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お別れのことば

今日、見知らぬ名前の女性からお手紙を受け取った。
ていねいに書かれた文字、白い封筒には愛らしいうさぎのシールが貼ってあり、差出人の温かなお人柄が伝わってくる。
なんだろうと開けてみたら、綴られていたのは東京でライターをしているOの訃報だった。差出人はOのお姉さんで、わたしが出した年賀状を見てお知らせをくださったのだ。一昨年に急性白血病を患い、昨年3月に逝ってしまったそうだ。もう長く会えておらず年賀状をやりとりするだけになってしまったし、その年賀状だって忙しいときはやりとりできない年もあったので、Oがそんな病気にかかっていたことさえ知らなかった。わたしはOが亡くなって7ヶ月もしてから呑気に「元気ですか?」と年賀状を送ったことになる。

Oはわたしが24歳の頃、1年だけ一緒に働いた東京の会社の後輩だ。わたしたちは小さな広告会社で営業を担当していて、本と映画が好きで、ふたりとも将来は文章を書くことを仕事にしたいと思っていた。
大学時代から一人暮らしをしていたOは一人遊びが上手で、ホームシックに悩む一人暮らし初心者であるわたしの憧れの存在でもあった。自分が喜ぶ料理を自分でつくること、一人で映画やお芝居を観に行くこと、人間のもつ歪さや不器用さをその人のチャームポイントとして愛でることは、彼女の日々の姿から教わったことだ。

あの頃のわたしは、大恋愛したけれど速攻ふられたり、毎晩12時すぎまで残業が続き昼も夜もロクに食べられなくなったりと、プライベートも仕事も散々な人生の暗黒期にいた。お金もなかった。けれど、何よりきつかったのは漠然とした将来への不安だったと思う。いったい自分は何ができるのか、将来何者になれるのかがわからない。「自分は本当にものを書く才能があるのだろうか」と、いつも不安だった。
Oともよくそんな話をしたと思う。飲んで騒いだりケーキを爆食いしたり、オールナイトの映画に行ったり本を薦めあったりしながら、いつも落ち着いて優しくてでもファンキーな一面を持つOに憧れ、癒されてばかりだった。けれど、大人になって振り返れば、わたしたちは同じ不安を抱えていて、肩を寄せ合って震えていたのかもしれないなと思う。

いろいろあってわたしは1年で地元の京都へ逃げ帰ったけれど、滋賀出身のOはそのまま東京に残って転職し、大きな出版社の有名な雑誌のライターになった。まだネットなど存在しておらず、情報誌が存在できた時代の話だ。数年後にわたしも京都で無事ライターになり、わたしたちはふたたび同業者になった。わたしが仏像を取材しているときに、Oはトレンディドラマの主演女優さんを取材していて、そのギャップが面白かった。そしてふたりとも願っていた仕事につけて「何者かになれた」ことを、嬉しく誇らしく思った。

結婚したりパートナーができたり、京都と東京の距離もあって、わたしたちの交流は薄れてしまったけれど、Oはずっとわたしの憧れの人であり、戦友だと思っていた。音信不通になったときがあったけど、互いに探して繋がった。音信不通のときでさえずっと「どうしてるのかな」と思っていたのに。また繋がることができてとても嬉しかったのに。Oが向こうの世界に旅立ってしまったことさえ気づかす、元気にしていると思い込んで暮らしていた間抜けな自分が悔やまれる。そして、病気になったときに連絡をもらえないほど離れてしまっていたんだな、と改めて後悔した。

当たり前だけど、全く実感が湧かない。
お姉さんとグルになってイタズラしてない? なんて思いたいけど、「またまた〜そんな悪趣味なイタズラしませんって」って空の上で笑うだろうな。

O、ありがとう。あなたと過ごしたあの1年を、ふたりで笑いころげながら歩いた東京の夜を、わたしは生涯忘れないよ。今はそっちでのんびり、好きなだけ本を読んでいるかな。わたしもこっちで精一杯、読んで書きますね。
いつか、どこかで、また会おうね。


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