叶わなかった恋はちょっぴり優しい

オーストラリア・ケアンズのホテルで、女3人がワインを開ければ、なんてことなく始まる恋の話。今夜はきっと、ディープな夜になるだろうなと思った。東京新宿の居酒屋で毎月行われる近況報告会ではなくて、もっと、深海みたいな恋の話が、遠く日本を離れた私たちにならできるような気がしていた。

私の予感は大当たりで、友人のひとりがいきなりこんなお題をふってきた。

「人生でいちばん最高だった恋はいつ?」

なにをもって最高と指すのかわからないけど、きっと今この瞬間なにを気構えるでもなく浮かんだ恋が、私の中のそれなんだろう。理由なんてものはあとから考えればいい、言動・行動は天邪鬼でも心はいつだって正直だった。さぁ胸に手を当てて。中学生の頃の初カレ、高校生の頃付き合った先輩、同じバンドサークルだった建築学科の男の子……思い出しても、どれも幸せな時間だった。どの男の子と付き合うときも、心から本気で「この人と結婚する!」と思っていた。

高校からの付き合いである女友だちふたりは「いちばん好きだった男の子」について話し始めたけれど、私にはそれができない。だって、何度かした恋はいつも、いちばん好きな男の子に向けられたものだった。夏祭り、クリスマス、なんでもない放課後、半分こしたアイスクリーム、思えばどの瞬間にもちゃんと、最高を感じてた。

それでもやっぱり、「人生でいちばん」なんてものは、私はまだ知らないのだろうと思う。ロミオとジュリエットみたいな、心臓を鷲掴みにされてそこから動けなくなるような経験とその記憶がない私は、過去の淡く甘い記憶たちを、小瓶に詰められたロリポップみたいに一緒くたにしてしまっている。

ところで、「最低な」恋の話なら簡単だ。

高校3年生のとき、すっごく好きだった男の子がいた。同じクラスの私のひとつ前の席に座っていた男の子。

もともと頭がよかった彼が急に文学に目覚め三島由紀夫を読みはじめたので、17の私は『金閣寺』を理解が追いつかない頭で夜通し読んだ。それから、彼からのLINEは夕食を食べていてもすぐに返信したし、彼に数学を教えてもらいたくてわざとsin・cosの公式を覚えられないバカな女のフリをした。彼が宮崎あおいが好きだと言うから前髪はずっとぱっつんのままにしていたし、なんだかもう、きりがないほどに、私にとって彼は宇宙みたいな存在だった。

そんな彼から卒業式の前日に、「話があるから明日早く学校に来てほしい」とLINEがきたときは、これは絶対に告白だ!と私は疑わなかった。ふたりで時間を決めて、アラームを5時台にセットして、緊張と期待で一睡もできないまま卒業式を迎えた私は、誰もいない教室で彼を待った。

教室のドアがガラッと開くのを待つ1分1秒がドキドキして、鏡を何度も確認してどんな表情で「おはよう」を言おうか、そんなことを考えている時間がこの上なく幸せだったのを今でも覚えてる。

教室にちらほらと人が集まり、朝会の時間まであと数分となったところで、ようやく彼が登場。席に座る私の前までまっすぐ歩いて来ると、いつも冗談ばかり言う口はこう言った。

「寝坊した」

彼は、約束の時間はおろか、その一言以外なにも話さなかった。そのまま私のひとつ前、彼の席について、クラスの男子と談笑し始める学ランの背中を見ながら、私はこっそり『金閣寺』をなぞる。そういえば『金閣寺』は、最後までわけのわからない話だった。

「話があるから明日早く学校に来てほしい」とは、一体なんだったのか。私のことをどう思っているのか。なんでずっとこっちを見ないのか。式が始まる前、式が終わった後、HR(ホームルーム)、みんなで写真を撮ったあと、ちらほらと生徒が散って行く中で、なんどもなんども「今、聞こう。今、聞こう」と思ったけれど、家路に着くまでとうとうなにも聞けないまま、私はその約一週間後、進学のために上京した。

彼もまた仙台の大学に進学して、私たちは本当に離れ離れに。なにも答え合せができないまま、18の恋は散ったのだ。

時が経って、22。風の噂で彼が東京のIT広告企業に就職することを知ることになる。ドラマみたいにもう一回なにかが再熱すればロマンティックかもしれないけど、私はもう、彼を追いかけようとは思わない。連絡先も、SNSもぜんぶ知っているけど、それでも私は毎日、原稿を書いたり、友だちとお酒を飲んだり、週末は映画をみたりする時間を自然と優先してしまっている。4年という月日は随分と私を癒し、そして竹内まりやではないけれど、彼だけが男じゃないことに気づかせてくれたんだと思う。

けれども春の足音が近づく度に、やっぱりあの日を思い出す。卒業式の日、私はなにを置いてきてしまったんだろう。

付き合ってくださいとか、あなたが好きです、とか。たぶん私は、そういうことを彼の口から聞きたかった。けれども、彼は「寝坊した」以外はなにも言わなくて、私はずっと彼の気持ちがわからなくて……でも、そんなことはきっと、私の置いてきた忘れ物じゃない。

「あの日、卒業式の日。彼の言葉を待っていた恋が、きっと最高の恋だった」

ホテルのダブルベッドに寝そべりながら、友人たちがもう次の話題に移ろうとしている頃に「人生で最高の恋」へのアンサーをようやく答えてみた。すると友人は、「報われなかったのに?」と、もうその恋が時効であることをわかったうえで意地悪く笑う。

そう、私の恋はあまりにも空回りで滑稽で、そして報われなかった。難解だった三島由紀夫も、退屈だった数学も、気合を入れた前髪も、すべて徒労と杞憂に終わった。それでも私はこう思いたい。

「報われなかったからこそ、学びがあったのかなって」

もちろん、彼が私を呼んだ理由を話してくれたら、今頃私たちはどうにかなっていたのかもしれない。いや、どうにもならなくても、ちゃんと話をしていたら、こんなふうに後ろ髪を引きずられる気持ちにはならなかったんじゃないか。

思うのは、卒業式の日、やっぱり私は“待ってしまったんだ”ということ。彼の言葉を待つばかりで、「どうして呼んだの」とか「話ってなに」とか、それから、「私はあなたが好き」とか。そういうことを、言いたかったはずなのに言えなかった。きっとそれが18の私の忘れ物。春が来るたびに、身が引き締まる思いになるのはたぶん、あの恋があるからで。だからってわけじゃないけど、でも、

”今度は、きっと、ちゃんと言う。”

私の最低な恋の話は、時を経て今はちょっぴり優しい。叶わなかった過去の恋愛をこんなふうに書いたのは、時効だからではなく、むしろ時効にしたくないくらいいい経験だったから書き留めておいた。「どんな瞬間にも無駄なことはない」とはいうけれど、無駄にするかどうかですらきっとぜんぶ自分次第で。

さて、今年もまた春が来たわけだけど、なんだか恋の予感がする。

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【エッセイ】つまるところ

ジャムをつくるみたいにグツグツと……よく煮詰めてみたことたち
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コメント3件

素敵です。コメント書きたくなるほど。
池松さん、ありがとうございます。とても嬉しいです
読んでいて、少し泣いてしまいました。
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