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【自選小説】デジカメがやっと我が家にも来るぞ!

 ある日突然、学校でいじめを受けるようになってから、私はとても明るくなった。

 くだらないとバカにしていたバラエティ番組を夕食のときに付けて、箸まで置いて大げさに拍手した。右手をかるくまとめるように握って口を隠すようにあてて、身を捩って馬鹿笑いした。

 小学生以来、両親とは学校での話なんてしていなかったのに、「今日学校でね」と、楽しそうな作り話をした。

 家事の手伝いなんてしたことがなかったのに、母親に「料理教えてよ」とせがみ、一度もやったことのない父の趣味の庭いじりに、サンダルを履いて近づいて父からじょうろを奪い取って、自分で水遣りをした。

 両親は喜んだ。

「まるでみこは、昔に戻ったみたいだね」父も母も、小さい子供の頃の私を見るような目で、私を嬉しそうに眺めていた。

 絶対に知られてはいけない。

 筆記用具の芯がすべて折られ、弁当はひっくり返され、プリントを後ろに回すときには私のすぐ後ろの子が手を伸ばして、私をスルーしてそれを回すことも。

 私は、両親に心配はかけられないと、必死に演技した。うちの両親は古いタイプの人間だ。もし学校でいじめられていることが分かったら、二人で学校に来るだろう。

 父も母も弁が立つ人ではない。

 でも訥々と私から徹夜で泣きながら聞き出したことを、学校に行って担任に報告するだろう。父も母も分かっていない。家からチクったら、そのときこそ地獄なんだということを。父と母の時代、昔は違ったのだろうか。今はそんな時代じゃないんだ。

 話せばわかる。

 昔々そんな時代があったんだね。素朴に、うらやましいと思う。今はもう、そんな時代じゃないんだよ。あたしを生んでくれたときから、もうね……。

 そんな父と母の素朴な昔ながらの、人に対する信頼を壊したくなかった。お父さんとお母さんの時代にはふつうだったらしい、人への素朴な信頼。そして誤解すらも、心からの笑顔で最後には解決できた時代を通り越して、私はこの時代に生まれたんだ。昔のようなわけにはいかないんだよ。

 だから、阿鼻叫喚の学校社会と交わらせたくなかった。結論は自分たちの無力を悟ることになる。それだけは、両親に味わわせたくなかった。

 やがて一年が経って、不登校にもならずに高校は卒業できた。希望の大学にも進学できた。

 古いカメラを父が取り出して、どこで手に入れたのかカートリッジのようなものを挿入して、私が高校時代ある日から突然明るくなった時代の写真をいっぱい撮ってくれた。後で聞いたら、カートリッジではなく、フィルムというんだそうだ。父は写真を取るのが若い頃からの趣味だったそうだが、デジタルカメラにどうも馴染めずに、趣味をやめてしまっていた。そのカメラを引っ張り出して、また趣味の写真撮影を始めた。

 私の家にはプリントアウトされた写真アルバムが何冊もある。思春期に入り、父と母とあまり会話をしなくなって、ずっとそこに写真が加わることはなかった。

 子供の頃から父がずっと作ってきた家族の写真アルバムだ。最後の頁の、庭でバーベキューをしてなんだか、芸人のように剽軽にお道化して踊っている私をみて思った。そんな明るい時代の私の写真がアルバムの最後の方にたくさんある。

 六年ほど空白期間があった後、父は楽しそうにプリントされた写真を貼っていった。まるで、親子の会話の空白期間を埋めるように。

 卒業式には、父も母も出席してくれた。デジカメじゃない古い骨董品のカメラで写真を撮っていて、目立っていた。


 一緒に帰るときに、父が母の目をちらっと見てから言った。

「明るいみこの思い出をたくさんありがとう。俺たちは古い人間だ。お前の苦しみをどうにもできなかったし、親しい友人にたくさん、お父さんもお母さんも相談したんだが、親が出ていくとかえって事態が深刻になると全員から言われた。絶望したけど、俺達は無力だった。学校に直訴するくらいしか方法が思いつかないんだ。」

 母親が泣きながら口を開いた。

「ほんとうにごめんね。なにかしたくてしたくて、お父さんと一緒に夜も眠れなかった。あなたが明るくなって、しばらく経ってからさすがにおかしい、と気がついたの。あなたの小学生からのお友達の聡子ちゃんにこっそり聞いたの。絶対にわたしが言ったことは内緒にしてってことで、あなたがいじめられていることを聞いたのよ。一年間、あなたが演技をするように、お父さんとお母さんもみこに気が付かれないように、演技をしていたのよ。だって、お父さんもお母さんも古いバカな人間だから、あなたの苦しみをもっと大きくするようなことしか思い浮かばなかったんだもん。情けない親ね。ごめんなさい」

 父が横で母と一緒に頭を下げた。

 涙腺が決壊した。声を上げて、昼日中アスファルトのむき出しの雑草の生えている田舎の道路脇の歩道で泣きじゃくった。

 三人で小一時間ほど座り込んでいた。奇異な目で通り過ぎる人が見ていた。まるで、美しい風景が映画のフィルムを回すように目の前を通り過ぎていった。

「帰ろうか」父が言った。

 母と私は頷いた。

「父さんな」

「なあに」私は聞いた。
 一年ぶりに自分の心を演技なしにそのまんま声に出して聞いた。

「デジカメってのを買おうと思うんだ」

「温かみがないからキライだって言ってたじゃない」

 あれ、変だな。小学生の時のような、父をふつうにからかう言葉が、演技ではなく私の口から自然と出てきた。

「それからお前とLINEをやる」

「は!? なにそれ」

「友だち申請して、撮った写真をおまえに送るんだ」

 笑いがとまらなかった。この笑いを取り戻すまでに一年かかったな……。いや、六年なのかもしれない。

 アルバムの六年間の空白が埋まった。

 きっとこの一年は、観客の一人もいない舞台だったんだと思う。作りごとのお芝居でも現実以上に人の心を揺さぶるものだ。私たち家族三人は、それを精一杯演じて、そして、古いカメラでそれは永遠の風景として、古いアルバムの中に思い出になった。

 演技の舞台は終わった。

 でも、舞台の贋物の崇高な時空間の中で、私達家族は現実以上のものを味わったのだ。楽しかったよ、お父さん、お母さん。この一年はいままでで最高の一年だった。楽しかった……。

 これからは、父は紙のアルバムは作らないのではないだろうか。

 リアルタイムに、これからは新しい時間が過ぎていく……。

 過ぎていくその風景の中に、またあたらしい家族の時間が生まれていく。

 思わず、なんだか恋人のように腕を父に絡ませた。

 上機嫌で母親がくすくす笑った。 

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