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人間関係のカタチ

なんだか大仰なタイトルをつけてしまった気もするけれど、最近考えること。

それをより明確に思ったのは上記のgreenz.jpさんの記事を読んだこと。筆者は私と同じ名前の「みく」ちゃん。なんなら父方は瀬戸だと思うと同じルーツの同世代なのです。

今年6月、Uターン2年を迎えた私は、南くんと結婚しました。日々を一緒に駆け抜けていくなかで、公私ともにパートナーになることを決めました。ひとりで生きていくことは、本当に大変です。足りない部分を補い合って、生き抜いていくパートナーができたことは、心強いことです。
わたしたちは、結婚という形を選びましたが、周りには形にはとらわれず、いいパートナーを見つけ、あるいは、アーティストがスタジオをシェアするようなコミュニティも含め、助け合って暮らしている人が多いなと感じています。
greenz.jp「故郷で私が果たせる役割ってなんだろう? 東京へ飛び出したライターが愛知県瀬戸市にUターン、2年後のリアル。」

そう語るみくちゃん。

1度しかまともに挨拶したことはなく、強いていうなれば年上のみくちゃん。「ちゃん」づけで呼んでしまうことに恐縮さを感じてしまうこともなんだか恐縮ですが。(周りのみんながそう呼ぶのでしみついてしまった)

さて、自分のことに話を戻しまして…
本当に多様な人にお会いする機会に恵まれ、歳を重ねるにつれて何が「普通」「通常」なのか、混乱の傾向にある私。

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多様な出会いが交錯するイメージ
いろいろな乗り物が、白線とか関係なく交錯していた2010年のバングラデシュダッカの街角のワンシーン

とはいえ、どうやら「25歳」や「30歳」というなんとなく区切りの良い年を”節目”として、「結婚」「出産」「持ち家を」などといった「ライフステージ」をあがって?いくのか「節目」なのかを迎えることが「普通」な気がする「愛知県豊田市=トヨタ自動車のおひざ元」で育ってきました。(もちろん個人差はあるでしょうが。)

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ところが、いざ30歳を過ぎ、なんなら「35歳」というある種節目が迫ってきても、人生のマイルストーンのように感じる「結婚」や「出産」というキーワードをどうしたら身近にできるのかその術?が分からず、人生の迷子のような気がしているのが事実。

そういったキーワードへ思いがないわけではないのです。なんなら「結婚」や「出産」をしたいという思いはそれなりにあると思っている。が、なんというか、やはり「迷子」なのです。

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ただ、幸か不幸か「社会人」という肩書を得てからあった人の数、職種や人種は数知れず、多くの方のご縁をいただいてきました。ただ、それがなかなか「お付き合い」や「結婚」といったカタチに当てはまらなかったようなのです。(もしくは、出会った、お付き合いをした方の中でそれがどの方とどういうカタチが適切だったのか良く分かっていなかったのか。汗)

ただ、最近思うことは・・

横にいて欲しい人
横でご飯を食べたらよりおいしくなりそうな人
万一、救急車で運ばれることになったときに一緒に乗ってほしい人
心が裸になれそうな人

そんな項目に当てはまるような人がいたら、逆ナンと言われようと逆プロポーズと言われようと「私の横にいてくれませんか?」(いや、むしろ回りくどい?)「とりあえずでもいいので、私とつきあってくれませんか?」そんな言葉を投げかけてみても良いのかな?と。

そのうえで、「友人」や「飲み友達」という肩書になるのか「恋人」「パートナー」「夫/妻」などなど、自分と相手によって心地よい「カタチ」を選ぶことができるのかな?と。

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「自分の意見を伝える」「はっきりしている」「強そう」と言われがちなのですが、実情は自分に自信のない私。自分の「こうしてほしい」を伝えることにどこかおこがましさを感じ、傍から見える以上に迷子になることも?ある気がします。

歳をじわりじわりと重ねてきた今だからこそ、直接会える機会が限定的になっているコロナ禍の今だからこそ、ご縁のあった人とどんな関係性を結ぶ、未来に向かって紡ぐことができるかより気軽に提案できる。

そんな機会を持てたら良いな、と思った。
というある日の備忘録でした。

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二拠点生活にトライアル中。 各地域のこと、暮らし方のこと拙い文章ですが発信したいなと思います。サポートは移動費のカンパとして活用させていただきます。