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進学校で子供が深海魚になってしまった親の気持ち 第三回(何のために勉強する?)

ただいま我が息子は反抗期真っ只中。今までも反抗期はあったが、少しでも勉強のことにふれると鋭い目で睨まれる。

今回は「勉強とは?」について書きたいと思います。

息子が高1の頃に学校を辞めたいと言い出した時、どこか転校先はないか全国の様々な学校を調べたり、校長先生の本を読んだり、同じく進学校で学校を辞めたり、辞めたいと思っている高校生の気持ちをネットで検索したりしていました。

今は良い友人たちのお陰で学校に通学できるようになりましたが、「勉強とは?」については個人的に常に考えるテーマになっています。
色々忘れてしまいましたが、私が影響を受けた先生方の言葉を記しておきたいと思います。(完璧に覚えているわけではありませんが。)
親として気持ちがもやもやした日には思い出したり考えたりしています。

1、『なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか!?』日野田直彦校長著

息子が海外大学への進学を希望していたため、海外大学進学関連の本を読んでいたら出会いました。この先生の学校の在り方の考え方についてはとても共感した部分も多かったです。
もっと自分が高校でどんな教育を受けるのかを知りたかった、と息子に言われ、それは不可能。と思いながらももう少し選択肢があったのかも、と思う時もあります。

「対話の中から答えが見つかる。」
「叶えたい未来や夢を達成するために大学に進み、継続的に学び続ける人材を育成するのが教育の目的。」

学校は予備校ではなく、人が集まり対話をする場所ではないのか?中学から高校へともう少し未来を考えることができないか? こんな事を考えていた時期でした。また校長先生が動けば学校は思ったより早いスピードで変わるもんなんだな、とも知りました。

2、花まる学習会 高濱正伸先生

講演会でのお話
現代の不幸とは4つ
1、人目を気にする
2、比較
3、コンプレックス
4、やらされ感で生きている

4は強制してやらせてばかりいると、こういう事になるようです。
我が家は基礎的な勉強については強制的にかなりやらせていたのですが、ではどうしたらよかったのか?には答えは出ません。ただ、もう高校生ではこれは通用しないことという事は今はわかっています。1−3はない方が幸せ。精神的な鍛錬がいりますが。

3、経済学者 成田 悠輔先生

勉強には3種類ある
1、大学に入るため、資格のためのような勉強
2、勉強自体が楽しい
3、(ここは何回がきいてもよくわからなかった。)
全部まとめて勉強というのでおかしくなる。受験勉強も向き不向きがある。不向きなのに長期間それをやらざるを得ないのはコスパが悪い。

4、「好きを貫いた学び」が評価される入試を…松野知紀さん×慶應義塾大学・冨田勝先生対談 リセマム

冨田先生「日本の教育は小学校までは良いと思うんですが、問題は中3以降。受験に必要な勉強がマニアックすぎて「これは本当に社会で役に立つのか」と一同疑問に思うんです。学校の先生が生徒に教えるためにしか使わないような、ピントが外れた問題を、みんな躍起になって解いているんですよ。」

勉強というのはいわゆる学力テストで数値化される勉強をさすと考えるのが一般的。そしてそれは社会に出てからも、仕事をこなす効率のよさ、スケジュール管理力、物を深く考える力、論理的な思考力などを表しているように感じてきた。

ただ、それが全部ではないのも確かだ。
また、勉強を目的を達成したら辞めてしまう人と生涯勉強をし続ける人というのはいると思う。それは2の勉強なのかもしれない。

自分が勉強が好きだと知ったのは社会に出てからだ。
学生の時はただがむしゃらにそういうものだと思って勉強をしていた。
それほど高い学歴があるわけではないが、努力が数値化されるのは分かりやすく、色々な事を器用にこなせない自分の自己肯定感につながっていたと思う。
社会人になってからも仕事に必要な事、資格、語学など勉強はし続けている。特に講演会などで新しい知識、考えに触れた時に脳が喜びを感じているのをしっかり感じる。
同じ大学卒の友人にも「勉強が好きなんだね。私は好きじゃない。」と言われることも多く、多分そうなのだと徐々に自覚し始めた。

私達の世代の大部分は1の入試のための勉強を学習だと思う人が多かったと思う。そしてそれが経済的安定という将来の幸福を担保する手段だとあまり疑わずにきたと思う。
インターネットの情報もなく、ある意味盲目に思春期にやりたい事を我慢して、勉強に時間を注ぐのが当たり前だった。

現代の高校生は膨大な情報の中にいる。
そしていわゆる進学校に通いながらも「何のために勉強するのか?」という哲学の答えが出せず、踠き苦しんで勉強に価値を見出せなくなり不登校になる子も周囲にはいる。
当然だと思う。若いということは気力、体力、好奇心が旺盛な2度とないキラキラした時期。世界は広く、色々な選択肢がある事は知っている。変革、柔軟な考え、自分で考える力と言われて教育されるが、実際は課題や土曜、長期休みは補講で縛られ考える暇などない。矛盾している。
心踊らない勉強にその大切な時期を捧げるには納得して覚悟を決める必要がある。

息子はサボリ屋で深海魚になってしまった事が勉強への気力を失わせたことにつながっているが、自分なりの哲学を探そうとしているようにも思える。
机に向かわなくても本は読む。
勉強は1種類でないことを知っているのかもしれない。
「日本人はもっと幸せと求めるべき。苦行が好き。最後は精神論。」
「ストレスを逃す方法を早いうちに知っておく方が大事かもしれない。」
、などと色々ぶつぶつ言っている。

何も考えずに受験勉強に没頭し、とりあえず大学に入ってから考えた方が効率がいいのだから、この問いに高校でぶつからない子の方が幸せに見える。

迷いながら答えがでず、学校に行けば勉強への圧力を受けながら競争心を煽られる。

やはり家庭ではそれをやってはいけない。私は黙っていないといけないのだな。
また、忍耐。が今日の締めになる。




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