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観に行きたいよ/甲斐荘楠音展@東京ステーションギャラリー

大正時代から昭和にかけて活躍した日本画家、甲斐荘楠音(かいのしょうただおと)の展覧会が東京で開かれる。観に行きたい‼️東京までならすぐだよ。だけど灼熱の真夏の東京、東北人のみけ子に耐えられるのか?ラビリンス東京、極度の方向音痴が駅から迷わずに目的地まで辿り着けるか(笑)

https://www.ejrcf.or.jp/gallery/index.asp

↑ステーションギャラリーの展覧会のリンクがうまく貼れな〜い(T . T)


甲斐荘楠音は日本画でも、かなりアクの強いコッテリした絵を描く画家だという認識がある。みけ子は解説出来るほど詳しくはない。ただ何年か前に岩井志麻子の単行本の表紙絵に取り上げられた事で、かなり知られるようになった画家だ。

読んだ事なかったけど、この際読んでみる事にした

かなり個性の強い、厚塗りでコテコテの重厚な感じの画風だ。この画家について詳しく知っている訳では無いが、この表紙絵を描いた若い頃の画風はこの頃の流行もあるのだろうが、かなり色彩も強烈で刺激の強いものがある。大正デカダンスの時代とでも言えばいいのか。描かれているモデルの女も、おそらく遊女など廓の女たちなのだろう。表面だけの美しさを描くのではなく、肌の下に確かに血の通っている、呼吸をして体温さえ感じられる生々しい描き方なのだ。

この楠音の描く絵。同じ日本画家仲間の土田麦僊(つちだばくせん)から「穢い絵(きたないえ)」と酷評されたというエピソードを目にした事がある。土田麦僊は、この楠音と同時代に活躍した日本画家である。透明感のある濁りのない色を使い、世間一般にも麦僊の方が先輩であり人気もあったのだろうと思う。その画家仲間から酷評されるってどうなのだろう?

確か久世光彦のエッセイでこのエピソードについて書かれていたと思い、記憶を頼りに探すと、この話について独自の視点から1本のエッセイが綴られている。


この本の中のエッセイのうちの1本「『二人道成寺』の彼方へ」で久世は楠音と土田麦僊のこの「穢い絵」事件のことを書いている。楠音が当時所属していた「国画創作協会」の指導的立場であった土田麦僊。その麦僊から展覧会に出展した絵について「穢い絵」と酷評され、出展した絵の1枚を会場から撤去された、と書いている。その後に楠音は(実質的には)絵筆を折ってしまったようなのだ。

展覧会の概要を読むと後年の画家以外の活動にもスポットを当てた展覧会らしい。

美術的な観点からはまだ評価が定まらない部分もあるのかも。だが、その大正時代に血気盛んな若い世代の日本画家たちがどのように絵の対象を見つめ、一枚の絵に仕上げたのか。その片鱗をこの展覧会では知ることができるだろう。

やっぱりわざわざでも、東京行かなきゃだわね〜。


↓あまり見ない角型のガラスボウル。ベージュピンクの色が愛らしく食卓に馴染みます。


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