子どもの頃のような本の読み方。

 この一ヶ月はnoteの更新もせず、ひたすら本を読んでいた。生活費のためと割り切れる仕事と、本当にやりたい原稿仕事以外は一切やらなくなったので、本を読む時間はかなり確保できる。フリーライターでよかった。

 読書と散歩と喫茶店、その3つで今の私の生活は回っている。
 毎日、起き抜けから夜中眠りにつく寸前まで、仕事や雑事の合間をぬっては読みまくる。小説や一般向けノンフィクションが多い。軽いものであれば一日に2、3冊は読める。評論や専門書は、月に数冊だけじっくり読む。毎日図書館に行っては本を大量に選び、帰りに喫茶店やファミレスをはしごして読みまくる。「仕事の参考になるもの、勉強になるものを読まねば」なんてことは一切考えない。児童書だろうがラノベだろうが、官能小説だろうが写真集だろうがなんでもおかまいなしだ。
 この二週間くらいはずっと、児童書中心の読書をしている。たとえば先週は、児童書の古典をさらう中でモンゴメリの「エミリー」シリーズ(『赤毛のアン』とは別の、より自伝的要素が強いと言われているシリーズ)や日記集を立て続けに読み、そこからいろいろ気になって、日本における『赤毛のアン』受容についての批評本を読んだ。ここでまたいくつかの評論や論文を知ったので、おいおい読んでいくつもり。

 全ての本の読了は目指さない。小説は、途中まで読んでどうしてもつまらなかったら放り出すし、評論本の場合も、まず興味のある章だけ読んで、面白いと思ったら通読する。図書館から20冊借りてきて、半分しか読み切れずに返すことも多い。それでも、1月からの読了本だけで50冊くらいにはなると思う。二年ほど前から、読み終わった本の書名はなるべくGoogleカレンダーに記入するようにしてきたのだが、文字通り乱れ読み状態なので最近はわけがわからなくなってきた。
 おかげで最近、睡眠前後は頭が痛いし、肩も凝りまくりだし、図書館の棚の前で背を伸ばしたりしゃがんだりを繰り返しているので立ちくらみもよく起こす。化粧も最低限しかしなくて外見はみすぼらしくなる一方、食事も適当な外食ばかりで不健康の極みだ。夜中の洗面台で自分の顔を見ると、頬がこけて目元も落ち窪んでいたりする。人に会う予定が頻繁に入るからなんとか外向きの顔を忘れはしないものの、良い状態ではないと思う。それでもやっぱり、毎日夜中の3時くらいまで文字を目で追ってしまう。

 それは、ひとえに楽しいからだ。
 本を読むのはやはりとてつもなく楽しい。

 そんなこと、太陽が東から上ることくらい当たり前だと思っていたし、だから書く仕事ができているのだと信じて疑わなかった。でもここ数年の私は、この快楽をだいぶ忘れてしまっていたのだと今ならわかる。

 仕事のための本なら毎日のように読んできたが、こんな風に他の何もかもを忘れて、アドレナリン全開でただ読みまくる日々とは、何年もご無沙汰だった。
 正直、「もう無理かもしれない」とすら思っていたのだ。30代に突入して、10代のときに比べて集中力の落ちている自分をひしひしと感じていた。周りの同世代も「全然本が読めなくなっている」とよく嘆く。なりふり構わず、それも”楽しく”読みまくる時間というのは、子ども時代にしか得られない宝なのかもしれない、とちょっとだが考えていた。
 実際はなんのこともない、やろうとしていなかっただけだ。「明日の予定のこととか、健康のこととか、仕事につながるかどうかとか、化粧する体力を残さねばとか、そういうことを考えた上でしか読書に耽溺しちゃいけない」と自分で勝手に思っていただけだったのだ。読もうと思いさえすれば、今だっていくらでも夢中で読める。
 そのことに、今気づいてよかったと思う。

 

 あえて口に出すような機会もないが、私は本が好きだ。読書がなかったら自分の人生がどんな風になっていたか、まったく想像ができない。

 物心ついたときから好きだった。父親の部屋は本で埋もれていたし、母も読書家だったので、歩くのを覚えるのと同じくらい自然に読むことを覚えた。4、5歳のときには、白い紙を束ねて「本」状のものを作る遊びを始めた(私の、書籍制作の歴史はここからはじまる)。6歳になったばかりのある日に、父親から『青い鳥』と『トム・ソーヤーの冒険』を渡されてからは自分で読むものを探すようになった。毎日一冊は必ず本を手に取る、という習慣がこのときについた。

 自分は、他の子たちよりかなり強く本に入れ込んでいるのかもしれない、と気づいたのは小学三年生のときだ。
 その学校では、1クラスが1時間、図書館を占領してそれぞれ好きな本を読むという授業があった。そのとき自分が何を読んでいたのか忘れたが(『ふーことユーレイ』シリーズだったような気がしないでもない……)、ともあれ私はいつもどおり本に没頭して、チャイムが鳴るのにも、図書館の電気が消されるのにも、みんなが出ていくのにも気づかなかった。気づいたら部屋が暗くなっていて、みんなが周りから消えていたのだ。焦って教室まで猛ダッシュをし、クラスの子たちに不思議がられた。こういうことが、そののちも何度かあった。

