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銀河英雄伝説 二次創作『平行世界におけるそれぞれの日常生活』

 この作品は、徳間書店から1993年9月に発売された『全艦出撃!!(3) 「銀河英雄伝説」同人誌ベストセレクション 凱旋勝利』というアンソロジーに応募し掲載されたものです。おそらく『全巻出撃』の2巻に作品募集のお知らせがあったのだと思います。掲載された公募作品は5つで、小説(の体をなしていませんが)は私だけだったと記憶しています。ペンネームはもちろん三國青葉ではありませんでした。(無料公開)

   1  
「あなた、起きてください!」
 フレデリカ・G・ヤンは彼女の夫の肩をゆさぶった。ヤン家の当主は思いきり伸びをすると、おさまりの悪い黒髪をかきまわしながら言った。
「フレデリカ、紅茶を一杯くれないか。できればブランデーをたっぷり入れて」
「そんなことをしている場合ではないでしょう、あなた」
「今日は何の日だったっけ?」
「あなた、本当に何も覚えていらっしゃらないの?」
「結婚記念日かなあ」
とヤンは用心深く言った。が、まったく自信はなかった。妻が彼の副官であったときから彼女の抜群の記憶能力については熟知し、また尊敬もしていたが、それと同時に自分自身の日常的なことに関する記憶能力の欠如については、それより遥か昔から熟知しているヤン・ウェンリーである。妻はあきれ果て、たっぷり2秒間絶句したあと言った。
「今日は入園説明会の日でしょう。園長であるあなたにもお話をしていただかなくてはならないのよ」
「君に代わりにやってもらうわけにはいかないかなあ」
「また子供みたいなことをおっしゃって……。キャゼルヌ事務長が是が非でもヤンをひっぱりだせとおっしゃっているんですもの。最近出生率が低下して、子供の数が少なくなっているから、どこの幼稚園でも園児獲得に必死になってるんです。うちも例外じゃないんですよ」
 幼稚園がつぶれてしまっては、さっきのように気楽に昼寝を楽しむこともできなくなるなあ。などと不謹慎なことを考えながら、ヤンは重い腰をあげ、フレデリカは夫の黒ベレーの角度を直してやった。ヤンは幼稚園の園長という職に就いてからも、同盟軍の軍服を着用していた。他の服では、なかなか芽の出ない学者の卵という感じがして、園長としての威厳に欠けるからである。
 同盟がラインハルト率いる帝国軍に敗れ去った後、一旦は念願の年金生活を送っていたヤンも諸物価の値上がりや、年金カットなどもろもろの事情で働かなければならなくなってしまった。幼稚園の経営という案を出したのはキャゼルヌであった。学校の経営よりも楽だし、経費もかからないというのがその理由で、かくして2年、ようやくその経営も軌道に乗り始めたところである。

「やれやれ……」
さすがに『皆さん楽しくやってください』で済ますわけにはいかなかったヤンが頭をかきながら戻ってきた。さっそくフレデリカが紅茶を入れて夫の労をねぎらう。ユリアンの入れる紅茶のいとこくらいには上達した(『またいとこ』からはもう1段階レベルアップしていた)それをすすりながら、フレデリカがそばにいなければ本箱の裏に隠してあるブランデーを入れるんだがなあとヤンは思った。もうとっくに妻が、そのブランデーのありかを知っているとも知らずに……。
「ユリアン先生!遊ぼうよ!」
 ヤンが窓に目をやると、園児がユリアンにまとわりついている。やさしくてよく気がつくユリアンは園児たちにとても人気がある。それはまた、父兄の間でも同様であった。ユリアンが園児の一人をひょいと持ち上げ、その腕をつかんでくるくる回る。
「わーい!先生!もっと、もっと!」
 ヤンがこの遊びを園児とすることは禁じられている。くるくる回って、はっと気がつくと子供のセーターだけが手に残っているなどという状況が、充分考えられ得るからである。
 あちらの隅では、ポプランとシェーンコップがかわいい女の子ばかりを集めて、ハンカチ落としをやっている。彼らは最初、女子大か女子高でなければいやだと言っていたのだが、園児を迎えに来ている母親たちを見てたちまちその態度を変え、幼児教育に余生を捧げたいとヤンに申し出たのである。
 教育方針を問われると『卒園後何年たっても衰えない暖かい師弟関係』とか『保護者とは常に密接に連絡をとりあう』などという答えが返ってきた。
 二人の魂胆は見え透いていたが、アッテンボローの反面教師も教師のうちであるという意見でみんな納得した。しかし反面教師という点においては、ほんの数人を除いて(言った本人をはじめとして)みんなその資格を充分に有しているであろう。

