タンゴと猫

 午前中は細かい書き物仕事と雑務に追われる。明日は一日外で打ち合わせ三昧なので、今日のうちに細かいことを終わらせておかないといけないのだ。朝食はトースト二枚と目玉焼き。仕事中、クラシック音楽を次から次へとかける。長文でない仕事の場合はこれができるから助かる。
 調べ物をしているなかで、スペインの作曲家フェデリコ・モンポウのことを知る。サティに似ていると言われる人らしい。いくつか曲を聴いてみて、わからなくはないが、サティよりずっと好きだなと思った。

 13時頃に一区切り置き、近所の喫茶店に昼食を食べに行く。こじんまりした家族経営の喫茶店で、静かめなところも気に入っていた……のだが今日は近所の主婦で埋まりつくしており、当然のことながらものすごくうるさい。私は子どもの泣き声は我慢できる。しかし成人の甲高い笑い声や大声は我慢ならない。したがって鬱々としたランチになった。もちろん、静かな喫茶店を好むというのは私の単なる趣味だから彼女たちは悪くない。
 ただ嫌だったのが、隣の席の中年女性が、ずっと職場の人間関係の愚痴を言い続けていたことである。愚痴は悪いものではないし私もおおいにたれるが、そこそこ身なりのいい上品そうな中年女性が、「あのクソババア」などと罵り続けているのを聞くと精神にくる。その「クソババア」は自分勝手で、忙しい自分に酔っており、みんなに威張り散らしているのだそうだ。そういう彼女自身が、相手の女性がどんな話題を持ち出そうとそれには返事をせず、自分の愚痴を続けているのにはもはや感心した。

 喫茶店を出たあと、気分直しに本屋に寄った。が、脳のスイッチが「不快」に振れきったらしく、ここでもBGMのアイドルソングが耳障りでたまらない。塩をぶっかけたナメクジのように私は弱った。
 おもに聴覚からきたこのへばりを解消するためには、良質なクラシック音楽を良いオーディオ環境で聴かねばならぬ。ひとしきりスマホで「名曲喫茶」をググる。 
 名曲喫茶でメジャーなのは渋谷のライオンや新宿のらんぶるだ。ただ、あそこまで行くのはちと辛い。そこで方向性を変え、私は神保町の「ミロンガ・ヌオーバ」に行くことにした。ここは、古いタンゴをレコード音源で聴ける、都内でほとんど唯一の"タンゴ喫茶”である。最近私はアルゼンチンタンゴにゆるゆるハマっているのだが、その前から——具体的に言うと神保町の金融会社でOLをしていた頃から、ミロンガのことが喫茶店のなかでいちばん好きだった。 

 こういうとき、衝動的にお出かけできるのがフリーライター生活の良いところである。私はボサボサ頭によれたトレンチコートのまま、電車に飛び乗って神保町に直行した。つい先日、神保町で嫌なことがあったばかりだったので胸がウッとうめいたが、ミロンガで紅茶とケーキを頼んだら落ち着いた。ノートにあれやこれや書きながら、タンゴの音に耳を澄ませる。
 店内にはタンゴ関連の書籍も置いてあるので、書き物の途中で高山正彦の『タンゴ随筆』という本を読んだ。1959年出版のかなり古い本である。そして高山正彦氏は、日本のタンゴカルチャーの黎明期からを知るタンゴ評論家だ。
 文章が上品かつ実直で、古くとも読みやすい本だった。「ラジオ局に、『この手紙の返信に、タンゴの歴史を一通りまとめて書いてくれ』『日本で発売されているタンゴレコードの番号を全部書いて送ってくれ』などのすごい手紙が送られてくる」というような愚痴にはにやりとした。クソリプの質は今とたいして変わらない。
 愉快だったのが、本の中に、猫についてのエッセイが二編おさめられていたことである。タイトルは「猫(1)」「猫(2)」。猫とタンゴに何か関係があるのかいな、と思って読んだら単なる飼い猫話であった。それ故に大きな愛を感じて嬉しくなる。「タンゴが好きな人」と「タンゴと猫が好きな人」では、味わい深さも変わるというものだ。

 そうこうしているうちにすっかり耳も満足し、またゆっくり時間をかけて帰宅。ひき続き雑用をこなして、料理がめんどくさかったのでそのへんで買ってきたもので夕飯を済ませた。今からfreeeの経費入力をする。タンゴでもかけながらやろう。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

読んでくださりありがとうございました。「これからも頑張れよ。そして何か書けよ」と思っていただけましたら嬉しいです。応援として頂いたサポートは、一円も無駄にせず使わせていただきます。

ありがとうございます!励みになります。
15

小池みき