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葛西城東まぼろし散歩#28/市川荷風式#04

全集ではなく、荷風の「葛飾土産」中公文庫を手にしている。
kindleではない。紙の本だ。
 「わたくしは近年市街と化した多摩川沿岸、また荒川沿岸の光景から推察して、江戸川東岸の郊外も、大方樹木は乱伐せられ、草は踏みにじられ、田や畠も兵器の製造場になったものとばかり思込んでいたのであるが、来て見ると、まだそれほどには荒らされていない処が残っていた。心して尋ね歩めばむかしのままなる日本固有の風景に接して、伝統的なる感興を催すことが出来ないでもない。
 わたくしは日々手籠をさげて、殊に風の吹荒れた翌日などには松の茂った畠の畦道を歩み、枯枝や松毬を拾い集め、持ち帰って飯を炊かし薪の代りにしている。また野菜を買いに八幡から鬼越中山の辺まで出かけてゆく。それはいずこも松の並木の聳えている砂道で、下肥を運ぶ農家の車に行き逢う外、殆ど人に出会うことはない。洋服をきたインテリ然たる人物に行逢うことなどは決してない。しかし人家はつづいている。人家の中には随分いかめしい門構に、高くセメントの塀を囲らしたところもあるが、大方は生垣いけがきや竹垣を結んだ家が多いので、道行く人の目にも庭や畠に咲く花が一目に見わたされる。そして垣の根方や道のほとりには小笹や雑草が繁り放題に繁っていて、その中にはわたくしのかつて見たことのない雑草も少くはない。山牛蒡の葉と茎とその実との霜に染められた臙脂の色のうつくしさは、去年の秋わたくしの初めて見たものであった。野生の萩や撫子の花も、心して歩けば松の茂った木蔭の笹藪の中にも折々見ることができる。茅葺の屋根はまだ随処に残っていて、住む人は井戸の水を汲んで米を磨物を洗っている。半農半商ともいうべきそういう人々の庭には梅、桃、梨、柿、枇杷の如き果樹が立っている。」

もちろん今の市川・行徳にそんな雅な風景はない。
それでもわざさわざ中公文庫版の「葛飾土産」を贖って出かけるには"僕の季節"にはちょうど良い時なのかもしれない。
7月のことじゃないよ。僕の季節のことだ。
荷風が斃れた時、彼の枕元には鴎外の「渋江抽斎」が開いてあったという。僕は何だろうか?


「市川の町を歩いている時、わたくしは折々四、五十年前、電車も自動車も走っていなかったころの東京の町を思出すことがある。
 杉、柾木、槙などを植えつらねた生垣つづきの小道を、夏の朝早く鰯を売りあるく男の頓狂な声。さてはまた長雨の晴れた昼すぎにきく竿竹売りや、蝙蝠傘つくろい直しの声。それらはいずれもわたくしが学生のころ東京の山の手の町で聞き馴れ、そしていつか年と共に忘れ果てた懐しい巷の声である。
 夏から秋へかけての日盛りに、千葉県道に面した商舗では砂ほこりを防ぐために、長い柄杓で溝の水を汲んで撒いていることがあるが、これもまたわたくしには、溝の多かった下谷浅草の町や横町を、風の吹く日、人力車に乗って通り過ぎたころのむかしを思い出させずには置かない。
 東京下町の溝の中には川のながれと同じように、長く都人に記憶されていた名高いものも少くはなかった。菊屋橋のかけられた新堀の流れ。三枚橋のかけられていた御徒町の忍川の如き溝渠である。
 そのころ人の家をたずね歩むに当って、番地よりも橋の名をたよりにして行く方が、その処を知るにはかえって迷うおそれがなかった。しかしこれら市中の溝渠は大かた大正十二年癸亥きがいの震災前後、街衢がいくの改造されるにつれて、あるいは埋められ、あるいは暗渠となって地中に隠され、旧観を存するものは殆どないようになった。
 そのころ、わたくしはわが日誌にむかしあって後に埋められた市中溝川の所在を心覚に識るして置いたことがある。即ち次の如くである。
 京橋区内では○木挽町こびきちょう一、二丁目辺の浅利河岸(震災前埋立)○新富町旧新富座裏を流れて築地川に入る溝渠○明石町旧居留地の中央を流れた溝渠。むかし見当橋のかかっていた川○八丁堀地蔵橋かかりし川、その他。
 日本橋区内では○本柳橋かかりし薬研堀の溝渠(震災前埋立)
 浅草下谷区内では○浅草新堀○御徒町忍川○天王橋かかりし鳥越川○白鬚橋瓦斯タンクの辺橋場のおもい川○千束町小松橋かかりし溝○吉原遊郭周囲の鉄漿溝○下谷二長町竹町辺の溝○三味線堀。その他なお多し。
 牛込区内では○市ヶ谷冨久町饅頭谷より市ヶ谷八幡鳥居前を流れて外濠に入る溝川○弁天町の細流○早稲田鶴巻町山吹町辺を流れて江戸川に入る細流。
 四谷新宿辺では○御苑外の上水堀○千駄ヶ谷水車ありし細流。
 小石川区内では○植物園門前の小石川○柳町指さすヶ谷町辺の溝○竹島町の人参川○音羽久世山崖下の細流○音羽町西側雑司ヶ谷やより関口台町下を流れし弦巻川。
 芝区内では○愛宕下の桜川また宇田川○芝橋かかりし入堀(これは震災前埋立)
 赤坂区内では○溜池桐畠の溝渠。
 本所深川区内では○御蔵橋かかりし埋堀○南北の割下水○黒江町黒江橋ありし辺の溝渠。その他。
 砂町では○元〆川○境川おんぼう堀。その他。
 こんな事を識すのも今は落した財布の銭を数えるにも似ているであろう。」

無くてもいいような話ばかりなんですが・・知ってると少しはタメになるようなことを綴ってみました