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「ボクのかぞく」/ 最期に思うこと

2/22 猫の日に、
猫をテーマにした3曲入りの歌作品「猫と暮らせば、」をリリースした。
リリースに至った経緯は省略するが、
そのうちの1曲、「ボクのかぞく」が
かたちになるまでのことを綴ろうと思う。
(歌詞について、言及します。)

3曲収録されたうちの、この「ボクのかぞく」に関しては
一般の方から応募していただいた猫の動画や写真を編集して
ミュージックビデオもつくるということになったのだが、
今、思えば、ちょっと無謀だったのかもしれない。

私のように無名の、いち音楽家が告知したところで、
素材がどれだけ集まるかわからない。
かつ、今回は「猫の素材」限定だし、
集まったところで、歌詞にぴったりくるものが揃うとも限らない。

それでも、今回、この曲は
どうしても映像にしたいという強い想いがあった。
その曲のテーマが、自分が生きてる間に、いつか歌として表現したいと思っていた
“保護された猫の一生を描いた作品”だったからだ。

動物の殺処分の問題にも長年心を痛めていた。
一匹でも多くの動物が幸せに暮らせるよう
自分ができることはなにかないだろうかと考えた時に出た結論は、
やはり、私の場合は「音楽で」何かを表現することだった。

音楽そのもので、人の命も動物の命も救えないことは
痛いほどわかっている。

それでも
このことは、世界中に溢れる問題の一つにしか過ぎないけれど
自分にできる小さなことの一つとして、
この問題に少しでも多くの人に関心を持っていただくために
何かをしたいと思った。
この作品がそのきっかけになればいいなと思った。

万が一、素材が揃わなければ
我が家の猫たちをそのシーンに合わせて撮影することもできるのだし、
猫を飼っている友達に声をかけてみることもできる、と、
とりあえず猫ちゃんの写真と動画の募集を開始した。

すると、大変ありがたいことに続々と素材が届いた。
どれも魅力的だった。
猫ちゃんとのエピソードも添えていただいたこともあり
それらに目を通しつつ写真や動画を拝見すると、
より親近感のようなものが湧いたし、
飼い主さんがなぜ、応募用にその素材を選んだのか
その理由も猫を飼っている者の一人としてわかる気がした。
っていうか、本来、猫というものは
ひとりひとり、どんな個性を持っているかに関係なく、
どのコも愛らしい存在なのだと改めて感じた。
(人間もだけど…)

しかし、いざ、素材を曲に合わせて並べてみよう!と思いきや、
実際に目の前に素材が並んだところで
どうやって配置したらいいんだろう・・・?

うぅ・・。
時間もあまりない。

とりあえず、どんな猫ちゃんがいるのかよく観察して、カテゴライズしてみる。
外猫ちゃん、家猫ちゃん、
ひとりでいるコ、複数でいるコ、
遊んでるコ、寝てるコ、(見た目が)おっとりしてるコ、凛々しいコ、
ずんずん歩いているコ、ユニークなポーズをしてるコ、
じっとこちらを見ているコなど、
実にバラエティに富んでいる。

む。。
時間がなくなってきた。

とはいえ、最終的な動画編集はプロの方に依頼することになっていたものの
おおすじの流れは自分でつくってみたかった。
(だってよくよく考えたら、不安もあるけど、絶対絶対楽しそうだもん❤︎)

そして、動画制作に関しては全くの素人の私、
試行錯誤するしかなく、
素材を貼ってみては再生、貼ってみては再生、貼ってみては再生、、、
延々とこの作業の日々が続いた。

答えが早く見つかってほしい

けど
難しい、、、

でも
孤独じゃない。
むしろ楽しい。

だって、愛らしい猫たちが目の前にいる。

なんだかんだで完成に近づいてはきたが、
最後の最後まで、どの写真を用いるのかを悩んだシーンが1かしょあった。

それは「死」を彷彿させるシーン。

そもそもこのように、
「死」をつきつけられる作品は
私にはつくれないと思っていた。

この「ボクのかぞく」は
冷たい雨が降りしきる中で保護された猫の一生を描いている。
そのシーンを思うだけですでに胸が痛い。

そして、

ー動物は、いつか必ず、死ぬ。ー

*****
2016年に
生後1ヶ月から飼っていた猫(名前はこたろう)が18歳で死に
しばらく、もやっとした気持ちを抱えていた。

さらにその5年ほど前
結婚を機に家を出ることになった私は、
様々な事情により、彼を実家に残すことになり、両親が面倒をみてくれていた。

最後は看取ることができなかった。

亡くなる半年ほど前から点滴を打っていた。
それはある意味延命治療だったのかもしれない。
もう、なす術もなくなり、死を待つしかなくなってしまった。
父は、彼が亡くなる前から、
「もう死ぬのを待つしかないのか、、、」と車を運転しながら涙を流していた。