「さあみんな、おやつの時間ですよ!」
 園児たちが歓声をあげて手洗い場の方へわれ先にと走っていく。中には手を洗わずに教室へ入ろうとする不届き者もいるが、入り口に立っているムライの検閲に引っ掛かり、退却を余儀なくされるのである。規律に厳しいムライは、ブランコの順番の割り込みなどはもちろん許さず、幼稚園の教師陣の中では数少ない常識派の一人であった。また、彼の厳しい目が、園児だけでなく、一部の教師にも向けられていたことは言うまでもないであろう。
 その日のおやつはフレデリカが焼いたアップルパイであったが、フレデリカの料理の腕も進歩をみせてレパートリーもかなり増え、かつてのように園児に
「フレデリカ先生のおやつは、はさむものばっかりだね!」
と無邪気に言われることもなくなったのである。園児たちにアップルパイを配る者のなかに、カリンことカーテローゼ・フォン・クロイツェルの姿が見られる。彼女は教師陣のなかでは最も年少であるが、若さゆえに失敗もあり、
「カリン先生は、ユリアン先生のことを好きなんだ。わーい、赤くなった!」
と園児に言われ、カッとなって思わず殴ってしまったことがある。まわりの大人たちは、子供特有の観察眼の鋭さに舌を巻き、かつ、『口は災いの元』という古い格言を幼くして体験してしまった彼に対し、心からの哀悼の意を表したのである。
 アップルパイを食べ終えたヤンは、歴史の本をパラパラとめくっていたが、やがてデスクの上に足を投げ出すと、ベレーを顔の上にのせ、夢の回廊を進撃していった。

   2
 大きな行事も終わり、久々にのんびり過ごすことのできる日曜日。
「あなた、坊やのことよろしくお願いしますね」
そう言ってフレデリカは買い物に出かけてしまった。ヤンは妻を玄関で見送ると頭をかきながら、5ヶ月になる彼の息子が眠っている子供部屋にやってきた。赤ん坊はよく眠っていて、父親にその丸々とした頬をつつかれても目をさまさない。そんな息子をヤンはほほえみながらしばらく見ていたが、やがて、読みかけの本を読み始めた。

「……おおい、フレデリカ、窓が開いてるんじゃないか?……。猫の鳴き声がするぞ……。あれ?夢かあ……。どうやら、1時間ほど昼寝をしてしまったらしいぞ……」
 泣いていたのは猫ではなく、ベビーベッドで顔を真っ赤にしてそっくり返っている彼の息子であった。
「やれやれ、いったいどうしたんだ?」
 赤ん坊が泣く理由としては一般的には空腹であるか、おむつが濡れているかのどちらかだな。とヤンは推測した。そして、フレデリカは出かける前にミルクを飲ませていたから、十中八九おむつが濡れていることが予想される。つまり、おむつを取り替えれば問題はすみやかに解決するだろう。ここまで考えてヤンは重大な事実に直面した。ヤンにはおむつの取り替え方はおろか、おむつのありかにさえ心当たりがなかったのである。
「うーん、困ったな」
と言いながらヤンは腕組みをしたまま、泣いている息子をただ眺めていた。赤ん坊は無能な父親を糾弾するかのようにしばらく泣き続けたが、やがて、ぴたっと泣き止んだ。ヤンはこの奇妙な現象にしばらく首をひねっていたが思わず、
「そうか、わかったぞ!」
とつぶやいた。
 赤ん坊はいくらこの人におむつが濡れていることを訴えても無駄だということを悟ったのだ。こんな小さな赤ん坊にも判断力というものがささやかながら備わっているかもしれないことに、ヤンは少なからず感動した。もっともキャゼルヌなどに言わせると、
「きっと泣くのが面倒臭くなったんだろう。なにしろあのヤン・ウェンリーの息子だからな」
ということになる。
 しかし、この赤ん坊、ヤンに風呂に入れてもらっていて湯の中に落とされたり(手が滑ったのだという)、カーペットに転がっているところを踏まれたり(下をよく見ずに歩いていたのだという)、紅茶の入ったブランデーを飲んでしまったり(読書に余念がなかったのだという)などと、生後5ヶ月にして、なかなか波乱に満ちた生活を送っている。成長して自分で自分の身を守ることが可能になる日まで、彼は自分の運の強さというものにすべてを委ねるほかはないであろう。
 とにかく、ヤン・ウェンリーという人物を父親に持つということは、幼少時から、人並み外れた忍耐力や体力を要求されるということにほかならなかった。またこれは、生まれ落ちたと同時に捺される『偉大な英雄の息子』という烙印などとはまったく別な次元における問題なのであった。

