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交通安全1月参加作品:   私もしました 免許返納

(注)上の写真は私の生まれた門前町にあります交通標識であります。
   説明: 当八日町通りは参詣観光の要路
       にして善男善女の「思いやり」
       通りなれば
       一、老若男女を問わず歩行
         者を優先すべし。
       二、軒先に駕籠(自動車)馬(バイク)
         を長く停むべからず。
       三、早駆(速度違反)は、常に
         すまじきこと。
           井 波  警  察  署
           区 域 交 通 安 全 協 会

   「交通安全を願う輪」このサークルの参加作品です。
   Jオヤジさんを筆頭に活動中です。


   

私もしました免許返納(その1)

私も令和元年(2019年)5月、78歳の時に免許返納を致しました。
同時に8年間近く使用していた車も売却して、車庫には空いた空間だけが残りました。
免許返納して既に3年近くになりますが、これまでの経験を総括してみたいと思います。

1.免許返納の動機

当時は高齢運転者による自動車運転事故が様々なマスコミで報道されていました。

今もその流れには変わりはありません。
そして私自身もさることながら、家族の方からの運転取りやめ要望が出始めたことから、今が潮時ではないかと考えて免許返納を決断するにいたった訳であります。

その時には、運転をつづける場合のメリットとデメリット、運転を止める場合のメリットとデメリットなどを考えました。

この辺りの問題は人それぞれの置かれた環境や立場がありますから、一般論はないと思います。

が、どのようなメリットもデメリットも、人身事故を起こしてしまえば全てが単なる机上のあるいは空想の絵空事でしか無いのではないかと思えてなりませんでした。


人様を傷つけてしまえば、もはや空想の世界は一瞬で消え去ってしまいます。


万が一自分が人身事故でも起こしたら被害者の方に対する言い訳の出来ない、あるいはどんな言い訳も通用するとも思えない自分自身の「加害者意識」こそが最大の問題になるだろうと感じたのであります。

もちろん加害者としての自分が被害を受けた人に、
どのように対応出来るのか?
どんな顔をして被害者の方と話が出来るのか?
・・・
等々の切羽詰まった状況も想像しました。
そのような想像は、私の自動車運転意欲を減ずる大きな要因となりました。

このことが私の決断を強く後押しいたしました。
私には、他の選択肢が見つからなくなってしまい、免許返納へと急速に傾いてしまったのです。

2.免許を取りそれまでの運転生活を維持するのか? 
免許を捨ててどんな新しい生活様式を構築するのか?


免許をそのまま続けてこれまでの生活を維持することは私にとっては、ごく自然な進むべき方向に間違いありませんでした。
当面、失う物も無く「生活の質」も更なる努力次第では、もっと質の高いものにする事も可能であろうと思えました。

一方、免許を捨ててしまった場合の新しい生活様式には、不透明で苦痛の多い生活が強いられるのではないか、と言う疑問が払拭出来ませんでした。

それは例えば買い物一つをとっても、車のない生活では雨の日も風の日も雪の日も重い買い物の品々を歩いて運ぶことの大変さを思いやられました。

(車に比べて不便極わまりない)バスや電車での移動は、これまでの生活スタイルからは想像を遙かに超えた苦難の業とさえ思えました。

さらにしばしば出掛けていた旅行や温泉泊等にいたっては、ほとんど絶望的にさえ思えました。

こうして新しい生活様式は、きっと苦難に満ちたものになるに違いない、との確信が満ち満ちてきました。

それでは、どうするのか、、、次回に続きます。


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