そして最後も、、、苦しかったと思う(こたろうも父も)。

いろいろな後悔が押し寄せる中で、
ペットの死についての歌なんてかけるのだろうか。

正直なところ、
作品づくりをとおして
「ペットの死」というものに向き合わざるを得なくなることがイヤだった。

聴く人の状況によっては
(例えば過去に辛い仕方でペットの死を経験したことのある人などに)
悲しかったことを思い出させてしまうかもしれない、
痛みを与えてしまうかもしれない、
非難されたらどうしよう、、、
そんな怖さもあった。

それに、これまでにも、
動物が死んじゃったり、いなくなっちゃったりする歌はいろいろ聴いてきたが、
それにでさえ、心がきゅっとつかまれる思いがするのに、
自分にかけるはずがないと思った。

でも、
今、かかないで、いつかけるだろう?

今までだって、たくさんの曲をつくってはきた。
つくってはきたけど、発表してこなかった曲はたくさんある。
でも、生まれてきたいと、生まれてこようと、
いわゆる陣痛まで起きているのに、
かたちにしなかったことはないし、
もしもそれをずっと身体のどこかに留めておかないといけないとしたら
それは、私にとってもかなりの苦痛だ。

さらに、この場面から離れることは
表現者として、一種の(悪い意味での)逃げのようにも感じる。
だから、ここはちゃんとこの場面に向き合わなくては!

もやっとしたものがずっとお腹のあたりにうずくまっているんだもの。
いやだなぁ・・・。
この、もやっとしたもの。

でも、このもやっとしたものの正体は
もしかしたら、生まれてきたい“歌の命”なのかもしれない。

そして、悩みに悩んだ結果、
それがかたちになって生まれてこようとしているのなら
生むしかないのだと思い、
覚悟を決めた。

*****
こたろうが死に、ペットロスで苦しんでいた時
同じようにペットを亡くした友人と時を過ごした。

慰められはしたけれど、
今だに私がそうであるように
あの時ああしていれば、、、なんていう罪悪感を感じている友人もいる。

あれこれ考えているうちに、
小学校の時にちゃんと犬の世話をしなかった後悔が押し寄せてきたりもして
眠れなくなったりもした。
あれは動物虐待だったんじゃないか、なんて思いながら
泣きながら、悔やみながら、ベットにうずくまった。

でも、、、
でも、、、

痛くても、苦しくても、今の自分にできることを考えるしかない。

綺麗ごとかもしれないけど
ペットはたとえどんな死に方をしたとしても、
大好きな飼い主さんと暮らした日々を幸せに思うはずだ、と思った。
そのことを信じたいだけなのかもしれないけど。

動物の気持ちなんてわからない。
真実のところはそうなのかもしれないけど。

でも、
せめて、
私は、
動物のことを本当に思っている心優しい友人や、
私の知らないやさしい誰かに伝えたいと思った。
悔やまないでほしいと。
もう十分苦しんだのだから、これ以上苦しまないでほしいと。

そして「ボクのかぞく」を
覚悟を決めてつくった。

覚悟を決めてからはすらすらとかたちになっていった。
そうそう、これは私の歌じゃなくて
猫を飼っている人たちの歌なのだ。
そんなふうにして、
自分の中に重苦しいものを抱えないようにしていたのかもしれないけれど。

しかし、最後の1行の欄に
しっくりくる歌詞が思い浮かばない。

そこでは
「死ぬ間際に、ペットが飼い主さんに対してなんと言うか」を
綴ることになっていた。

「ボクが死んでも悲しまないでいて」なのか
「笑顔を見せて」なのか
「ありがとう」なのか
「さよなら」なのか
「大好きだよ」なのか

たくさんの言葉を書いて、歌って、消して、
書いて、歌って、消して、の繰り返し。

見つかってほしい!ぴったりの言葉が!
最期の最期の最期の言葉が!!

