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Chapter.1 初めてのオトコ(3286字)

 自分が、「男の好きな女である」と気づいたのはいつだろう。

 男が好きな女、女が好きな男、男が好きな男、どっちでも構わない女、どっちでも構わないどっちでもない人、65:35くらいの割合で男を好むどっちでもある人など、性愛の方向性はいろいろあるわけだが、私は今のところ「男が好きな女」である。精神的にも肉体的にも、恋愛感情が向くのは男性だ。
 それに自覚的になったのはいつだったか。
 実は、思い当たるポイントがある。「こういう男に選ばれ、対になる女になりたい」と明確に欲した瞬間のことを、私はよく覚えているのだ。9歳の時のことである。
 恋ではなかったと思う。ときめくとか切ないとか、あるいは触れたいとか、そういう感情が付随する意欲ではなかった。ならばあれは、「自分はこれから、こういう方向性で人を欲し、生きていくのだ」という強烈な自覚だったんじゃないかと思うのだ。

 小学3・4年生の時のクラスメイトに、ものすごく〝キレる〟男の子Fがいた。成績優秀、スポーツ万能。特にハンサムではなかったが、筋肉質で体の均整が取れており、実際の身長よりも大きく見えた。
 私は、3年で彼と同じクラスになったその直後から、彼に一目置いていた。先生に向かって何か発言しているのを見たその瞬間にわかったのだ。この子は、ウンコウンコと騒いでいる他の男子どもよりも圧倒的に先を行っていると。
 とにかく精神が大人だった。彼には、他の男子には見られない心の余裕と、その余裕から作られたユーモアセンス、そして物事を俯瞰して見る成熟が備わっていた。雑学知識もものすごく豊富だった。成績がいいとかスポーツができるとか、みんなが讃えるそんな要素以前に、私は彼のその優雅さを尊敬していた。
 そもそも男子の成長は遅い。8歳や9歳の男子なんて、成長の早い女子から見れば5歳児の仲間である。その5歳児たちの中にあって、Fの大人っぷりは私の注意をひいた。話していて楽しい相手でもあった。私は9歳の時点で大変な頭でっかち+口達者に育っており、教師や、大人っぽい子と話す方が楽だったのである。

 〝その瞬間〟は、ある日の体育の時間に訪れた。小学生のみがやらされるあの謎の球技、ポートボールをプレイしていた最中のことだ。
 休憩中だったのか、単に私がサボっていたのか、とにかく私は男子の試合をぼんやり眺めていた。
 ボールがコートから出て、スローインから再開となった。Fがボールを持ち、ざっと辺りを見回してから、さっとボールをコートに投げ入れる。と、すぐさまコートに戻ってそのボールを自分で奪い、猛スピードでゴールの方に運んでいったのである。あっという間の出来事だった。

 その様子を見て私は突如、天啓を受けたように、「彼のペアになりたい」とひらめいた。〝こういう男〟に認められることが私にとっては大事だ、と思ったのだ。

 多分彼もわかっていなかったのだろうが、スローインしたボールを自分で取る、というのはルール違反である(バスケだと違反だから、ポートボールでもそうのはず)。しかしそれは、9歳の私たちの誰も思いつかないプレイの仕方であり、完全に虚をつくような、あざやかな動きだった。その姿に、彼の優秀さや成熟が、丸ごと表れている気がした。そんな彼と「セットにされること」を私は欲したのである
 これを書いたらギョッとする人もいるかもしれないが、私はこの時、「Fの子どもは、彼と同じように優秀だろうな」とさえ思った。もちろん具体的に、自分がFと結婚して、セックスして子どもを作って、などと想像したわけじゃない。ただ、「Fのような人間が増えるべきだ」と思ったのは事実だ。これはもう、雌としての動物的本能が思わせたのだとしか考えられない。私が、自分が「男を求める女」だと自覚したのは、この時だったと思う。

 先述の通り、これは「恋愛」っぽい気持ちではなかった。だから、その後も特にFに対してときめくとか、緊張するとか、そういったことはまったくなかった。当時から人付き合いの苦手だった私は、座席が近い人間としか喋ろうとしなかったため、彼と喋るのも、たまたま席が近くなった時だけだった。
 ただ、一度、クラスメイトの噂好きな女子から、「Fがみきちゃんのことを好きだってさ」と吹き込まれたことがある。

