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二度と会えないことは、喪失ではない

ニ度と会えない人を思い浮かべると、チクリと胸が痛むのか、じんわりと心が温かくなるのか。私は前者だった、随分大人になって『スタンド・バイ・ミー』を見かえすまで。これは、二度と会えない人を心の中に持つ人に向けて書いている。つまり私自身に向けて、書いている。

二度と会えないひとって、じつはこれまで出会ったひとの数の大半がそれに当てはまる。小中高で知り合った人が100人いたとしても、死ぬまでにもう一度会う人ってたぶん、10人くらいしかいないもの。

だから、二度と会えない人って本当は数え切れないんだけど、じゃあ「二度と会えない人を思い浮かべて」って言われると、数人くらいしか思い浮かばないから不思議。別れた恋人とか、仲が悪くなっちゃった友だちとか、死んじゃった人とか。

誰でもひとりやふたりくらいは思い浮かぶんだと思う、二度と会えない人。それで、二度と会えない人がたくさんいる中であえて思い浮かんだその人は、たとえ一瞬でも、自分にとってはすごく大切な人だったんだと思う。

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『スタンド・バイ・ミー』の主人公・ゴーディにも、二度と会えない大切な存在がいる。12歳のとき、彼のよき理解者としていつも寄り添ってくれた同い年の不良少年・クリスがそれに当たる。クリスは、大人になって立派な弁護士になったのだけれども、喧嘩の仲裁に入った際に刺殺されてしまう。

スタンド・バイ・ミーは、クリスの死を新聞で知った青年ゴーディが「1959年労働者の日の週末をかけて、12歳だったゴーディとクリスを含む4人の少年たちが死体を探しに行った記憶」を回想し、それを彼の小説として振り返る物語。

映画は、大人になったゴーディが12歳の冒険を振り返りながら書いた小説の文章で終わる。

“あの12歳の時のような友だちはもう二度できない。もう二度と”

この一文には、ゴーディーの「クリスが死んだ悲しみ」と「12歳の頃のような友人が自分の人生に二度とできない悲しみ」のふたつの悲しみが表れているんじゃないかと思った。思ったのだけど、エンドロールまで観て、それはゴーディ自身を悲しい人生に引き摺り込む理由にはならない、と知った。

エンドロールに流れるのはスタンド・バイ・ミーの主題歌、ベン・E・キングが歌う『スタンドバイミー』。そして、我が子たちと庭で少年のように駆け回って遊ぶゴーディの姿。あまりも有名な歌詞を改めてなぞれば、ゴーディが綴った「あの12歳の時のような友だちはもう二度できない。もう二度と」という言葉が、悲しみ以上に愛や情を唄っているような気がしてくる。

夜が訪れて 大地が暗くなるとき
 月明りしか見えなくなる
恐れはしない 恐れはしないさ
 ただ君がそばに そばにいてくれれば
 だから愛する人よ そばにいて 僕のそばに
そばにいてくれ 僕のそばに

死んでしまったクリスは、12歳の夏ゴーディの肩を抱いて「君はきっと大作家になるよ」と言った。親にコンプレックスがあって、自分には小説を書く才能がないと思っていたゴーディは、大人になると小説家になり、自分の子どもたちと庭で駆け回ったりしている。ミドルスクールを卒業してから10年以上、「クリスとは会っていなかった」と語るゴーディだけど、彼の心の中にはずっとクリスの存在があったんじゃないかと思わずにはいられない。

『スタンドバイミー』の歌詞、「そばにいて」をゴーディのクリスへの気持ちだとするなら、ゴーディはどんな気持ちで「そばにいて」を捉えているだろう。たぶんゴーディは、「いつでもすぐ会える距離にいてくれ」という気持ちではなく、ただずっと、クリスは心の中にいるとゴーディは捉えているんじゃないかと思った。「君がそばにいてくれれば (僕は)恐れはしないさ」というフレーズも、君(クリス)が心の中にいてくれれば、自分は小説家になるって夢も否定的な親の存在だって恐れない、とゴーディは捉えるのではないかなと。

まぁこれは完全に私の想像なのだけど、でもやっぱり、ゴーディがちゃんと小説を書いて、子どもたちと遊んでいるってシーンは、「ゴーディはクリスを喪失していない」ことを描くためにあったんじゃないかな。

二度と会えない存在を持ち、それを二度と会えないと認めているゴーディ。けれども、ゴーディの生き様に悲壮感はない。私は大人になった彼の姿からものすごい勇気をもらった。「二度と会えない」とは決して「喪失」ではないのだと思った。

二度と会えないこと自体に「悲しむな」と言いたいわけじゃない。別れた恋人とか、連絡先もわからないまま大人になった友だちとか、死んじゃった人とか、ぜんぶ一度でも大切だと思ったから悲しいのだ。

ただ、二度と会えないからと言って、「なにもかも失ってしまった」と悲しみに自ら拍車をかける必要もない。二度と会えなくても、心の中に残るものがわずかでもあるなら、悲しみよりも二度と会えない人が残してくれたものを見つめたい。胸中に抱くものは、悲しみと愛、ふたつがいい。

二度と会えない、けれども心の中で生き続けるものはありますか? 私は夏の夜自宅でサッポロ黒ラベルを開けながらひとり懐かしいものを思い出したらかすかに視界が滲みましたが、居直りでも虚勢でもなく、不思議と元気がでてきました。危うくニ度と会えない人が残してくれたものまで、見失うところだったなぁとちょっと反省しながら。

ニ度と会えない大切な人を思い出して、沈んでしまう夜がきたら。ちゃんと悲しんで、ちゃんと残してくれたものを思い出すんだぞ、と自分に言い聞かせている。

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