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誰をターゲットに文章を書くか、と言うこと

ブログ等を書く時「誰に向けた文章を書くか」が、重要な事のひとつとしてあるらしい。それは至る所で眼にする事だ。だけど考えたらみけ子はこのnoteを書き続けていて、誰かを想定して文章を書いた事などないのだ。ただ、書きたいから書いているだけ。そんなんで良いのかなぁ?

曲がりなりにも、ひと様が目にする文章である。読んだ人が嫌な気分になったりする事は、もちろんわざわざ書かないけど、もしかしたら書いた文章で不快な思いをしている人も居るかも知れない。

出来るだけそんな風にならないように、気は配っているけれど絶対に不快にさせていない、なんて確信はない。それに、読んだ全員が好感度高い文章などありえないと思うよ。人はそれぞれ立場が違うし、考えている事もバラバラだからね。

それにしても、ターゲットねぇ。無理やり想定するとすればどんな人だろう?同世代の女性、かな?立場としては主婦?主婦でなかったとしても、生活者として日々を生きている人。毎日起こる出来事に一喜一憂しながら、過ごしている人。仕事や自分の役割を果たしながら、今日を過ごし、明日が少しでも良くなると信じて行動している人。そんな感じだろうか?

ってそれ、現在のみけ子そのものじゃん(笑)それって想定も何もないよね。

読み手を想定せず、日々の暮らしや生活していて出会った出来事や人、気付いた事、昔経験したこと等。それをネタにして文章にしてみる。みけ子が今やっているのは、ただそれだけの事だ。それ以上でもそれ以下でもない。

それが割合面白い。面白いから続く。多少はその文章を面白く思ってくれる人がいる。スキ❤️や読まれる数が増える。そうなるとますます面白い。

書くことで多少は自分を客観視できる。客観的に見る事ってすごく大切だ。自分を自分の立場からしか見られないのは、自分勝手や自分本位に繋がる。起こった物事を書く事で対象化して外側から見られるのだ。

そして書くことで、文章力が付く。拙い文でも書き続ければ、多少は慣れて来て読みやすい、分かりやすい文章が書けるようになる。考える力や気づく力も鍛えられる。

続けよう、と言う気持ちが粘り強さと簡単には諦めない気持ちにもなる。絶体絶命のピンチでも「いや、どこかに突破口があるはずだ、何か方法があるだろう、じっくり構えればきっと改善出来る」と思える力。

これって書き続けることでの訓練に他ならない。

書き続けて文章力が付く
様々なことに気付ける自分になる
考える習慣がつく
自分のことを客観視できる

「誰をターゲットにするか」も大事なのかもしれないが、自分のために文章を綴るだけでもこんなに良いことがあるのだ。だったらひとまず今は「自分のために文章を書く」ことに専念しよう。

そうして続ければまた、違う立ち位置で違うものが見えてくると思うのよ。






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