レッドデッドリデンプション2は世界からのリアクションが楽しい

レッドデッドリデンプション2の説明は面倒臭い。

海外のゲームであること。西部開拓時代後期のお話であること。「2」ではあるが、前作の前日譚であること。オープンワールドゲームであること。

知らない人を前にすると前述のように、説明することが多いゲームで、さらにオープンワールドというジャンルの中でもやけにマニアックなこだわり持っており、説明しにくいニッチなゲームだ。

スパイダーマンの「自由にNYの街をビューンってできる」と簡素な説明で済む素晴らしさよ。

なのでもうここからは全て放り投げて、自分自身の感想を訥々と述べていこうと思う。

前作を途中で挫折した自分

レッドデッドリデンプション1は、途中で挫折した。

あのころの私は、まだ若かったと言えるかもしれないが、渋いおじさんがホコリっぽい荒地を便利な(たとえばフォールアウトや、スカイリムのような)ファストトラベルも無く、馬にパカラパカラと乗り続けている様を見続けるようなゲームを楽しむのはなかなかに難しかった。

レッドデッドリデンプション2でそれが改善したのかというと、全然改善されていない。
悪化したと言ってもいい。

ファストトラベルはおまけ程度。
動作はとても緩慢。
操作は複雑(対象物によって異なる操作方法は、必ずボタンとボタンの掛け合わせだったりする)。3日もプレイしなければ忘れてしまう多くのシステム。
8年間の制作期間という謳い文句から、前時代的な操作性が残ったままだと揶揄されることもある。

それでもゲームをやめられなかったのは、そのバカみたいな作り込みのおかげかと思う。

いまゲーム業界では、リアルかリアルじゃないかという観点が、映像で語られるところから徐々にAIの使い方にシフトしてきていると思う。
この「AI」というのも一般的には、ロボットの自我みたいなNPC(ノンプレイヤーキャラクタ)の動作のイメージが強いかと思うけれど、どっちかといえば「周囲の環境の合わせたアニメーション」のほうが重要だと思う(素人認識なので、他に言い方あるのであれば知りたい)。

たとえば急な坂道で立ち止まった時、主人公の姿勢はどうなっているか。まさか坂に対して90度の直立ではないよね。
急に馬の進行方向を切り替えた時、馬の首や主人公の体重移動はどうなるか。まさか馬の体が中心軸から回転するわけないよね。
近くに壁があるときに殴られたら、その壁に対してキャラクターはどのような姿勢をとるのか。まさか壁はすり抜けないよね。

ただ動くというだけでも、条件によってキャラクタは世界にさまざまな影響を与える。
面倒な操作性の理由はこのあたりの煩雑さを内包しているとも言えるし、実際に物事を起こすというのは面倒臭いことだとも言える。

現実世界は動作に対してかならずリアクションを起こす。
当たり前だけれど、ゲームの世界ではお約束としてなかったことになっていたこと。

レッドデッドリデンプション2はこの「世界からのリアクション」が素晴らしいゲームだと思う。

個人的には「ファイナルファンタジー15」での試みも大好きだった。
階段にたいして一段一段登ってみると、ちゃんと足が階段に対して揃っていたり。
仲間と歩いていると、主人公より先に他のキャラが進行方向へ先行するなんて、過去のRPGから考えるとありえない進化だった。

雨が降ればマップの凹凸によって自動で水たまりができるなどもこだわりも詰まっていて、クリエイターがレッドデッドリデンプション2をやったら「これが表現したかったことだ」とか思ってるのかも、なんて妄想した。

少女とおじさんが連れ立って崩壊後の世界を旅する「LAST OF US」というゲームでは、またもやむさ苦しいおじさんを動かして進めるのだけれど、敵から隠れる時に、少女が近くにいると彼女をかばうように壁に手をつく動作がある(少女が遠いとまた違ったリアクションをする)。
また、同メーカーの「アンチャーテッド」も壁際を歩くときに、壁沿いを歩くと壁に手をついたり、段差や姿勢、マップの特性といったシチュエーションによってかなりの数の近接攻撃や動作のバリエーションがある。

「道を進む」「壁に隠れる」「攻撃する」

どのゲームでもあるありふれた動作で、結果は同じなのに過程に作り込みがあると、それだけでキャラクターの性格や関係性が生まれ読み取ることができるストーリーが増えていく。

余談
「龍が如く6」から採用されたグラフィックエンジン(ドラゴンエンジン?)には、攻撃時の相手の姿勢によって殴る箇所が判定されてアニメーションが生成されるみたいな話を聞いたことがあるけど、どうなんだろう。一回プレイしてみたい。

どうでもいいことがどうでもよくない

風が吹けば桶屋が儲かる。
ではないけれど、風が吹けば木々が揺れる。じゃあその風はどちらから吹いている?

ウィッチャー3というこれも名作オープンワールドゲームがあるが、このゲームは常に木々が揺れている。


それはもう常に台風がきているのかというほど揺れている。
世界のリアルさを表現したいとき、こういう自然物の動きは効果的ではあるけれど、そこに根拠がなければ違和感になるな、と感じた。

逆に、最近知った今井麗さんという画家の描かれる絵は、すごくラフなタッチだけれど、光の捉え方が的確で、遠目にはまるで写真のように見える。
物事は抽象化されていても、リアルになりえる。
袋のハイライト、パンの傾き、大根の土色。細かなディテール(それはタッチや細密さではなく)の積み重ねがリアルを作っている。

レッドデッドリデンプション2の制作期間8年間は、長い。
けれど、レッドデッドリデンプション2の世界を生み出すにあたってはかなり短い期間だったのではないか、とも思えるそんな作り込みを感じる。

荒野の世界を歩いていると、風の吹き方、馬への泥のつき方、足音が地面によって変わる様子などこの世界をリアルと感じる演出がそこかしこに見え隠れする。
どうでもいいようなひとつひとつの演出が、曖昧なリアルさのツボというようなものを、とてもとても高いレベルで表現しているように思えた。

これまでの「リアルを目指す=グラフィックを写実的にする」というアプローチとは違う(もちろんグラフィックも驚異的だけど)リアルな世界作りがまた、魅力的なゲームである。

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