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欲と情報に溺れないために私たちはどうするか

昨日、吉川ばんびさんの「情報弱者の貧困層をバカにする人、搾取する人」という記事を読んだ。

内容の賛否の前に、お金や欲に溺れる人間の心理を丁寧に書かれていて素晴らしいと思った。

私自身、サロンもセミナーも決して悪いものではないと思う。1人で進むよりも、助け合ったり学ぶ姿勢は大切だと思う。ただ、それができるならフリーにならなくとも会社員できると思う。

全ては、使い方によると思う。上手くいかすも殺すも自分次第。

そもそも、万が一あなたが失敗したとしても責任をオーナーがとるものではない。というか、無責任というよりそういうものなんじゃない?って思った方がいいんじゃないかな。

基本的に、情報とはありとあらゆるもので操作されているんじゃないだろうか。

ちょっと前に流行った仮想通貨も、ブームになる前から「新しいお金のルールが変わるセミナーがある」と知人から誘われていた。

仮想通貨の情報は知ってたけど、やる気がしなかったのはこの事件があったから。ブームがきても、冷静に俯瞰してたのは例の誘いがあったため。

あー、どっかでセミナー行われてムーブメントが起きるなコレとは予想してたけど、ここまで社会現象になるとは思いもしなかったし、廃れる早さにも驚き。

あの頃仮想通貨購入してたら、今頃億万長者だったかも?儲けたお金で、新たなビジネスでもやってただろうか?

いや、やらないか。たぶん、いずれにせよ失敗してただろうね。

って思うから、あの時仮想通貨買ってなくても全く後悔していない。

「ブームには、必ず火付け役がいる」ということだけわかったら、それでいいと思った。

個人的に、人の言うことをなんでも素直に聞くタイプや、自主的に動けない人は下手なコミュニティに入るとかえって潰れていく気がするんだ。

実は最近、めちゃくちゃテンプレート丸わかりの勧誘メールが届いた。

もし私の心が弱っていて、お金にも困っていて仕事が上手くいっていなかったら藁にもすがる思いで握ろうとしただろうか?

ふと、昔であった借金持ちの男たちの顔が走馬灯のように過ぎる。

弱っている時ほど、人はろくでもない藁に誘われ、そして吸い寄せられていく。

損得勘定で動く私は、彼らが末路に行く前に手を離し続けた。薄情かもしれない。でも、これが自分を守るための手段。恋愛に限らず、仕事もそうじゃないのか。

少しでも危険と感じるなら、自らの意思で手放すべきだ。誰も、あなたの人生の責任なんてとってくれないのだから。

私自身、過去にお金や欲…そして誰かに溺れて潰れていく人を何人か見てきた。

ただ、溺れていく人が決して不幸だったかというとそうではない。

少なくとも、某宗教にハマって3000万円以上使った挙句、月5000円の市営住宅で末期を迎えた私の祖父祖母。

「家買えるほど宗教に金使いましたわ〜あははは!」と笑いながら死んでいった。ボロい家に住みつつも、いつもニコニコと幸せそうだった。

祖父祖母は、搾取された訳でも騙された訳でもない。勝手に「貧乏を救ってくれたのは、○○様のおかげ」と信じてやってるだけ。

子供がみな出世したのは、みな宗教のおかげ。

仏壇に拝めば「みくちゃんは本当にいい子」と、兄弟のなかでも私だけ依怙贔屓。まあ、これが原因で嫁の立場であるオカンから絶縁されたんだけども。

祖母のことは宗教除けば好きだったから、二度と会えなくなるのは辛かった。

人は、弱ってる時に助けられると絶対に忘れない。だからこそ、人が弱ってる瞬間を探すのがビジネスなのか?マーケティング?それとも。

この業界に入り、色々と考えることがある。

弱み、強み。

そんなものは、たやすく人に話すものではない。小さい頃から、宗教に狂った祖父祖母を見てそう思う。

彼らを果たして「情報弱者」と一言で片付けていいのだろうか。ふと、記事を見て思い直した。

今や情報を発信する側となり、言葉を送る者が背負うべき責任をひしひしと感じている。

幾多もの情報が溢れる中、選択するのは全て自分だ。

誘いがあろうが、断ろうが。
すべての責任は自分にくる。

誘う人が悪いといっても、最後の責任は自分で取らなければならないことを肝に命じたい。

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