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ゲイカップル疑惑、無銭飲食事件、まさかのモテキ到来!?…入院時代の思い出話

こんにちは、カイダです。
病気を患うって本当に大変なことですよね。

完治の見込める病気だってめっちゃ辛いのに、終わりの見えない難治性疾患なんか罹患した日にはも~大変。

潰瘍性大腸炎を患う私にとって治療の為の長期入院はよくある話で、そんな時に経験した入院生活の面白おかしく時にシビアなお話を少しだけ。

ということで、こんなツイートをしてみました。

中学生の時の友人にばったり。
盛り上がる話はなぜか自分の入院の時のものばかり。

友人との話で色々と思い出した。

・毎日見舞いに来てくれる友人Kとのゲイカップル疑惑。
・夕方の私の病院食を勝手に食うだけ食って話もせずに帰る友人A。
・モテキ?某進学校の女子が集団で何度も見舞いに来る事件。
・患者のいじめ等々

本当はまだまだお話ししたいエピソードはありますが、多すぎてもだらけそうなので、上記内容に絞って1つ1つお話していきます。

■その前に…潰瘍性大腸炎ってどんな病気?

潰瘍性大腸炎とは、大腸の粘膜に潰瘍やびらんなどの慢性的な炎症が起こる病気です。

潰瘍性大腸炎は、炎症の広がりによって直腸炎型、左側大腸炎型、全大腸炎型などに分けられ、炎症の程度により症状も異なります。

私は全大腸型の慢性激症タイプで、つまり最もやばい状態って感じです。

詳しい解説はこちらからどうぞ。


それでは、本題に入っていこうかと思います。

毎日見舞いに来てくれる友人Kとのゲイカップル疑惑

このエピソードは私がはじめて入院した時のお話です。

当時、潰瘍性大腸炎は今ほどメジャーな病気ではなく、多くの検査を受け病名が確定するまでに10日間以上かかったんだと思います。

そこからようやく本格的な治療開始といった感じとなります。

そうのような治療の遅れもあって、日常生活(お風呂・食事・トイレの3点セットを1人で済ませる状態)を取り戻すまでに1カ月半かかりました。

ちなみにその間、入院している医療機関職員の皆様にはものすごく丁寧にご対応いただき、今でも感謝しています。

■入院から2か月が過ぎたころ…

中学生の時のクラスメイトで友人のK(男子)が突然ふらりとお見舞いに。

当時、16歳だった私達は別々の高校に進学し、それ以来会うどころか電話連絡も取ることのない疎遠な関係でした。

そもそも、普通に仲は良かったものの、彼はサッカー部で私はバスケ部。
中学の時って、部が違うとなんかちょっと壁ってあったりしませんでした?

そんな感じで、気を使うほどではないけど、なんで来たの?と軽く疑問に思ってしまうような関係性。

■毎日のお見舞い

それからです。
友人Kは退院間際まで毎日お見舞いに来てくれるように。

私も時間の経過と共に状態も改善し、病室ではなく病院談話室で彼と会話を楽しむようになり、治療は大変ながらも笑顔でいられる時間が増えていき、充実した入院生活を送ることができていたのです。

■そんなある日の談話室で…

病院の談話室には毎日多くの患者さんが行き交います。
テレビやソファも備え付けてあり、患者の憩いの場所となっていました。

当然、私達のように毎日利用する患者さんも多く、すぐに顔見知りに。
その顔見知りの齢80くらいのおばあさんが突如…

あんたたち、付き合ってんの?

と、まったく想像をしていなかった質問をしてきたわけです。
私も友人Kも「はぁ?」といった感じだったんですが、気付くと周囲の皆さんの視線は私達に集中している。

この視線…まさか…

そうです。
そこにいる全員がそういう関係性なんだと見ていたようなんです。

当時から私はゲイやレズに偏見がないというか…興味がなかったのかな。
自分には関係ないことだしご自由にどうぞという感じでした。

そんな私と友人Kがそのような関係で見られている。
不快ではないが真実でもないので納得は行かない。

この誤解は解かねば!!ということで奔走する羽目になったのですが…
時すでにおそし…結局、この疑惑は解消されぬまま退院ということに。

なにが悲しいって、当時私は看護師Nさんに好意を持っており、なんとか気持ちを伝えたいと意気込んでいたんですが、「あの彼氏さんといつまでも仲良くね♡」と言った残酷な言葉で見送られる結末を迎えることとなりました…ちなみにKとは今でも仲のいい友人です。

夕方の私の病院食を勝手に食うだけ食って話もせずに帰る友人A

小学校から付き合いのある友人A。
同じバスケ部で技術はともかくメンタルの強さでスタメンを勝ち取る男。

この男、たま~になんですが、面会時間ももう終わろうかという夕方に突如現れたかと思うと、ベット横の台に配膳された私の夕食を食べ始めるんです。

「どうせお前食べないんでしょ。もったいないから俺食うわ」って感じで。

この男、小柄で華奢ながらその中身は豪快な人間で、際立った繊細さを持っているんだけど、漢気で通してくるようなカリスマ性のある奴でもある。

試合中、何度も声を荒げてAとはぶつかることもあれば、文武に長けたイケメンということもあっていけ好かなくもあったんですが、ここってときはいつもこいつが助けてくれたんですよね。

