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茶道の歴史から、日常・これからを想う

「お茶」の歴史は、紀元前2700年頃の中国で、漢方薬の一種として飲み始められたところから、始まります。

日本に伝わったのは平安時代ですが、どのようにお茶が現代に至るまで、日本の生活に受け入れられてきたのでしょうか。

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805年(平安時代 延暦24年)
天台宗開祖の最澄、真言宗開祖の空海が唐から茶種を持ち帰り、比叡山のふもとに植えたことにより、日本に「お茶」は伝えられました。
当初は日本でもお茶は医薬品として扱われ、貴族や有力層のみが口にできたそうです。

確かな最初の記録としては、中国留学経験者の僧永中が、滋賀県にて嵯峨天皇に茶を差し上げたということが、『日本後紀』に記されています。


1191年(鎌倉時代 建久2年)
その後、臨済宗開祖の栄西が、中国から帰国した際、茶の種を持ち帰るとともに、茶の粉末を湯の中にいれてかき混ぜる「抹茶法」を伝えました。

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栄西がもたらした茶に直接由来する京都 栂尾山高山寺の茶は、その歴史的な由緒によって特別視され、さらにその系譜に連なるとされた宇治が、やがて日本の茶生産と茶文化の中心としての地位を占めるようになります。


栄西は、長崎県平戸の富春園に、日本最初の茶園を開き、福岡県と佐賀県との境にあたる背振山にも茶園を開いたと言われています。

お茶の効能の有名なエピソードとしては、1214年、時の将軍、源実朝が二日酔いで苦しんでいた時、栄西が茶を献じて、実朝の二日酔いがすっかり回復したということがありました。幕府の公式記録である『吾妻鏡』に記されています。

そのときに、源実朝に一杯のお茶と茶の効用を述べた『喫茶養生記』を献上するなどしたことから、お茶が武家社会にまで広まりました。



14世紀(南北朝・室町時代)
この頃には、茶は寺院から武家社会へ、さらに庶民の生活へと広がります。
もはや、茶は薬としてではなく、嗜好飲料として飲まれるようになり、喫茶の文化が定着していきました。
こうした喫茶文化の普及は、茶の需要を増加させ、その生産を地域的にも量的にも拡大させました。

16世紀後半(安土桃山時代)
この時代に、村田珠光武野紹鴎千利休らによって新しいお茶の礼式がつくられました。

村田珠光は、茶道の祖といわれ、一休に参禅したことにより、茶の湯に禅の思想を加えました。

有名な言葉として「月も雲間のなきは嫌にて候」というのがあり、完璧さだけがよいのではない、という心を表しているのだそうです。

珠光が創始した四畳半の和室は、全体の装飾を簡略化したばかりでなく、茶に集う人数を絞り込みました。

そのことによって、互いの親しみを深めあう、精神的な関係が大きな意味を持つ場として、高められていきました。

茶室の入り口が低く狭くなっているのも、お茶の前ではみな平等の精神で、の精神を示すためで、武士も刀を抜いて茶室外に置くような造りになっていました。

利休は武野紹鴎の弟子になったのち、織田信長豊臣秀吉と、時の将軍に重宝がられます。

この時代の茶道具は、お城一つに当たるほどの評価(金額)を得ていて、精神的な深みをもった美意識とともに、権威の象徴としても、捉えられていきます。

利休がめざしたのは、遊びの要素をできるかぎり拭い捨て、人びとの心の交流を中心とした緊張感のある茶の湯でした。

さらに自らの審美眼によって、わびの美にふさわしい数々の道具を創造するなど、それまでの茶の湯には見られなかった独創性を発揮して、侘茶(わびちゃ)を大成しました。(豊臣秀吉は、三畳間の柱はすべて金貼り、茶道具も金という、利休と真逆の思想です)

こうして、中国製だけでなく、日本製の和物の器も、徐々に使われるようになっていったそうです。

千利休の茶の理念は『南方録』にて、下記のように記されています。

「家はもらぬほど、食事は飢えぬほどにて足る事也。是れ仏の教え、茶の湯の本意也。」

利休の茶の湯は、表千家(不審庵)、裏千家(今日庵)、武者小路千家(官休庵)のいわゆる三千家(利休の孫 宗旦の3人の息子たち)によって、現在も受け継がれています。

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いままで、茶道は千利休が広めた、ぐらいしか知らなかったのですが、平安時代から鎌倉、室町、安土桃山から現代へ、と脈々とさまざまな形で、人々の生活に深く関わってきたのだというのが、理解できました。


わたしは、お茶室のあのなんともいえない、静かな空間が好きです。

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※映画 日日是好日より

季節の掛け軸を眺め、凛とした空気のなかで、コポコポとお湯を入れる音や、抹茶を点てる音だけが、静かに空間に響き渡る。

静寂の中に、季節の味わいを感じながらお茶を待つ、点てる時間。

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その時々で、季節に応じた甘い生菓子と一緒に、お茶をいただいて、ほっとする。

その、ゆったりとした時間が、日常の緊張を解きほぐしてくれる。

樹木希林さんが出演されていた、お茶の映画「日日是好日」で、まさにそんな空気感が、流れています。

「日日是好日」は、表面上の文字通りには「毎日毎日が素晴らしい」という意味である。
そこから、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、さらに進んで、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだ、と述べているなどとする解釈がなされている wikipedia



本も出版されています。



日頃の所作、行動、考え方を見つめる、とてもいい空間と時間。
ヨガを行っているときと似ています。


「お茶」自体は中国がルーツですが、「茶道」が現代まで発展し続けているのは、日本独自の文化です。

そんな日本人のこころを、これからも大切にしたいな、と思います。 


今日も素敵な一日を、お過ごしください。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!スキ💛コメント、とても嬉しいです💛