   3
 ある日の昼下がり、帝国軍の軍服に身を包んだ一人の青年将校が幼稚園を訪れた。自由惑星同盟駐在の帝国弁務官の任にある、『鉄壁ミュラー』ことナイトハルト・ミュラーである。ヤンはあいにく来客中で、フレデリカがそのことを告げ、別室で待ってくれるように頼むと、ミュラーは人好きのする笑顔を向け、
「今日はお天気もよいので、このまま外で待っています」
と言うと、すぐそばの砂場に向かって歩きだした。
 目ざとくミュラーを見付けた園児たちがかけ寄ってくる。珍しいお客さんに遊んでもらうのが大好きなのだ。園長や職員たちの前歴が前歴だけに、この幼稚園の来客には帝国軍関係者も多い。オレンジ色の髪の毛をした人はちょっと乱暴だったけれど、園児たちを放り投げたり、振り回したりして遊んでくれたし、ピアノを弾いたり、絵を描いてくれた人もいた。トランプのババ抜きをするのにサングラスをかけていた人もいたし、遊んでいる間中一言も口をきかず、無言のまま手を振って帰って行った人もいた。そして、つい先日来たお客さんは、義眼を外してみせ、さわらせてくれたのだった……。
 約1時間後、ヤンはミュラーに会いに砂場にやってきた。園児たちの歓声に混じってミュラーの声が聞こえる。
「イゼルローン要塞より雷神のハンマー発射!」
 しかし、ヤンは5メートル手前に来ても園児たちの中にいる彼を見付けることができず、さらに3メートル進んでやっとミュラーを発見した。ミュラーの髪と瞳は砂色をしており、砂場にいると保護色となって識別が困難だったのである。
「どうもお待たせしました。ミュラー提督」
 ヤンが声をかけると、帝国軍最年少の提督は軍服の砂を払って立ち上がり、丁寧に敬礼をした。
「先日の運動会以来ですね」
 その時、運動会の日に起こった小さな事件を思い出したミュラーの頬に微笑が浮かんだ。

 運動会の日、ミュラーには同行者が二人あった。たまたま所用でハイネセンを訪れていたウォルフガング・ミッターマイヤーとオスカー・フォン・ロイエンタールである。園児たちは珍しい客のまわりに集まり、ミッターマイヤーとミュラーが気軽に子供たちの相手をしてやっていた。
 その姿に刺激されたのか、ロイエンタールが手近にいた子供を抱き上げた。子供はにこにこ笑っていたが、ちょっと不思議そうな顔をすると突然叫んだ。
「おじちゃんのおめめ、片っぽが黒で、片っぽが青だ!」
すると園児たちが口々に、
「おじちゃん、見せて、見せて!」
と言いながらロイエンタールに殺到し、軍服の裾を引っ張ったり、腕に取りついたりと、ロイエンタールをもみくちゃにしはじめた。『帝国軍の双璧』の一人であるさすがのロイエンタールも、相手が幼稚園児ではなすすべもなく、半ば茫然とされるがままになっていた。そのうちに数人の園児がロイエンタールによじ登りはじめたが、そのまま園児たちに押し倒される形となって、とうとうロイエンタールは仰向けに倒れるはめになってしまった。(この時『俺をしてでさえあの男を倒すことはできなかったのに……』とシェーンコップが思ったかどうかは定かではない)騒ぎに気付いたヤン婦人のおかげでやっと園児たちから開放された金銀妖瞳の貴公子が汗を拭い、乱れた髪を撫で付けながら、
「似合わぬことをするものではないな……」
と自嘲的につぶやくのをミュラーはその時はっきりと聞いたのであった。