そんなAがふらっと立ち寄るのはいつも私の状態が悪化しているとき。
状態が良くないので飯も食えないし、体を起こしているのもつらい状態。

Aはそういった時にだけ現れる。
進学校に進み勉学だけでなく部活でも忙しいAに見舞いの時間はないはず。

しかも私の体調悪化をどこで把握していたのかいまだにわかりません。

2度目の見舞いからは、病室にふらっと入ってきたかと思えば本当に一言も発さず、ただただ、そこにある飯を許可なく食って帰るだけ。

さよならもなければ、またな!!の一言もなく…

でも、それがありがたかった。

モテキ?某進学校の女子が集団で何度も見舞いに来る事件

入院2度目の夏の話です。
17歳になった私は入院生活にも慣れ、状態の悪さに辟易しながらも、その現実を受け入れ淡々と過ごす毎日でした。

■そんな時、突如女子高生の集団が見舞いにやってきたのです。

聞けば全員、前述のただ飯食らいAと同じ進学校に在籍する生徒達。
で、女子高生達の顔を見渡すと、知っている顔は2人いるものの、あとの人達は誰ですか?状態でした。

顔見知り2人のツレなんだろうけど、大人数で見舞いに来るなよ…(泣)

そのうえ、見舞いに来てくれたはいいけど、持ってきたお菓子を病室で広げて勝手に女子会をはじめるというカオスな状態…

当時、私は病院食以外口にできない状態でしたので、女子高生たちが美味しそうなお菓子を食べながら楽しくしている姿をただ見るだけという、まさに拷問中の拷問でした(笑)

「ありがたいんだけど、帰ってくれよ」

これが当時の私の口癖。
本気と書いてマジで帰って欲しかったんです。

しかも、なぜか人数分のジュースを自腹で買うのがいつの間にか決まりごとになっていき、5人も6人もいると600円以上…それが毎回…高校生の私にとっては大問題でした。

そんなブームも過ぎ去り、徐々に女子高生集団の見舞いが落ち着いた頃、今度は突然その中のメンバーの1人、おそらく1度も話したことのない女子がたった1人でお見舞いに来てくれたわけです。

外見はそうですね…例えると漫画ろくでなしブルースの千秋かな。
いや、例えコア過ぎるよっていわれそうなんですが、マジで似てたんです。

物静かで白くてほっそりしてて、本当にかわいい人でした。
そんな子が毎日お見舞いにくるようなったんです。

ただ、自分の中ではなぜ?なんですよ。
だって当時から自覚していたんです。自分のブスさに。

なので、なんの目的で来てるのかわかりませんでした。

しばらくその女子高生はお見舞いに来てくれたんですが、来てもほとんど口を開かないんですよね。

ということで必死で自分が話しかけていたんですが、ある時プツンともう来ないでくれるかなって伝えてしまったんです。

その時の自分は、彼女が無理して自分を励ますために来てくれていると勘違いしており、そんな迷惑はこれ以上かけられないよなってことでお見舞いはもう遠慮してほしいと告げてしまいました。

あとでわかったことですが、彼女は私に好意を持っていてくれたんだそうです。数少ないブスな自分のモテチャンスを逃したお話です。

患者のいじめ

最後に患者のいじめのお話です。

患者間のいじめって結構あります。
最近は病状をギリギリコントロールできており、入院に頼らないケアをしているため、今もまだそういったいじめが存在しているのかは知りません。

でもね、当時はありました。
しかもマジかよってやつが。

長期入院になってくると、患者のコミュニティができていきます。

で、そのコミュニティの中でいじめの対象になったのが17歳の私です(笑)
当時、入院するくらいだから衰弱しているわけです。

衰弱してると反抗どころじゃないんですよ。
とりあえずふつふつと沸く「動けるようになった時は覚えてろよ」って気持ちだけが支えになるんです。

■実際、どんないじめがあった?

1番覚えてるのが、深夜の談話スペースへの呼び出しですね。
自分以外は成人だったので、ほとんどの患者がそこで煙草を吸ってました。

で、呼び出されフラフラで行くとそこに正座なって感じから始まるんです。

行かなければ翌日コミュニティの偉いやつ(浴衣風病院着を大きくはだけさせた40代のおっさん)が病室にきて忠告していくんですね。

次、来なかったらわかるよな」的な感じで。

ここ病院だよな?治療や療養目的で皆来てるんだよね?
って何度も疑いましたよ。

ただ、あるんですこういった無茶苦茶なこと。

しかも絶望したのが談話スペースの目の前が詰所で、自分の担当医がそこを出たり入ったりしていながら、見て見ぬふりをしていたことです。

あっこれはやばいなって思いましたね。
自分でなんとかしないと続くぞって。

で、考えたわけです。
足掻いたところでそこに生産性はなにもないと。

ということで転院しました。
本当はやり返したかったし、自分の中では逃げちゃったなぁって後悔がしばらくありましたが、あれが正解だったと思います。

と言った感じで患者間のいじめはありました。

あんまりへこたれない私だったから、そこまで深刻にはなりませんでしたが、あのいじめの対象がほかにいったときはどうなったんだろう?って怖さはありましたね。

どこでどんなふうにこういった問題に直面するかわからないので、皆さんもお気を付け下さい。

やばい、随分長くなったかな。
ということで、こんな入院生活の思い出がありましたといったお話でした。

それではまた。


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