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西高東低ってずっと言われてたし、実際そうなのだ💦

冬型の気圧配置って「西高東低」って言われる。西日本は高気圧で覆われ、逆に東日本は低気圧で悪天候。こんな具合。

この「西高東低」は天候だけでなく文化的な事でもよく使われる。悔しいが全くその通りだと思う。東北は首都圏や西日本に比べると周回遅れって感じがする。東北から発信されて全国に広がったものは余り思い浮かばない。常に東北は首都圏の後追いな感じだ。

よくこれで例に出されていたのが、高校野球だ。春夏の大会全てで、東北の高校か優勝したのは昨年夏の育英高校のただ1回のみだ。正に悲願の初優勝だった。

それまで、東北で優勝したチームはなかった。「優勝旗が白川の関を渡った」ことは歴史的な事だった。北海道の高校がかつて優勝した事もあった。2004年のことだったらしい。これも大きな喜ばしい出来事だったが、本音を言えば、東北を通り越して北海道か〜○| ̄|_って気分だった。

冬は寒く雪に閉ざされ、夏も冷害で作物が不作だったりが続く。宮澤賢治の雨ニモマケズの中の「寒さの夏はオロオロ歩き」の部分の意味が分からなかった、と書いていた作家さんがいたが、それは確かに東北の人間でないと理解出来ないだろうと思う。

凶作や飢饉に苦しめられ、貧しさの中で何とか生き延びる方法を模索してきた。飢饉の時は娘を売り、男であれは幼い頃から丁稚奉公に出す。子どもを間引く事など実は日常的にされていた事なのだろう。悲しい歴史だ。そう言う時代は流石に知らないけど。

みけ子の母も、宮城県県南の小作農家に生まれ、学校には通ったが帰ると必ず水汲みなどの労働が待っていたと言っていた。水道がある訳じゃない、井戸から何度も桶を運んで水瓶を満たす労働はキツくて辛かった、と何度か話に聞いた。学校に行っても学用品が全て揃っている訳でも無い。ちびた鉛筆と硬くなった消しゴムで文字を消すとヘタをするとノートに穴が空いてしまう。子どもでも出来る労働をした後、眠かったけど無理を言って借りて来た本を読むのに、小さな電球の下で文字を追ったこと、など。

また少し後の時代でも、農家を維持していくために一家の大黒柱は農閑期には、出稼ぎが普通だった。農村での農業主体の暮らしは、そうやってようやく保って行ける状態だったのた。

高々6〜70年前の話である。まるで民話の中の話の様な遠い昔の話に思える。貧しさとひもじさを生き抜いて来た親の世代だ。朝ドラの「おしん」が親の世代の涙を誘っていた。

そんな貧しい、首都圏や関西に遅れを取っていた東北地方の現実は、つい少し前までごく普通だったのだ。

西高東低の文化格差はまだ根強く残っていると思う。東北地方は最低賃金も全国比較で最低ランクだもんね。「どうせ東北だし、しょうがないよね」とかの思いが蔓延するのが一番いけない。

自分たちの前の世代が地道な努力を重ねて、ようやっとここまで辿り着いた。遅れていることはどうしようもない事実だけど、せめて学ぶこととチャレンジする気持ちだけでも持ち続けたい、と思うのだ。



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