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なぜイケメンのコンビニ店員のレジで深夜スイーツのドカ買いをするのが恥ずかしいのか

コンビニで深夜にドカ買いするときの恥ずかしさ

わたしはよく、コンビニで深夜にスイーツやパンのドカ買いをする。

深夜1時にいきなりアイスクリームが食べたくなるときもあれば、夜の10時くらいまでベッドでぐだぐだしてしまって空いたお腹を満たすために1日分の食料をまとめ買いしにいくこともある。

それでいて、一緒にananの「太りたくない女子のための食べ物の選び方」なんて特集号を買っているくらいだから、自分でもどんなライフスタイルを目指しているのかはなはだ怪しいのだけれども、それでもやっぱり深夜のドカ買いはやめられない。

そんなとき、わたしが最も気になるのが、その食品やスイーツの山を

どの店員さんのもとに持っていくのか

ということである。

なぜなら私は深夜のドカ食い食品を、絶対に

「若いイケメンの店員さん」のもとには持っていくことをしたくない

からだ。

おじさん・おばさんの店員さんとイケメンの店員さんがいれば前者を、イケメンの店員さんとイケメンでない店員さんがいたら絶対に後者のレジに並べるように順番を調整するし、

もしそのコンビニにイケメンの店員さんしかいなければ、5分歩いてでもほかのコンビニに行く。

わたしは、そのくらい深夜のドカ買いを「イケメンの店員さん」に見られるのが恥ずかしいのである。

なぜ店員さんがイケメンだとドカ買いが恥ずかしいのか

今まで私はこうした行動をごくごく自然のことだと思っていたのだが、ある日友達にこのことを打ち明けたところ、

「え、あんたそれは意識のしすぎじゃない?私はパジャマだろうがすっぴんだろうが、ドカ買い食品だろうが、イケメン店員の前で買えるよ」

というお言葉をいただいた。

友達いわく、イケメン店員さんにとって、客は客であり、その人がどんなライフスタイルをしていようが、深夜1時にアイスクリームとスイーツをドカ買いして太ろうがまったく興味ないだろう、ということなのである。

たしかにそういわれてみれば、そうかもしれない。

私がイケメン店員さんの前でドカ買い食品を購入するのが恥ずかしかったのは、通常ならば「客=店員」という関係性で理解していたもの、つまり(その生活背景に興味はない)という関係性だったものを、

いきなり相手を「イケメン」と捉えることによって、私が「女の子」という枠にはまろうとしてしまったからなのだ。

つまり、「客=店員(生活背景に興味なし)」という関係性から「イケメン=女の子(痩せていなくてはならない、深夜にドカ食いなんてしてはならない、そもそも家でちゃんと自炊しろ)」という関係性に勝手に当てはまろうとしてしまったのである。

ここで肝心なのは、私の頭の中では「イケメン=女の子」という関係図式になっていたとしていても、イケメン店員さんの頭の中では私が「美女」か「超かわいい子」でないかぎりは、「店員=客」という図式は壊れていないであろうということだ。

私は「美女」でも「かわいく」もないから、おそらくイケメン店員さんにとっては今まで通り相手の生活背景に興味のないただの「客」なのである。

とすると、イケメン店員さんのレジに並ばなくても済むように、深夜にこそこそとレジに並ぶ順番を調整したり、わざわざ遠くのコンビニに足を運ぶ私の行動はかなり意味のない無駄な行為だということが段々分かってきた。

自分としては必死にやっていることでも、客観的にみると人間というものは本当に無意味で滑稽なことをやっているものだなと思う。

それに気づかせてくれた友達には本当に感謝しかない。

人は自分で思い込んだ関係性の中で自分を捉えて行動を規定するが、それは往々にして勝手な思い込みに過ぎず、取り越し苦労であることもしばしばだということを肝に銘じておきたいと思う。

でもなあ・・・

やっぱり私の家の近くのコンビニ店員「アマノさん」、かっこいいんだよな。


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