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最近やったゲームの話とおもちゃにされたゲームの話

ゲームが好き。
最近は、ゲームの何が好きなのか、を自身に問いながらやっていることが多い。コテンラジオの深井さんは、常に物事を考えてしまうから、強制的に考えなくて済むようになるためにゲームをやっている、と言っていた。

なるほど確かにそういった側面もあるかもしれない。頭のいい人はやはりいうことが頭いいな、というバカっぽい感想をもったので、なんとなくわかるが、自分はきっと違うような気もする。


Sea of Stars

インディーズゲームらしいが、触り心地は完全にフルプライス。
SFC後期のドット絵に、少しリッチな現代的なエフェクトが、スクエアエニックスが掲げる、オクトパストラベラーや、最近ではドラクエ3リメイクでも採用が言われていた「HD-2D」とはまた違うノスタルジーを感じる(むかし、PS3で同じような浅い被写体深度のサンドボックスゲームあったよね、なんだっけ)。

マリオRPGっぽい戦闘システムが取り沙汰されることが多いけれど、個人的にはフィールドの移動感が、まんまアンチャーテッドで、その心地よさを2Dで表現できるんだ! というところに驚いた。ここ、すごい。

ストーリーは、まるで昔の児童書の翻訳みたいで好き嫌い分かれそうだけれど(自分は少し苦手)、ゲームって丁寧に作ると宝石みたいだなあ、と幸せな気持ちになれた。


Spider-man2

スパイダーマン2。
自分はマーベル映画をあまり見ない(アベンジャーズは全部見た)ほうなのだけれど、それでも最初のサンドマンとの戦闘シーンは、やっぱ、ゲームって映画を超えるエンタメ体験だな! とゾワゾワした。

しかし、やめ時がないけれど、ワクワクするような演出は最初がピークという不思議な作りだった。けれど、やはり400億円くらいかかってるらしいので、ストーリーは当然面白く、とても満足した。

とはいえ、映画を超えるゲーム≒映画を見終わった満足感的なものがあり、複雑な気持ちがある。LAST OF USシリーズなんかは、それも超えた何かがあったのだけれど、インタラクティブなようでいて、インタラクティブでなかったという感じかも?


Superliminal

なんか海外のパズルゲーム。
錯視を利用して、モノの大きさを変えたり、ないはずのものを出現させたりと、ゲームならではの体験が

なによりも、実験中のエラーというシチュエーションに、無機質なステージ構成とアナウンスは、あの名作「PORTAL」を(たぶん)徹底的に意識した構成や作りで、それだけで自分の中では推進力が増していった。

一定のカタルシスもあって、とてもよかった。数時間で遊べるのも、忙しい時期にはありがたい。


COCOON

LIMBOや、INSIDEのデザイナーが作ったという触れ込みで、やらないわけにはいかない。

基本、明確なストーリーや説明は一切ないけれど、キャラクターが何かを成し遂げようとしている様子を観察するように、ゲームの世界に入り込める作りがものすごく良い。

たぶん、昆虫を観察するような気持ちに似ている。プレイしているのは自分なのだけれど。
入れ子構造を使った謎解きは、どうやったらこんなこと考えつくの? というような謎解きで、解けるたびにカタルシスはもちろん「よくこんなの思いついたなあ!」という感動が先に出る。

謎解きも、頭がこんがらがらない程度にいい塩梅で種類が変わっていき、ボス戦がアクセントになって短いながらも一気にプレイできた。


FINAL FANTASY 16

基本はファイナルファンタジー7のプロットを感じる。とはいえ、FFの根底にあるのがこの要素なんだろう。
市井の立ち位置からすると、テロリストたちの正義を追いかけている居心地の悪さが、個人的にはムズムズはする。
普通の作り方なら、主人公側にしかわからない「正しさ」をしっかり見せてプレイヤーに理解させ、「なんでみんなわかってくれないんだ」という気持ちを推進力にさせるのがセオリーな気がするけれど、あえてなのかな。

その代わりに、ゲーム部分の「戦闘」にカタルシスを全振りしているようで、戦闘すごい楽しい。

個人的にサブクエストに対して、すごく違和感を感じた。
「演出」とはなんだろうか、と考えた。
この人は困っている、この人は怒っている、そうした表出的な思い以上に、複雑な心の動きや状況を人は抱えていて、FF16の世界に住むキャラクターたちは特にそれが顕著なはずである。
ところがサブクエストは、立ち絵みたいな棒立ちのキャラクターとのセリフのやり取りでしか話は進まず(キャラクタの動作があっても、記号化されている)、テキストでしか思いを読み取れない。
これがなんか全体のクオリティとのギャップが強く、すごく不思議な気分になった。

思い出そうFAINAL FANTASY 15を

個人的には、FF15が好きなのだ。
FF16は正統派にクリスタルのFFをやって、中世ヨーロッパ的ファンタジー世界観で、ソーシャルグッドじゃないけれど、ある程度のクオリティであれば、SNS上で批判がされにくい作りになっていたと思う。

FF15はその真逆で、ゲームの本質ではなく、その周りの情報でおもちゃに祭り上げられていた感じが強い気がする(もちろんゲーム自体も完璧ではないけど)。

チャレンジ精神もそうだけれど、普通にストーリーや演出も素晴らしかったと思う。
例えば召喚獣戦をFF16は推しているけれど、FF15のタイタン戦ほどに胸を沸き立たせるものはなかったし、討伐もズー戦みたいな演出が欲しかった。

これは自分も気をつけないといけないな、と思っているのだけれど、FF15(個人的にはFF13も素晴らしかった)が一般的に「失敗作」的な感じで話をされる時に、それは人の好みもあるだろうけれど、どこまでその言説に深みがあるのだろうか、というのをしっかり加味しないといけないと思っている。

SNSでおもちゃにされてしまい、クリエイターやマーケッターの努力が蔑ろにされてしまうのは、大変悲しい。
FF16を貶めて比較して語るのは失礼であるとは思いつつも。どうしても、FF16をやるほどに、FF15の面白さを思い出さずにいられなかった。

FF16も十分、エンタメとして面白いのだけれど。

というか、これを書きたくて、ゲームの話を始めたという感じでして。
もう一度やろうかな。意外とつまらないかもしれないし。

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