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『幸色のワンルーム』とかいろいろ

 なんとか回復したので、知人の誘いにのり新宿の中華屋へいく。丸二日ぶりにまともな食事をした。豆苗と豆腐と炒めものがしみじみと美味かった……『凪のお暇』の凪みたいに豆苗を育てようかと思ったくらい。

 私以外はみなメディア関係者、まあほぼ同業界人のようなものだったのでなごやかに同業界トーク。インターネットの話になったところで、一人に「小池さんはもうインターネットに飽きてますよね」と言われる。たぶんそうだと思う。ニュースアプリもマメな巡回など絶対しないし、SNSのタイムラインはほとんど無視している。野放図に送られてくるリプライなども、大半はこの2年くらい見ていない(「フォローしているユーザー」からの反応しか通知させないように設定しているため)。
 要は「インターネット経由で旬の情報をいち早くキャッチしようとしない」ということを徹底している感じだ。それで何か困ったことが起きているかというとまったく起きていないので、少なくとも私には合っているのだろう。他の人は困るのかもしれないが。
 インターネットには、これからも私の人生の中で「便利」というポジションにいてもらいたい。そこに置いておくかぎり、私とインターネットの関係はただれないと思うのだ。

 ぜんぜん話は変わる。

 『幸色のワンルーム』という、中高生女子に大変人気のあるマンガがついに実写ドラマ化されるらしい。そのことへの複雑な抵抗感と嫌悪感について考えていたら、昨日は朝の6時まで目がさえざえとしてしまった。

 ここまで書いたあと、数千字にわたり「この漫画はどういう漫画か」「公開されたときどんな反応があったか」「この漫画から連想してしまう朝霞事件とその二次加害について」「エンタメに望まれるモラルとは」みたいな話を書いてみたのだが、ちっとも要領を得なくてイライラしてきたのでまるごと消した。漫画について知りたい人はググってください。ちゃんとした批判は他のひとたちがうんとこさ書いているので私はもう私憤を書く。ちなみに私は作者および作品自体の批判をする気はない。

 私が『幸色のワンルーム』のメディアミックスに肯定的になれない一番の理由は、「真似をする人が出るかもしれないから」でも「犯罪を美化しているから」でもない。権力を持った大人が子ども相手に、「選択肢を完全に奪われた状況のもたらす快楽を描いた物語」を「魅力的な商品」として売りつけるのが許せないからである。私にはそれが、唾棄すべき醜い行為にしか思えないのだ。 

 『幸色のワンルーム』は、児童書やヤングアダルトと同じ「子ども向け作品」だ。いい年齢の大人が、あれを心から楽しんで読めるかというとさすがに厳しいだろう。スクエニの宣伝の仕方やTwitterの反応なんか見ていても、メインターゲットはあきらかに十代女子である。青い鳥文庫と同じなのだ。公称売れ部数に対してAmazonのレビューが少ないのも、児童書のヒット作と同じで、実際の読み手がAmazonに描き込むような層でないことを示している。
 子ども向けの商品、しかも「物語」を届けるといったとき、大人側には明確な倫理観が必要だと私は思う。それが絶対的に正しい必要はない。でも、「権力と、それに付随する多数の選択肢を持つ大人」として、「なぜそれを選んだのか」についての答えは用意するべきではないか(もちろん「バズってたから」以外で!)。そして、『幸色のワンルーム』のメディアミックス展開には、書籍化の頃から一切それを感じないのである。スクエニの人たちがこの作品について何を考えているのか聞いてみたいものだ。

 なんつう前時代的で堅苦しい考え方、と思ってもらっておおいにけっこうなのだが、私は独身だろうが既婚者だろうが、大人である以上、全ての人間は次世代に対して大きな責任を持つと固く信じている人間だ。とりわけエンターテインメントなんて、次々客を育てなければ自分たちが食いっぱぐれて終わりの商売なんだから、究極的には「教育」のことを考えるものじゃないの、と思ってしまうのだ。別に、禁欲的で道徳的な次世代教育をしろという意味じゃない。エロだろうがグロだろうが何でも作ればいい。ただ「あなたたちには、こういうものを吸収してほしい」という願望、信念(それは常に押し付けと表裏一体だけど)はあってほしいのだ。

 「なんでそれをあなたに伝えたいと思ったのか」……子どもに物語を伝えるとき、それはいつでも説明できるようにしておきたい。たとえ聞かれないとしてもである。「だって、私がどうしても好きだから」でもいいと思う。私はいろんな大人から、そのようにしてたくさんの素晴らしい作品を教わった。でもこれが「特にこの作品の良さはわからないけど、どうせ子どもはこういうものが好きなんだろうから」という理由なのは嫌だ。商品にのせられた想いは、そのまま消費者にしみこむと私は思う。「売れればいい」という想いだけが、私達が次世代に引き継ぐものなのか。そんなのは嫌だ(完全にアンパンマンマーチ調になってしまった)。

 みたいなことを考えていると、本当に5時間くらいあっという間に経っていたりするので困る。いやそれは嘘だ、全然困っていない。こういうふうにモヤモヤと考え事をしたり、あてどなく何時間も文章を書いたりするのが、私の仕事の根幹である。なんのためにフリーで動き、なんのためにインターネットと距離を置いてるのかって話だ。

 私が困っているのはどちらかといえば、こうした「大人にはよくわからない、若年層の間のメジャーコンテンツ」の話をシリアスに語り合える同業者の仲間がなかなかいないことである。力を合わせれば何かもっとこう、アレをアレできるんじゃないか、とか思うのだがうまくいかない。今まで何人にもこういう話をふってきたが、面白いくらい「そういうメジャー分野に対して悩んだり怒ったりするのは無益」「そういうのには勝てないんだからもっと勝てる戦いをした方がいい」的なことを言われてきた。たぶん、これが私の業界における「女がエベレストに登るのなんて無理」とか「てめぇが海賊王になれるわけないだろ」とかに相当する言葉なのだろう。
 でも私はエベレストに登ろうと思います。失うもののない人間だからね。

 

読んでくださりありがとうございました。「これからも頑張れよ。そして何か書けよ」と思っていただけましたら嬉しいです。応援として頂いたサポートは、一円も無駄にせず使わせていただきます。