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鬼子母神堂へ初詣!

2024年、あけましておめでとうございます。

雑司ヶ谷にある鬼子母神堂に行って来ました。子供の頃、よく行っていたので、懐かしさもあり、久しぶりでもあり、とても新鮮でした。

由来は、永禄4年(1561)に鬼子母神像が出現して、天正6年(1578)、鬼子母神像が雑司ヶ谷の村人によって建てられた草堂に安置された事に始まります。

鬼子母神は、その名の通り、千人の鬼の子をもつ母親で、近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれていました。あるとき、お釈迦様が見かねて、その末の子を隠してしまいました。末の子がいない事に気づいた母は、大変、嘆き悲しみ途方に暮れました。お釈迦様が「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。母ははじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となることを誓い、人々に尊崇されるようになったとされています。

雑司ヶ谷の鬼子母神堂では、近隣の幼児をとって食べる鬼ではなくなった事を表し、角を取った鬼という意味で、鬼の文字の上の点をとった文字が使われています。

大公孫樹(おおいちょう)

鬼子母神堂の敷地内には、大きなイチョウの木があります。このイチョウは、応永年間(1394~1428)に僧日宥が植えたものと伝えられている事から鬼子母神堂よりも古いと考えられています。一般に「子授け公孫樹」と呼ばれ霊験があるとされています。今では「子育てイチョウ」として親しまれています。

すすきみみずく

雑司ヶ谷鬼子母神堂といえば、すすきで作られたみみずくが有名です。普段は売りにだされていない事が多いのですが、元日には、ありました。

その昔、おくめという女の子が父を亡くし、母の病気で、生活が困難なとき、鬼子母神堂にお百度参りを始め、そのお告げで、すすきの穂でみみずくを作って参道で売るように告げられます。みみずくは飛ぶように売れ、そのお金で薬を買って母親の病は無事治癒したといういわれが始まりとされています。

鬼子母神は、母の病気を治すのではなく、自ら努力する方法を告げられました。この事は『神の救いは自ら努力する人に差し伸べられる』いう思いが、すすきみみずくとして、込められています。

鬼子母神堂の敷地には、ケヤキ並木道、駄菓子屋さんやおせんだんご屋さん、大黒堂、法不動堂、武芳稲荷堂、妙見堂などもあります。

ぜひ、足を運んでみて頂ければと思います。

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