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山口雄也さん

昨日、Twitterのタイムラインで山口雄也さんが亡くなったらしいと知った

気もそぞろになりながら検索し、事実の確認をしたかったが、彼は芸能人とは違うし代表者が運営する公式サイトがあるわけではないのでしばらくは皆も情報を集めているような状況だった

その後、彼の幼なじみらしき方が

通夜、告別式に出席してきたというtweetをしていたことが拡散され、紛れもない事実なんだと知った

彼の固定Tweetが「余命宣告された後のご報告」から「5月初めの介助状態になってしまった」という内容に変わった時、彼がいよいよ自分の天命が迫ったことを達観し、皆に知らせたのだと解釈していた。

ハプロ移植後の過酷な経過はやはり彼の体力を奪ったようだった。何度かの危機を乗り越えてはいたけれど大量下血が続き、臓器障害も深刻であったし、この数年間で再発を繰り返した白血病によるダメージは私たちが考える以上のことが起きていたんだと思う。

5月末

廊下を歩行練習したという動画は衝撃だった。

15キロ減ったという体重減少はさらに進んでいたようだったし、繋がれたいくつもの自動輸液ポンプ、もしかしたらこの補液の数々も彼の臓器には負担になっているのかもしれないとも感じたし、治療による皮膚病変は誰の目にも明らかだった。

それでも、歩くんだ!という鬼気迫った意志を、決して希望を失ったわけではない自分の姿を知らしめた。彼の眼光がそれを物語る。

あの動画を繰り返し再生していいものかどうか考えた人も多いと思う。

彼の発信は時に挑発的で物議を醸したけれど、そんなことは見越して、自らが起こしていたことが多かった。

献血の話には皆やられたーーーと思ったはずだ

19歳で起きた縦隔にできた胚細胞腫瘍、その後おそらくそこからの関連で発症した白血病、再発、再再発、挫けそうになる短いスパンでの闘病を、彼は葛藤しつつも受け止め、学び、理解して立ち向かっていた。

現役で京大生となった彼、学ぶ力、理解する力、と同時に疑問を持つ力も、一般人以上にあっただろう。主治医のチームも彼には全てを説明してきただろうが、きっとタジタジとなったこともあったのではないか。


彼のこれまでの闘病ブログはどれも名文でずいぶん読み応えがあった。

たまたま知った彼の文章力にひきこまれ、彼の文章をこの先ももっと、もっと読みたいと思っていた。

もうそれは叶わない

彼が社会人になっていたらいったい何を成し遂げていただろう

そんなこともつい思ってしまうけれど

いや、彼はこれだけのことを成し遂げたじゃないか、とも思う。

彼が残してくれた多くの文章はこれからも人を惹きつけてやまないであろうし、病と向き合う方法をいくつも教えてくれた。

どうしても自分の子どもの年齢と重なるのでご両親の気持ちを思い、胸が苦しくなるけれど、こんなに見事に生ききった息子さんのことを誇りに思ってほしいと思う。

彼は大きなテーマを投げかけた

深刻な病を宣告された後、人はどう生きるのか

彼の言葉は私の好きなガンジーのいくつかの言葉と重なった


以下ガンジーの言葉の数々を記す


重要なのは行為そのものであって、結果ではない。
行為が実を結ぶかどうかは、自分の力でどうなるものではなく、生きているうちにわかるとも限らない。
だが、正しいと信ずることを行いなさい。
結果がどう出るにせよ、何もしなければ何の結果もないのだ。


束縛があるからこそ、私は飛べるのだ。
悲しみがあるからこそ、私は高く舞い上がれるのだ。
逆境があるからこそ、私は走れるのだ。
涙があるからこそ、私は前に進めるのだ。

明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。

人間はその人の思考の産物にすぎない。
人は思っている通りになる。


もし、私にユーモアがなければ、これほど長く苦しい戦いには耐えられなかったでしょう。

強さとは、身体能力ではなく、不屈の精神から生まれるものだ。


死ぬ覚悟が出来ていれば、人は自由に生きられる。


山口雄也さん

あなたはとても魅力がありました。

RX-8 似合っていますよ。

素敵な文章をありがとう。






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