 ヤンに伴われて園長室に入ったミュラーはしばしばヤンの昼寝用ベッドにもなるソファーに腰をおろした。コーヒーと紅茶のふくいくたる香りが、鼻腔をくすぐる。
「それにしても、あの運動会のマスゲームには感心しました。とても幼稚園児とは思えないくらいすばらしい出来でしたね」
「あれはフィッシャーが指揮をしたからですよ」
「なるほど!そうだったんですか……」
 かつてのバーミリオンやその他の地での戦いにおけるフィッシャーの艦隊指揮の巧みさを思いおこしたのか、ミュラーは感慨深げであった。
「今日はお忙しいところにお邪魔してしまって……」
「いいえ、とんでもありません。もしかするとまた、例の件ですか?」
「ええ、そうです。皇帝陛下が仕官の意志はないかとのことですが」
「これでもう何度目でしょうね。あの方もなかなかしつこいお方だ」
「またあなたの返事も同じなのでしょうね」
「もちろんです。でもきっと諦めないでしょうね、あの方は」
「なにしろ宇宙でさえ手に入れてしまったお方ですから。欲しいものは必ず……」
「あなたもなかなか大変ですねえ」
「それはお互い様です」
「やはり皇帝陛下という方は……」
「ええ……」
とそこは『”とっておきの帝国軍裏話”という本を近々出版するらしい』などと陰でまことしやかに噂されている、『フォーカス・ミュラー』と異名をとる彼のこと。ヤンの知識欲を満たす話題には事欠かず、会話はおおいに盛り上がりを見せていた。

 そして、そのころ首都オーディンではエーミールが、急にくしゃみが止まらなくなったラインハルトを案じ、小さな胸を痛めていた。

〈追記〉
 運動会の一件には後日談が存在する。

 このところ日ごろの精彩を欠くロイエンタールを、ミッターマイヤーは酒に誘った。
「何か心配事でもあるのか?」
「いや、何でもない。卿の思い過ごしだ」
と、酒を酌み交わすうち、やがて、かなり酔いのまわったロイエンタールが口を開いた。
「気に病むという程ではないのだが……。いや、全然気にはしておらぬのだが……。先日の幼稚園の運動会の一件で……」
「あの時は災難だったな……」
「あの時子供たちに『おじちゃん』と呼ばれたのが……。あんな経験は初めてだったからな……」
 ミッターマイヤーは思わず僚友の顔を見つめたが、色の異なる双瞳には真剣な光が宿っていた。
「しかし、卿も俺も『おじちゃん』と呼ばれてもおかしくはない年齢は年齢だぞ」
「卿は結婚しているから、それでもいいだろう。しかし俺は違う!」
『卿は俺よりひとつ年上だぞ!』という言葉を飲み込んで、ミッターマイヤーは言った。
「ああ、そう言えば、ミュラーがいつだったか言っていたんだが……。園児がミュラーのことを『おじちゃん』と呼ぶのを聞いたヤン園長が、『うちには、30歳以上の男の人を”おじちゃん”と呼びましょう。と園児に教えている者がいるので……』と苦笑いしていたそうだ」
「そうか、ミュラーでさえ『おじちゃん』と呼ばれたのか。そして、それが幼稚園の教育方針のひとつだというのなら、仕方がないのかもしれぬな……」
「……………………」

(なお、園児にとんでもない教育を施し、ロイエンタールに苦悩に満ちた日々を送らせてしまった張本人は、脳天気に、今日のお相手と一緒にハイネセンそぞろ歩きと洒落こんでいた。自称『きらきら星の高等生命体』ことオリビエ・ポプランである。)

 翌日、ロイエンタールはミッターマイヤーに
「夕べは、つまらぬことを言った。忘れてくれ」
と言ったが、ミッターマイヤーが
「何の話だ?俺は覚えておらぬぞ」
と答えたので、その後このことが二人の間で話題にのぼることはなかった。
 また、ミュラーが同席していなかったのでこの話は二人以外の何人も知るところのものとはならなかったのである……。

                               〈完〉

 お読みいただきありがとうございました。
 銀河英雄伝説は、1985年、大学院1年のときに同じ学科のひとつ上の先輩に「面白くなかったら読むのをやめればいいんだから」と1巻を押し付けられてどハマりしました。ヤン・ウェンリーの大ファンです。
 8巻を読んだ後二次創作を始め、当時部員がすべて銀英伝ファンであったお茶大SF研(学園祭に田中先生をお呼びしたりしていました)にも入部。二次創作は小噺をよく書いていて、SF研の先輩発行の『キルヒアイスに花束を』(通称:はなまるき)というお便り紙や、銀英伝のお茶会で知り合った方々が出していらした『海鷲』という同人誌にのせていただいていました。
 二次創作を読んでくださった方々にウケてうれしかったのがきっかけで小説を書き始めたので、推しが死んだせいで小説家になったともいえます。

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