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食事の用意をスキップする自分💦「出来る人がやれる時にやれば良い」という考えなんで。

みけ子は10年ほど前まで、両親二人の介護をしていた。実の両親が二人とも要介護になって自分が世話するようになるなんて、思っても見なかった。

母みけ(みけ子の実の母)は脳梗塞で倒れ、要介護だった期間は20年以上‼️最終的に要介護3の時に特養ホームに入所し、要介護4までになり再度の脳梗塞で死去。80歳代半ばまで生きたよ。

そして父みけ(みけ子の実の父)は、そんな母を老々介護しているうちに認知症になった。母みけの不健康に引きずられた被害者、という見方もある。

そんな両親を自宅隣りに越してきてもらい、みけ子が両親の介護をやり始めた。結局母みけが施設に入居するまでが5年ほど、その後はさらに認知症の父みけの同居介護をして2年くらいだったか?もう○年介護を続けた、とか過去の事はハッキリ覚えてないわ。

そんな両親の介護の中で、二番目に負担が重かったのが「毎日の食事」

*ちなみに一番大変だったのは、夜中のトイレ介助ね。

身体が効かない、頭が働かない人たちだったから、食事の用意はみけ子が必ずやらなければならない事だった。おまけに母みけは糖尿病も患っており、毎日ほぼ一定の時間に食事を準備して提供する必要がある。それが自分にはとても負担が重かった。

そんな介護から解放された後だから、

身体も頭もまともに働く人は

自分の食べる物は自分で用意する


のは当然でしょ?こう考えるのは自然の流れよね。

上記のような考えに従い、現在自分は家族全員の食事の用意をちゃんと時間まて揃えて、なんて事はもう大分前からしていない。

まだ長女がウチにいた時のこと。長女が会社の人に「ご両親と同居?帰るとご飯が用意してあるの良いわねぇ」と言われたそうだが、「いや、ウチの母親はご飯作ってくれない」と答えて驚かれたそうだ。そりゃそうだが💦

なんで家の中で一番忙しい人が
家族全員の食事の用意まで
しなくちゃいけないの?

みけ子はこういう考えだ。

時間のある人が、自分の食べたいものを食べたい時間にそれぞれ食べれば良い。家族は全員成人しているし食べる事くらい勝手にやれるよね。いつの間にか自分はそんな考えと行動になっちゃったよ(笑)

みけ子がやるのは、

◉ひとますご飯を炊く(それもよくスキップしちゃったが)
◉食パンや冷凍うどん、袋のラーメン。ハムや卵などはひとまず常備する(それもよく忘れる)
◉大鍋に数日食べられるカレーや豚汁を作る
◉お惣菜を買って来て「冷蔵庫に〇〇あるからね」と言う。(盛り付けて出したりはあまりしない)
◉気が向いた時に「◎◎作るけど食べる?」と聞き料理する(あくまで自分が食べたいもの、作りたいものだけ)

そんな程度だった。長女が引越して家族の人数が減った今は、その状態に拍車がかかっている。夕方になると家族が聞く。「今日は何か作るの?」

*今日のご飯は何?でないことに注目(笑)

「うーん、トマトスープを作ろうかと思って材料は買ってきたんだけど〜」そう聞かれた時点で夜の8時近かったりする。動き出すのが遅いし、その料理は作るのに時間かかる。そして実際に料理に取り掛かるかどうかは、全くその時の気分なのだ。

これはナポリタンですが。

そして出来上がった料理を食べるも食べないも、その人の自由ということだ。せっかく作ったものを「オレは好きじゃない」とか言われて全く箸を付けなくても構わない。実際そういう事は多々ある。嫌いならば食べなくてもいいが、代わりのものは作らない。そんな程度のことは気にしない。だから自分の食べたいものしか作らない。子どもらが小さい時からそれは同じ。

家族もそれを分かっていて、それなりに自分で食べる物は自分で用意していてそれをつまみに晩酌をしていたり、そもそも食事の時間は自分の好きな時間から動かさず、好きな時間に好きな物を作って自室でひとりで食べている人とか。

ほったらかしにしてたら、いつの間にか家族はそれぞれ自分がやり易いように動いていた。みけ子はラクである。

なんだか、変な家族だなぁ。



↓華やかで繊細な絵付けの花唐草の伊万里皿。大勢で食卓を囲むときも主役になる逸品です。


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