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担任の先生と中学の思い出

中学時代はいい思い出がない。
そんな私だったが、持久走が得意で全校生徒の中で1位2位を争うぐらいだった。
中学校対抗の駅伝選手に選ばれて嬉しかったのを覚えている。そして私は毎日中学校の外周を走り込をして、帰ってからも夜走り込んで練習に励んだ。
駅伝大会本番は担任の先生とそのお子さんが私を応援してくれたのを覚えている。
のちにその大会で男子優勝と女子優勝した人たちとは高校で再会を果たすのだかそれはまた別の話で記載しようと思う。

去年、中学時代の学年主任が定年退職するということでお祝いの飲み会の席が弟の代の子たちが開いていた。その中に担任だった先生が参加していたため弟の粋の計らいで私と先生を合わせてくれた。
先生には当時本当にお世話になってて感謝しきれない。高校に進学してからも学園祭に顔を出してくれて可愛がってくれ嬉しかった。
そんな先生と我が子を連れて再会して、話は尽きなかった。
看護師をしながらケアマネージャーを目指して勉強している話をした時は
「みほは人の面倒見がよかったから凄く看護師もケアマネージャーも向いてるよ。」とエールを送ってくれた。
看護師が向いてるなんて思ったことなかったから、驚きだった。でもそう思ってもらえて素直に嬉しかった。頑張って勉強したけど去年のケアマネージャーの試験は惜しくもあと1問届かず落ちた。
今年も再チャレンジして2年後先生が定年退職するときには福祉系ナースの一線で活躍する姿をみせれたらいいなと思う。

余談だが、中学校の外周は桜が綺麗だなと思っていた。中学を卒業してから一度も学校の敷地を訪れる事はなかったが、最近外周の桜と我が子たちをカメラ撮影をしてきた。正直言うと辛い思いでしかないため、自ずと足が遠のいていた。
行ってみたら少し切なかったけど、あの頃の私はもう居なかった。
明日死のうとしてたあの頃の私は、あれから何十年も生きてここに居る。
そして私の子供が2人、外周の桜の道を歩いてる。

もがき苦しみながら耐える日々だったけど、自分を傷つけてばかりだったけど、
時間が解決するとは本当で、今やっとあの頃を許せるようになって、自分を認めてあげれるようになった。ここが私のスタートラインなのかもしれない。

十代はいつか終わる
生きていればすぐ終わる
若さは素っ裸
見苦しいほどひとりぼっち

深夜高速/フラワーカンパニーズ

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