敵は「老い」だ。老いてもなお聡明なものはない。しかし多くの場合、自分ではそれを自覚しない。老いて意固地になり偏屈になり、諫言を聞く耳を持たなくなる道を多くの偉大な指導者は辿ってしまうものだ。
偉大な経営者だったヨハネス22世は、教皇に辿り着いたのが晩年だった。それでも果敢に彼は教皇庁の経営状況を正し財政を再建し、様々な改革を実施した。アジアへの伝道を奨励したのも彼だった。しかしそれが時と共に少しずつ偏ったものになっていくことに彼は気が付かなかった。
最初の兆候は異端審査だった。彼は魔女を異端とした。またオッカムのウィリアムやマイスター・エックハルトなどに、教義に反するとして異端審問をかけた。そして彼に異を唱える修道士/神父を異端とし、これを粛清した。そしてそれに賛同する人々も「ペガン」と呼ばれ異端審問を受け冷やぶりにした。・・こうした老耄横暴は次第に彼を孤立にして、最後は誰も味方する者もなく、ヨハネス22世は寂しい晩年を送ることになった、彼は1334年12月4日に亡くなっている。

夕食の時、嫁さんが言った。
「夕方に行ったシャトーヌフ・デ・パプ城はヨハネス22世のものだったんでしょ?彼はアヴィニョンじゃなくてあそこに住んだの?」
「ん。たしかに抜本的な改修を指令したのはヨハネス22世だ。しかし改修は手間取ってね、彼の存命中には終わらなかった。彼が亡くなったのは1334年で、実際にはそこで工事は中断しちまったんだよ。それで100年以上経って1475年から再度アヴィニョン司教の領地になったんだが、何しろ大きいしお金がかかりすぎるんで、結局は放置されてボロボロになってしまったんだよ。100年戦争の徒はユグノーがこの地を占領したことが有って・・1563年だが、彼らは村と共に城にも火を放って徹底的に破壊したんだ。以降、城は完全に廃墟になった。それで村の債権を図った人々が少しずつ少しずつ石材として壁面を持ち出して自宅の修繕に使用したんだ。そしてフランス革命だ。城は地元の豪農だったジャン・バティスト・エステブレが革命政府から買い受けた。彼がさらに城を解体したんだが、1892年5月になって、時の市長が声を上げて、ようやく城はフランスの歴史的建造物として保存登録されるようになったんだ」
「で。今の形になって残ったのね」
「そうはいかない。つぎはちゃんとナチが待っている。ナチはここを監視塔として専有したんだ。しかし敗色濃くなると彼らは、連合軍が同じように此処を監視塔として使用しないようにダイナマイトを仕掛けたんだ。結果、北半分は破壊され南半分だけが残った。それが今の姿さ」
「そう・・ほんとに次から次とひどい目に遭い続けたのね」
「実は破壊された部分については殆ど資料が残っていない。どんな形をしていたかも全く分かっていないんだ。
1960年代に総合的な発掘が実施されているが、一部備品や破片以外に目ぼしいものは発見されていない。ただこの時に、人々によって持ち出された備品や石材も調べられていて、壁面を飾っていたタイルが100点ほど発見されている」
「でも・・そうしたコレクションを集めた博物館はないのね」
「ん。ない。産業は葡萄畑だけになってるからな。塩の集荷場もなくなって、採石場も大半は消えて、ローヌ川の通行税も取れなくなってるし、この村から多大な収入を得る方法は今はないんだよ。
それどころか、教皇庁御用達という金看板が、むしろ徒なして贋物が横行したんだ。そのことでシャトーヌフ・デ・パプのワインは不味いと評判ががた落ちしてね、そこへフィロキセラという厄介が重なって、村は半身不随に陥ってたんだよ。1923年に原産地呼称法AOCが出来たのはこの村からなんだ」
「ええ、その時の市長が大奮闘したんでしよ」
「ん。そのことも有って、当初に定められたせいで、ここのAOCが定められているセパージュの量が他の所に比べて格段に多いんだ。現在は18種寧ある。1923年に起草されたときで10種類あった。1936年に13種類になった。いまは18種類だ」
「え~どうして増えたの?
「生産者が白やロゼを作るようになったからだ。許可されている品種をならべると、赤はサンソー/クノワーズ/グルナッシュ・ノワール/ムールヴェードル/ムスカルダン/ピケプール・ノワール/シラー/テレ・ノワール/ヴァカレーズだよ。白とロゼはブルブーラン/クレレット/ランシュ/クレレットローズ/グルナッシュ・ブラン/グルナッシュ・グリ/ピカルダン/ピケプールブラン/ピケプール・グリ/ルーサンヌだ」
「ジュゲムジュゲム・ゴコーノスリキレに聞こえるわ」
「2009年から加わったのはクレレット・ローズ/グルナッシュ・グリ/ピケプール・グリだよ。一度ひとつずつ分けて呑むと判るかもしれない」
「でもわかる前に酔っぱらっちゃうわ」
「ははは♪昔、エシェゾーと最盛期のカレラのブラインドをしたことあるんだがな、何回かやってるうちに酔っぱらって何が何だか分からなくなったことがある。あれと一緒だ」
「ブラインドなんかして、よく当てられるわね」
「マイナスの思考なんだよ。当てるんじゃなくて、そうじゃないものを引いていくんだ。これじゃない・これじゃないってね。そして残ったものから見当をつけるのさ。生産者はわりとあてられる。しかし年度も分かるっていう人がいるが・・あれはブラフだな。俺はわからないな」
「ふうん、でも良い年、悪い年はあるんでしょ?」
「ある。あるから悪い年はみんな頑張るんだ。少しでも良いものにしようとする。その努力がワイナリーの実力なんだよ。むしろ悪い年のものの方が尖ってすごい作品になったりするのがワインの面白さだ。1984年、ムートンを憶えているだろ?」
「あ、私たちの結婚年ね」
「ん。そうだ。僕はあの年のムートンは尖っていてすごいと思うよ」
「私は・・自分じゃ選ばないわ。ボルドーのヴィンテージは苦手・あなたの好きな昭和の日本映画みたい。学校の社会科でみた映画の感じがする」
「ははは。激しく納得だな。・・ところでシャトー・ヌフ・デ・パプのAOCだが、ラベンダーとタイムの両方を植えることができるほど乾燥していない土地では、葡萄は生産しないようにという規制がある」
「へえ、今でもその規制は生きてるの?」
「ん」


無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました