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「才能」と「高校野球」をテーマに小説を書こうと思った理由【創作メルティングポッド#03】

才能について書こうと思ったのは、何か強烈なエピソードや原体験があったからというのではなく、ただなんとなくずっと、才能というものを意識して生きてきた自分がいることに気づいたから、という理由からでした。

思春期のほとんどが「才能」というものに悩まされてきたからか、呪いにかかったかのように「才能」に敏感に生きてきたように思います。

私の第一次青春は、地元にいた頃の「ソフトボール」でした。そして、才能に目を向けるようになったきっかけも、ソフトボールにあったと振り返ります。

かつて私は地方のいちチームのエースで、6年間マウンドに立っていて、県内では負けなし、全国では負けっぱなし。全国大会には「なんでそんな球投げれるんだよ」という投手がゴロゴロいて、大舞台に立つたびに打ちひしがれてきたように思います。自分に才能があるなんて勘違いすることができない環境にいました。

一つ下の学年には、10年に一人の逸材と言われるほどの才能を持った後輩がいました。私はその子にエースナンバーを奪われることが怖くて死に物狂いで練習した記憶があります。その子は(当時は)制球力がそんなに高くなかったので、私はとにかくストライク先行型の安定した投手でいようと務めました。その頃の私にとって才能は憧れであり、と同時に嫌悪の対象だったように思います。

「三振取れなくてもアウトにしたらおんなじこと」。そう言い聞かせて自分の「役目」を演じてきましたが、途中から徐々に球速も上がってきて、三振も取れるようになってきました。そうしたらやっぱり投手の血が騒ぐ──なんて言ったら仰々しくなりますが、「もっと三振取りたいなぁ」と思うようになって、一冬かけてひたすら走り込みと筋トレをしました(その時期は握力が44キロあった)。そして気づいたら当時の県内最速になっていたのですが、その後、突然神経系の病気にかかり車椅子生活に。運よく病気も完治したけど、病気、入院生活を機に自分を支えていた何かがポッキリと折れてしまって、それ以降、競技ソフトをやることはありませんでした。

私はそんな自分の運のなさや、ちょっとした不幸で辞めてしまった脆さも含め、「やっぱり、才能なかったなぁ(笑)」と長らく思っていました。でも、社会人になってなんとなくソフトボールを再開してみて、好きなんだなぁ、あの頃もただ好きだったなぁ、ということをやっと、何かを回収するように、思うことができました。全国の猛者たちを前に、早々に才能の無さに気づいた私を支えていたのは、ただ「好き」と言う感情だけだったと、大人になって気づいたのです(まぁ好きにも色々あると思うし、純粋とはもう少し遠いところ、愛憎含む好きもアリということで)。

それでもう一つ気づいたのは、私はあんまり何かを好きでい続けることができないタイプで、10年以上もの間ソフトボールを「好き」でい続けられたのは、奇跡のようなことだったということでした。今は地元の元ソフトボーラーたちと、都内でたまに草ソフトをしています。たしかに競技ソフトをやっていた時のような俊敏さはないのですが、「考え方」の面では、週6で練習していたあの頃よりずっといろんなことができるようになっている。最適なアップの仕方、間の取り方、マウンドでの振る舞い、流れの作り方、フォームの修正の仕方、などについては今の方がよっぽど「できる」のは、好きの賜物なんだと気づきました。

9歳から23歳に至るまでソフトボールと付かず離れずの日々を送りました。今思うのは、そもそも何かを「好き」と思えることは、「才能の芽吹き」なんじゃないかということ。そして、才能っていうのはもしかしたら、昔自分が見限ったり、「こういうものでしょ」と定義したものよりも、もっと細分化されていて、まだ発見されていないものも含んでいるんじゃないかということ。

色々書きましたが、今回才能をテーマに小説を書こうと思ったのは、昔は「そればかり」と思っていた才能について、もう一回考えてみようと思ったからです。

舞台は、高校野球の地区予選大会。

今年、秋田県代表決定戦で金足農業に破れた明桜高校や、北大阪大会の準決勝で大阪桐蔭に破れた履正社の試合を始め、たくさんの高校野球を見て、「甲子園ばかりが高校野球じゃない」と痛烈に思ったことが、地区予選を舞台にした理由です。毎年たくさんの才能が発掘される甲子園ですが、高野連加盟校数は約4000校。きっと私たちが知る由もない透明な日々の中に、たくさんの才能が隠れているのだろうと思います。

今回は初めての小説執筆ということで、なかなか悪戦苦闘しながら書き進めていますが、色々な過去の事例や現実あった話をモデルに再び考える「才能」、とても楽しいです。

最後に、執筆中の『透明な日々』の一部分を、少しだけチラ見せして終わります。

***

第1章【シャッターチャンス】

小高い土の丘。
そこに埋められた白のプレートに足をかければ、少年の顔からあどけなさが消える。
軸足に乗せた体重を一歩前に踏み出す瞬間を絵として切り取るなら、それはまるで風を切る青鷹とでも言おうか。踏み出した足に体重を乗せ、しなる腕を豪快に腕を振り抜けば、172センチと投手としてはやや小柄な身長からは想像できないようなストレートが、ドォンと音を立ててキャッチャーミットに叩き込まれるのだ。

朝霞澄人って、こんなストレート投げてたっけ?
ブルペンから少し離れたところ、カメラを構えた笠原絵里は、思わずシャッターを切るのを忘れた。
春季大会で見た頃より、スピードもキレも、一段と上がったように思えたのだ。
「ここに来てまた、ギアを上げたんだな」
「万場さん」
紺のポロシャツ姿で現れたのは、今日は一緒に取材の予定じゃなかったはずの上司、万場仁だった。
「紅明高校の練習に行ったんじゃなかったんですか?」
「それが美輪斗馬の鍼治療、調整が思ったより伸びているらしくて。練習が1時間ずれ込んで14時開始になったらしい。選手たちはまだきっと寮にいるんだろう」
参った参った、とワックスで固めた頭を掻きながら、万場はその視線をまっすぐ朝霞澄人に向ける。
「でも、青峰バッテリーの投球練習に間に合ったのはラッキーだったな」
「万場さん、春季大会からずっと追っていましたもんね」
甲子園予選神奈川県大会、決勝の前日。
地方新聞社のスポーツ部門・高校野球を新卒社員で担当することになった笠原絵里は、高校野球取材は20年近くになるベテラン記者の万場仁とともに、青峰高校のグラウンドにいた。

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