「アラサー喪女の立場から結婚について書いてください」と言われて書いた原稿。

 専業でなかった頃を含めれば、ライター生活も5年近くになってきた。この間いろんな企画に関わらせていただいたが、なかには当然、頓挫したものもある。というわけで、お蔵入りになった原稿のうちのいくつかを供養のためにさらしてみる。

 今回鎮魂するのは、2014年に企画が持ち上がり、お披露目の前にたち消えた連載企画の第一回原稿である。私に初めてもちこまれたエッセイの連載企画で、文章とエッセイ漫画の両方を描くというなかなかハードな計画であった。

 私に与えられたテーマは「おひとりさま」。当時27歳(そのまま28歳に突入)にして「彼氏いない歴=年齢」だった私に、編集者さんが目をつけてくださったのがきっかけだった。

 覚えている方も多いだろうが、2014年は、「こじらせ女子」や「マウンティング女子」という言葉が流行語大賞にノミネートされた年である。そのくらい、「女子のポジショニングをめぐる言説」がメディアの中を飛び交っていたのだ。そしてそのポジショニング戦争の最重要項目は、いつだって「恋愛および結婚」であった。
 男女のあれこれについての「メタ」な批評があふれかえる中、尼僧のごとき恋愛経験皆無女は何も発する言葉を持たなかった。そんな自分をむなしいとも思わなかった。それなりに毎日楽しく暮らしていたからである。私はただ、「烈車戦隊トッキュウジャー」が今後ちゃんと面白くなってくれるのかどうかだけを気にして日々を過ごしていた。

 そんな私に、「地に足ついたおひとりさま論を書いてほしい」と言ってきたのが件の編集者氏である。年下だが大変優秀な方で、私がずっとお世話になってきた相手であった。ちょうど彼女も恋人がいない時期であり、「ひとりで生きていく、という選択肢について真剣に考えなければと思い始めたんです」というようなことを私に語っていた。「そっちはまだ25歳のくせに」というひがみはぐっと飲み込んだ。そして二人でまじめに「メンタルを痛気持ちよくさせる方向じゃないやり方で、おひとりさまについてニュートラルに語るにはどうしたらいいか」というような議論を交わしていった。

 いろいろあって完成形で世に出ることがなかったのだが、制作自体は楽しかったので、今となってはいい思い出。編集者さんが「この原稿は今後好きにしてくれてかまいません」と言ってくれたのでこのように使ってみる。

 なお、件の編集者はこの企画を立ち上げた直後に新しく恋人と巡り会い、私もやはりこの原稿を書き上げた直後、29歳になる直前に人生初の恋人を錬金した。端的に言ってクソたまげた。

 彼女の方はどうかわからないが、私は恋人と向き合う中で、前よりもいっそう「ひとり」というものについて考えるようになった。なぜなら「ふたり」という概念が私の生活に登場したからである。他者「からの」愛情を待ち受けるよりも、他者「へ」の愛情を味わうことの方が人の心を豊かにしてくれるし、脳みそを活性化させてくれるらしい。というわけで、同じような主旨のエッセイを書くのであればむしろこれからだろうなと思っている。


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第一回 「結婚」が必要な人間なんているもんか。

「喪女のわりにはこじらせてないし、結婚とか必要なさそうだよね」

 だいぶ前のことだが、婚活で知り合ってデートした男性にそう言われたことがある。私は微笑んでバーの丸椅子から降りると、懐に入れていたニンジンを男の鼻の穴にねじこみ、その勢いを殺さず彼の頭を脇に挟んで華麗なダブルアーム・スープレックスをキメた。

 というのは妄想であり、実際は「そうかもしれませんねえ、エヘヘ」と頭をかいて終了であった。そして家に帰ってから思った。私に結婚が必要ないんじゃなくて、あんたに私がいらないってのが本音だろ。必要かどうかは私が決めるんだよちくしょう。婚活で知り合った女にそんなこと言うな!

 しかし、だ。この「私が決める」というやつを、じゃあ私はこれまでにきちんとしてきたのだろうか? 

