信仰というギフト

コリント第一 2:9    2024 01 26 (金)
目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった。

聖書は奥義に満ちています。奥義とは人間が逆立ちしても思いつかない神の知恵のことです。それは人間の救いに関するもので、生きている間だけのことではなく、永遠にまで有効な奥義です。たとえば旧約聖書に教会のことは預言されていません。教会は聖霊降臨で初めて出現した奥義です。たとえば人はイエスを信じる信仰以外には救われないという信仰義認の奥義です。旧約聖書にも点在していますが、本格的ではありませんでした。キリスト教以外の宗教には信仰義認がありません。善行努力をしなければ救われないと固く信じているからです。これは世の人々には受けが良く、何の努力もなく信じられます。しかし信じるだけで救われると言うなら、あまりにも虫がよく、われわれの律法の努力を否定していると非難されるでしょう。聖書は生まれながらの人間の本性を逆なでします。しかし神さまはご自分に頼りながら努力してほしいのです。信仰によらなければ絶対に理解できない事柄です。それが信じられた私たちは奇跡の人です。理屈でわかったから信じたという人はいません。知性はあってもいいのですが、それは二の次です。三歳児でも信仰に入れるのですから。これは初めて信じた時のことだけでなく、生涯、いただいた信仰を働かせながらさらに奥義が開かれるのを見られます。

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