そして、
結局、見つかった私なりの答えは、

しあわせに ゆ(逝)きます」
だった。

その言葉が生まれた時
涙がどっと溢れた。

もともと正解不正解なんてない世界。
嘘だと言われるかもしれない。
でも、たとえ誰かに責められるとしても
私には、これ以上の言葉を見つけ出すことができなかった。

こうして、歌が先に出来上がったはいいものの
実際にミュージックビデオをつくるにあたって、
そのシーンに合わせる写真を決めることがとても難しかったのだ。

最初に私が選んだ写真は
死んだ我が家の猫こたろうが花に囲まれている写真。

ここはとてもシリアスなシーンだ。
たくさんの人たちに意見や感想を求めた。
合わせる素材によって見え方が、聞こえ方が全然違ってしまう。
すると、すべての人ではないが
「死」というものがリアルに感じられてちょっと辛い、、、
という意見が上がったのだ。

「・・・・・・」

そうか。。。
確かに、私はもうこの写真を何度も見てるし、慣れもある。
見た目も、ただ猫が花に囲まれているだけで、消して重苦しいわけではない。

しかし、よくよく考えてみたら、
もし他の猫ちゃんの死んじゃった写真が、
歌の最後の一番シリアスな部分にばーんと出てきたら
ちょっと衝撃が強いよあぁ。

そうだ、そうだ、確かにそうかも・・・!

客観的な意見はとても大切。
そもそも仕事に、私情を挟んではいけないのに、
私はここに自分の死んじゃった猫の写真を持ってくることで、
何か、救いのようなものを求めていたのかもしれない。
この悲しみを、辛さを、痛みを誰かにわかってもらいたかったのかもしれない。

・・・最低だな。
私としては、絶対にしたくない仕事の仕方だ。

私ってだめだな、、、
と深く反省した。
長く音楽を作ってきた者として、自分にがっかりもした。

結局そこのシーンには
私が腕の中に抱いている、生きてる時のこたろうの写真が使われることになった。
それでも「死」ということはリスナーに十分に伝わることがわかったからだ。

私は作品を完成させた後は
自分の作品を聴くことはほとんどないのだが
(その時にはすでに次の作品のことについて考えているから)
この作品はたくさんの愛らしい猫が登場する、
それが純粋にとても嬉しいから何度も観てしまう。

でも、
いまだに心がちくちくすることがある。
仕方ない。
このちくちくを誰かとシェアさせていただくことでしか
たぶん前を向いていけないのかもしれない。

同アルバムに収録された
「猫と暮らせば、」「フラッフィーガール」という別の曲たちも
猫との暮らしについて歌っている。

どちらも、もちろん、この「ボクのかぞく」も
猫との暮らしが私たちにどれだけ豊かさを与えてくれるのかを
歌っている(と自分では思っている)。

そして、そのことに目を向ける時、
どうやったって、
どうしたって、
心ごと、"にまにま"しちゃうの。

やっぱり猫と一緒に暮らしたいって思うの。
気を張らずに、ゆる〜く一緒にいられて、
“食べる、寝る、遊ぶ”、の日々がとても幸せそうでね、
気づけば時に日常の中で痛んだりするひりひりした心も和らいでしまうの。

それだけの魅力を持っているのが猫。

だから、
結局のところ、
私がいいたいことは、

「猫は最高」だってこと。
 
私は、ここを超えて
また違う作品づくりにこれから向かってゆくのだけれど。

新しく迎えた猫もそばにいるし、
この機会にあらたに友達になれた猫好きさんもいるし、
ちくちくしながらも
前を向いて、進んでいけたらいいなと思うの。

もし、ちくちくしたってね、
猫の頭をなでなでしながら、ふわふわなおなかに顔をうずめて、
ちょこっと泣いて、頭はなでなでしたままでね、
そのまま、一緒に眠ることだってできちゃうんだから。

だから、

猫との暮らし、
みなまもいかがでしょうか。

*****
最後まで読んでくださってありがとうありがとうございました。
また写真や動画をお送りいただいたみなさまをはじめ、制作に関わってくださった関係者のみなさまにも、心から感謝申し上げたいと思います。

あと、
私、

実は、

犬も好きです・笑。

「猫と暮らせば、」特設サイトをつくりました!


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