なんで楽しくもないのにやってんのか。

ここのノートの存在、すっかり忘れてました。

最初使い方が全くわからず、放置したせい。

ここは1番徒然に本音書いて見ようかと思って誰も知らせず開設したのに、少しずつフォローしちゃってる。まあ、いいか(笑)


今朝も考えてた。

あー。言葉が逃げた。

起きがけすぐにつらつらと言葉になっていたのに。

そして、コアな事だから自ら逃げたり避けたり忘れたりするみたい。

家にいる人の言葉や気配があると、脳みそがその場に行かない。

だめだ。多分。

今、書けないな。

それにつけても行間の広さよ。

スクロール面倒くさいわ、これ。

今浮かんでることを書こう。

「楽しんで!」が、わからない。

未だわからない(深く理解し体得出来てない)言葉がたまにあるが、

「楽しんで!」がまだわからない。

少しわかりかけたこともあったけど、掴み切る前に逃げられた。

個展の準備、これも全く楽しくない。

楽しくないどころではない。

考えてただけで、今も涙が浮かぶほど苦しい部類の作業。

私は写真を、撮るのが好きだけど、写真を発表するのは好きではない。

むしろ、嫌いだ。

じゃ、なんでやってんの。と言われるだろう。

少し前、誰にも見せず撮りためた作品が溢れそうになる頃、このままじゃ何かかまずいなと感じていた。

知り合いの写真展を見に行き、そこで溜め込んだ写真の話をして

「このままじゃ病気になるかも?(笑)」と笑って言っていた。

数日後、大きな子宮筋腫が見つかった。

胎児の頭位あるらしい。

「思いも言葉も写真も、溜め込んだそれらが私に気づかれないところで固まった」

と、そう思った。

そこで初めて「あー、私が今死んだらこれ誰にも気付かれずに処分されるんだな」と気づいた。

家族もそこはノータッチだ。

そして、「思いも言葉も写真も」表に出してあげよう。

と思った。

言葉も思いも、まだ上手に出せないけど、

写真だけは出してみたら、思いの外受け入れて貰えた。

「すごく良いね!」

「ぐっとくる」

「カッコいいね」

「すごいね」

「なんか怖い」

「怖いくらい綺麗だね」

「あったかい」

「人の記憶に侵入する」


人に合わせる事は物心ついた頃からやってきたので簡単に出来る。

だけど、私のいちばん内側のものを晒すのは全くやってこなかった。

反応が怖かった。

だけど思ったよりも皆、肯定的に受け止めてくれた。

賞も頂けた。

多くはないけど、気に入って買ってくださった人も居た。

少しだけ、少しずつ、写真を通じて、内側をさらけ出した。

未だに時々怖くて仕方なくなる。

今もなぜか泣いている。

楽しげな事はしてるし、実際楽しかった事もたっくさんある。

でも、本当の意味で楽しいをまだ、知らないのか、それとも私が求めるものが大きすぎるのか?

多分後者なのだろう。

なんで嫌なのに個展とか作品発表してるんだろうと。

楽しめないのにやってんだろうって。

写真を撮ること自体はやらざるを得なくてやっている。

内側からの願い。切望。意識なしの衝動。

だけど、表に出すことは…。

今からでもやめてしまいたくなる。

「やめてしまえばいいよ」と言われることもあるが、私がそれを本気で思えなければ、あまり意味がない。

でも思い返せば、個展自体をやって後悔したことはない。

(金銭面ではあるけれど…)

やると一度決めたから、やるだろうけれど。

現時点、泣き言しかない。

美術館の時はお友達の一言から始めた。「じゃ。やるわ」と。

今回はそのモチベーションもない。

「嫌だー!」と叫びながら、地の果まで駆けて行きたい。

そして地球から落っこちてしまいたい。

はぁ、ここで吐き出したからと言って、何もならない。

なんかやるか。

それが写真の事でも生活の事でもいいから。

(今、生活の事をやるのは逃げ)

↑わかってるけどね。

そして、とてつもなく面倒くさがりな私が、

「こつこつ」の意味をやっと今朝、理解しかけたのでそれをやるしかないか。

だよな。

なんかしら、写真の事をやるわ。

やりゃーいーんでしょ。

やるわ、多分(笑)

















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