 というわけで、今改めて考えてみた。すると、確かに私に結婚は「必要」ないらしい、という結論に相成ってしまった。ダブルアーム・スープレックスは撤回するしかない。

 正確に言うと、私が出した結論は、「結婚が『必要』な人間なんて、少なくとも現代の先進国においてはいない」である。

 日本の結婚制度を元に楽観的に考えると、確かに結婚は便利だし安心だ。婚姻ペアは色んな保障や補助を受けられるし、困ったときは助け合えるし、遺産の分配もできる。この協力体制に愛と誠意まで伴うのであれば、二人がその人生で味わえる喜びは格別なものに違いない。羨ましいこと「ゼクシィ」の厚みの如しだ。

 で、この結婚という機会が得られない場合どうなるかという話なのだが、別に死にゃしない。仮に私が今、運命の女神から「あなたは85歳で死ぬまで独身のままです」と断言されたところで、「げげっ」と思うくらいで心臓停止したりはしないと確信が持てる。

 「結婚による経済的な得」だって、ないならないで仕方ない。家の中に働ける人間が二人以上いた方が財布的には心強いけれども、自分しかいないなら一人で稼ぐしかないし(もちろん親兄弟がいれば助け合えばいいし)、足りなければ生活を切り詰めるしかないし、その結果「人間として最低限の暮らし」を下回ってしまいそうなら国に保護してもらうしかない。

 先進国の庶民層において、結婚は「必要だから」ではなく「したいから」するものである。食事や睡眠と違って、結婚を禁じられても人は死なない。ここで大切なのは、個人の便利や安心や幸福のための「したいからする」が権利として守られていることだし、だからこそ「同性間に結婚は必要ない」という意見は珍妙なのだ。異性間の結婚だって、「したくて」しているだけなんだから。

「屁理屈をこねるなカス。皆そんな生きる死ぬレベルの『必要』の話はしてないんだよ、死ななかろうがなんだろうがパートナーのいない孤独や不安は埋まらないし、だからこそ結婚を『必要』だと感じるんだよ朴念仁は鼻でニンジン食ってろ」

 という批判が聞こえてきた。パートナーのいない寂しさや孤独感なら一応わかるつもりだ。恋人いない歴もついに28年を越えた。寂しくないの? 孤独じゃないの? という質問に対しては、「寂しいし孤独だよ」と返すしかない。

「自分以外の誰かからの愛がほしい、安い自尊心を満たしてほしい、守ってほしい、他の何よりも大切だと思ってくれる相手を私は『必要』としている」

 そう強烈に、切実に思う機会は私にもたくさん、物心ついた時からしょっちゅうあった。

 でも、だからこそ私は知っているのだ。寂しさでどれだけ大量の涙を流そうと、助けてくれる人のいない恐怖と惨めさで一人道端のブロック塀に額をガンガンぶつけようと(おすすめできない行為)、その間にも時間は進んでいくことを。

 何かを「必要」だと激しく思い、その気持ちに苦しみながら、寂しいまま孤独なまま、結婚しないまま、そのまま生きていくことが私たちには可能なのだ。いくら何かを「足りない」と思っても、私は私としてもう完成済だ。ニンジンは一本でもニンジンだし、人間は一人でも人間なのである。

 私が婚活でひけらかした趣味の数々、休日返上で取り組む仕事も、読書も、映画観賞も、デートも、なんだって「必ず要る」ものではない。「したくてしている」ことばっかりだ。当然、「したくてできていない」こともあるし、「結婚」をそのリストに入れたまま死ぬ可能性もある。それは寂しいことかもしれないし、経済的な困難の増える道かもしれない。だがそんなことに思い煩っている暇はないのだ。いや、まあ暇がなくても思い煩うときは煩うのだが、原稿の締め切りも奨学金返済もあるし、日曜朝は特撮を見なきゃいけないし、少なくとも煩ってばかりはいられないのである。

 寂しかろうがなんだろうが、あと60年くらいはしぶとく元気に、無駄なリスクは避けて、Facebookで「いいね!」はもらえなくてもなるべく心豊かな人生を私は生きたい。そのために必要なことを、遊び心は忘れず、しかし現実的に探っていくのがこの連載である。「おひとりさまでもこんな風に生きれば見事幸せに!」てなことを言うつもりはない。「見事幸せに」なれないかもしれなくても、着実に生きる算段をつける「必要」が私たちにはあるのだ。過剰な自慢も自虐もしない、中くらい目線のおひとりさま道探索ができればと思う。

 こんなことを書いていると、ますます男から「君に結婚はいらないみたいだ」と逃げられるんだろうか。ちょっと不安になってきた。今度同じことを言われたら、にっこり笑って「あんたと同じだよ」と返したいけど、実際はやっぱり脳内でしか言えないだろうな。

(2015年6月/漫画もあったけどそっちは割愛)

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小池みき

コメント1件

小気味よい記事ですね
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