通り名はDO IT!! 街で噂の女になる話 vol.1

退屈だ…
うん退屈。
そして何かが違うんだよな。
何かが…

高校卒業と同時に出た東京の街。
音楽が好きで、常に音楽と寄り添うように活動していた。
自分の憧れてる世界、つまりアンダーグラウンド的な、サブカルチャー的な、DJ文化最前線の真っ只中に、ドボンと突撃し、渦にぐわんぐわんと流されていた。目まぐるしい日々。
刺激的な日々。
毎日が喜びとやりがいに溢れ、自分の名刺をウットリと眺めることすらあった。

だが。
つまりは、そこから弾き出されたのである。
たかが失恋で仕事に支障をきたすなんて。
全くもってお話にならないんである。
それはまるでザルでザザーンと選別をされ、流れ出てたような…

必要無し。
のお札をペトンと額にはられ、はい、サヨナラね。
てな訳だったのだ。
つまりは、恋愛と東京からダブルでふられたのである。

私が失恋し、東京から強制送還された街は北九州は八幡東区というところだった。
北九州市は立派な政令指定都市だし、私の住んだ八幡東区は、街の中心部である小倉にも逆方面の繁華街黒崎にも、車で15分位の便利なところにあった。
最初は失業手当を受けながら、親のお金でまずは自動車教習所、そしてせっかく使えるパソコンなのでその検定が取れるスクール、などで日々の隙間を埋めていた。
程なくして失業保険期間も終わり、派遣に登録し、MACのDTPオペレーターとして地元大手の印刷会社へ派遣される。
そこは工場で、従業員は何百人かおり、印刷データは汎用機を使い制作されていた。
即ち、スキャナーはスキャナーオペレーターがおり、切り抜きは切り抜きオペレーターがおり、写植的な組版のオペレーターがおり、それぞれの部署で複数人で運営されていた。
だかMACによるDTPデータは、パソコン1台で作成されるという波に押され、外部からのデータを出力するMACのオペレーターも1人だけいた。
だが、今回私が派遣されたのはそのチームではなく、従来、汎用機で作成していた某百貨店のお中元カタログをMACで制作してみようという試みに当たって派遣されたのであった。

会社は工場らしく、昔ながらの事務員服のようなものを皆まとい、私だけ私服。それだけで浮くのに東京からやって来た子。
言葉遣いが違う子。
浮いて浮いて浮きまくっていた。
でも、そのDTPオペレーターの女の子が仲良しグループに入れてくれ、そのグループでお弁当を食べたり、カラオケに行ったり、夏は海に、祇園太鼓に、と様々なイベントを共にした。
今思えば、クラブカルチャーも良いけど生祇園太鼓ナイトの方だってクールじゃん!とか思うけど、
当時の私には、その、皆の親切さや平和さ、そしてカラオケでかかる大黒摩季や、最後の雨で流す涙(不倫している子がいた)、JUDY AND MARY、全てが、

なぁんか違う!

なのであった。

自宅に戻り、ラブ・タンバリンズのミッドナイトパレードを聴く。
ラブ・タンバリンズはファーストはレーベルオーナー瀧見憲司さんから頂いたものだ。
それはもちろん私がdictionaryの編集部にいたから。
小沢君のファーストコンサートもそうだ。編集部の先輩あてに直々にレコード会社の担当さんから招待状がきていた。
いけぼう!小沢健二好きでしょ?行っといでよ、と頂いた招待状。
コンサートはビビる位良くて、力を受けた。

それに引替え、今の私ときたら…

そこから実家住まいの派遣勤務で懐も余裕が出来、失恋の傷もすっかり癒え、活動しだす私の物語が始まるのだけど、vol.1ではここまでにします!

良かったらまた読んでください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?