「F君に、あんたが好きなのはみきちゃんでしょうって聞いたんだ。そうしたら『うーむやっぱりわかってしまったか』って言ってたの。『あいつ頭いいだろ、性格もいい。顔も別に悪くないし。だから好き』だって」

 これについては、真相は違うんじゃないかと思っている。なぜかというと、その女子は典型的な女のガキ大将で、根も葉もない噂話を流しては人を陥れる困った奴だったからだ。私は彼女に嫌われており、その後も、父が死んで同情票が集まるまでしつこくハブられることになるのである。そしてこの時期、「誰それが誰それを好き」という噂話は、デマが7割くらいだった。むしろ、彼女は私がFのことを好きだと感じ、からかったのではないかと推測する。
 だから私は、これを聞かされても一切信用できず、「ふうん」と言ったきりだった。その手には乗らぬ、と体を硬くしたくらいだ。そもそも、「好き」という表現のこともまだよくわかっていなかった。
 しかし、Fが私のことを「頭がいい」と評したのだったらそれは嬉しい、と思った。Fの評価は信用できるからである。この女は話を盛りまくるから信用できないが、もしかしたら彼は「小池は頭がいい」くらいのことは言ったかもしれない。それを誇張してこう言っているのではないか。当時、体育以外の成績が極めてよかった私はそう考えた。そして、にわかに嬉しくなった。もしかしたら私はすでに、彼と「セット」になる基準を一つ満たしているのかもしれないのだと。
 しかし彼女のセリフを今見ると、「顔」への言及が最後というあたりに妙なリアリティがあるなと思う。当時の私はむくむくに太っていて、顔は常にオカメだった……。
 
 Fとは5年からクラスが別になり、喋る機会もなくなった。
 そして彼は小学校卒業後、当然のようにエリート進学校に進んだ。親が教育熱心だったのかというとそうではなく、あくまで自分で選んだ進路だったらしい。私たちが住んでいた学区は教育熱心な家庭が多く、お受験となると一家総出で上を下への大騒ぎをするのが当たり前だったのだが、彼の家はごく自然体だったようだ。親の送迎での塾通いが当たり前の中、Fは一人で飄々と塾に通っていたという話を後に同級生から聞いた。そんなところもイカスじゃないか。

 大人っぽくて、知識が豊富で体格ががっしり……というのが今も昔も変わらない私の「男の趣味」だ。それは、遡れば源流は父だと思う(30の今冷静に考えれば、父は大人っぽくなかったし、体も小さかったんだけど)。しかし、子どもの時に父を〝雄〟として客観的に見る力はない。だから、〝外部の雄〟に出会うまで、そのアンテナはぼんやりしているのである。そして私にとってFは、自分が求める〝雄〟像の、初めて出会ったプロトタイプだったのだと思う。その像が、私の中のスイッチを押し、「あ、欲しいのはこれだったんだ」と気づかせてくれたのだ。
 なお、電源が入ったのは良かったが、この後、男性に対する本格的な恋愛感情を始動させるまでには、10年近い月日がかかった。私が初めての恋に打ちのめされるのは、高校を卒業後の18歳の時のことである。まあ、その話はまた今度。

 Fがアメリカの大学に入った後、一度だけmixiで見かけて、メッセのやりとりをしたことがある。20歳くらいの時だったと思う。その時の彼の返事に、こんなくだりがあったことを忘れられない。

「小池ってあの頃、人を寄せつけなかったというか、『私のことは、私が一番わかってるから放っておいて』って感じだった覚えがあるなあ」

 ああ、この慧眼よ。
 大人だったFには、私の、エヴァンゲリオンに搭乗してもいいくらいたっぷりあった自意識なんてお見通しだったのだ。10年以上の時を経て、私は再び、〝初めてのオトコ〟に一目置くことになってしまうのである。
 今も彼はアメリカにいるはずだ。きっとあの頃のまま、大人っぽく愉快に働いているのだろう。30歳のFは想像ができない。私の中の彼は、今でも体操服で、黄色いゴムボールを投げている。

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