 家にある2000冊ほどの本、学校の図書館、そして地元の図書館と古本屋を駆使して、小中高と読書三昧をした。
 中学生のときは、夏目漱石と林真理子に入れ込む一方、たまたま巡り合った藤本ひとみの古い小説にハマり、すでに絶版となったそれらをかき集めるために自転車で古本屋を駆けずり回った(必死で探していた一冊を、とある高校の文化祭バザーで見つけた時の嬉しさ!)。高校生のときは、学校の授業が大嫌いだったのでほとんどの授業をボイコットし、教科書の下で一日中小説ばかり読んだ。石坂洋次郎、宮尾登美子、バルザック、ゲーテ……高校で出会った作家は多い。でも、先生たちの当時の心境を考えると申し訳ないことこの上ない。なんてったって、私は生徒会長だったのだ。

 高3から、浪人時代二年間を挟んで大学卒業まではずっと書店員をしていたので、ここでも読書欲は衰えなかった。20歳前後の時期は三島由紀夫とジェーン・オースティン狂いになり、大学では評論や哲学書を読む快楽に目覚めて、知恵熱を出すまで小難しい本を読んだ。フランス現代思想にもしっかりかぶれた。私のようなアホが、デリダがどうしたとかドゥルーズがどうしたとか言っていた時期があったのだから笑える(でも最終的に、評論系で一番好きになったのは洲之内徹)。この頃は、月に40冊くらいは読んでいたと思う。

 で、大学卒業時、つまり24歳をピークに、私の読書の勢いはガクッと落ちる。大学を出て、テレビ業界に就職した私は読書どころでなくなったのだ。ここから2,3年は、月に10冊程度しか読まない日々が続く。そして27歳、ブックライターとしての活動が増えていくに従って、今度は「仕事に関係のある本を最優先で読む」モードになっていく。新書、ビジネス書を毎月大量に読むため、もともと好きだった小説系は、かつての半分も読まなくなっていった。「最近、面白い本ってあんまりないし」というのが、自分に言い聞かせる言い訳だった。

 読書がつまらない、と思ったことはない。それでも、「あーあ、またこういう本か」と思いながら読むようなことはたくさんあったし、好きでない人の本を読まなければいけないことも多かった。
 それによっていつの間にか、私の中で「読書とはそういうもの」という感覚ができあがっていったらしい。読書とは「情報」を頭に入れるためのものであり、自分が培うべきなのも「情報」を最短で読者に届けるためのテクニックなのだと、無意識で考えるようになっていた。
 機械のように淡々と本を読み、その本の優れたところを考える。あるいは、参考になる主張をノートなどに書き写す。そういう読み方が、この2年くらいは当たり前になっていた。

 「情報の発信・受信のための読書」に注力した時期が、まったく無用だったとは思わない。でも私にとって、読書はやっぱりそういうものではなかった。

 私にとっての読書とは、未知と出会い、感情を動かし、見ている世界を豊かにするためのものだ。価値観を乱し、血潮を沸かせ、希望と絶望の間を激しく行ったり来たりするためのものだ。言葉によって言葉の役に立たない世界に突き落とされ、絶句するためのものだった。「仕事のため」のものではないし、自分の頭を良くするためでも、抜き出した文章を人にシェアするためのものでもない。

 子どものときのように、電気を消されても気づかないくらいの勢いで本を読みたい。
 そういう思いがくすぶっていたから、年明けすぐに、「読書に関して我慢するのを一度やめてみよう」と思い立ち、実行した。体のことも、金のことも忘れてとにかく好きなものを読んだ。そうしたらあっという間に、錆びついていたタイヤがぐんぐん動き出したのである。この二ヶ月、たくさん泣いたし笑った。子どものときのように、一日一日を長く感じた。感情が麻痺していたから、あんなにも一日の流れが速かったのかもしれない。


 もっとも、この暴走乱読スタイル自体はそろそろやめる。いくらなんでも体に悪い、ということは身をもって痛感した。いや、もともと知ってたけど。
 一月、この乱読と並行して毎日のように人と打ち合わせをしたり食事をしたりしたので(人に会うのは、本の一気読みの十倍負荷が大きい)、二月に入ってからストレスが爆発して胃腸がやられたのである。生まれて初めて、逆流性食道炎というやつになった。どれだけ時間が経っても膨満感がなくならないのでびっくりし、子宮筋腫ではないかと婦人科にも行った(大丈夫だった)。結局、そこそこ快調になるまで二月いっぱいかかってしまったので反省した。これでは私の体がブラック企業すぎる。

 三月は読書を半分にして、その分またWEBで書き散らす予定でいる。この一ヶ月半ほどは、パソコンではなく、ずっとアナログで、ノートやレポート用紙にものを書いていたのだ。おかげで肩こりがひどい。きっちりボディメンテナンスに行って、それからデジタルに戻していこうと思う。
 私がものを書くようになったのも、本を読むのがあまりに楽しいからだった。読む楽しさをより強く思い出せたのだから、書く楽しさもさらに大きくなるだろう、と期待している今日このごろである。


 うーん、「久しぶりに日記を書こう」と思って書き始めたんだけど、日記ではなくなってしまった。まあいいや。
 とりあえず、本ばっかり読んでたってことです。仕事もしてます。5月には同人誌を出すし、来年にはとある分野でまた新しく著書が出る予定……。ああ、何事もなく進みますように。

 というわけで、またぼちぼち更新していくのでよろしくです。

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小池みき

何度も読み返したい素敵な文章の数々 vol.6