佐渡の能舞台で奉納能

三十年前、能楽にはまった時期があった。まだ、観世能楽堂が、松濤にあったころの話だ。知り合いから、チケットをいただき、毎月のように通った。

わからないまま、会社の組織や仕事に疲れた心に染み入るように、入ってくる。歌舞伎のような、派手さはないが、哀しみはよく伝わってきた。 

能楽の主人公は、敗者が多い。この世で報われなかった人々が、祈りにより、清められ、旅立っていく。救いがテーマとなっているものをみると、こちらも、同じようにほっとした。

佐渡で初めて、能楽を見たとき、お弁当を食べている人や、世間話をする人を見て、新鮮な驚きだった。ここでは、能楽が特殊なものではなく、日常なのである。

佐渡の人々の温かさに触れ、なぜここに、能楽が残っているのか、知りたくなった。調べていくうちに、会社員でいることが、不自由に感じ、起業することになる。

長い物語の始まりだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?