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【自己紹介】わたしのこと その3

こんにちは。みるださんです。

「なぜカフェを開業したのか」と問われたら、
もちろん憧れもありましたが、
荒れていた家庭生活から逃げたかったのと
「自分という人間を認めて欲しかった」気持ちがありました。
承認欲求、強すぎたかもしれません。

動く駒の一つとしてしか見てもらえない会社での立ち位置への不満。

そして、娘が生まれた後も産休だけを取って仕事に復帰し、「仕事と家事と育児を両立している私」は家族からは当たり前で、
何からも誰からも自分の努力を認めてもらえてはいないというジクジクした思いがありました。

もしかしたら夫から一言
「ありがとう」の言葉があれば、私はそれで満足していたのかもしれません。(もちろん彼には彼の言い分があるはずですが)

カフェを開業するに当たり、夫に対してやったことが2つ。
「お金の整理」
住宅ローンの借り換えをして、夫一人の名義にしました。
夫には「今借り換えれば支払金額は少なくなるよ」と言って(これは本当)
それと、私が不在の時は家事はやってもらえるよう頼みました。
この時点では、まさか自分が毎日午前様の生活を送るとは思っていなかったので、片付けや定休日には今まで通り家事をするつもりでした。
右のお箸を左に動かすこともしない家族に、ちょっとぐらいお母さんの大変さを分かって欲しい…そのくらいの軽い気持ちでした。

まあ、そんなかんなで自分の中では勝手に義理は果たしたみたいな感じでカフェを開業しました。

カフェ開業準備中、食器の買付や食材の業者さんにお会いするのに一人で九州へ行き、レンタカーを借りて回って…楽しかったなあ。

そして念願かなってカフェ開業して、
ここからカフェ経営の苦しさを身をもって経験することになりました。

満席のように見えて「長居」という名の増えない売り上げ
慣れない毎日の午前様
休めない休日
なのに月末には財布の中には小銭しか残りませんでした。

家事は完全に放棄状態になり
夫との会話はほぼなくなり
それでも娘たちとはなんとかコミュニケーションを取ろうと、一緒にお風呂に入ったり、高校帰りに夕食を食べるために閉店後の店に寄ってもらって、
一緒に彼女たちの好きなK-POPを聞いたり

常連様も少しはつくようになりましたが、健全な経営には程遠く、むしろ
「望まない客」の方に目が行きがちで、それでもカフェ経営を諦めたくないと思えるほど、私は仕事が好きでした。
だからどうにかしたいともがき、「自分からはじめたこと」の落とし前をつけるため4年頑張って、
ヘルニアで立てなくなり、自分のせいなのにお客様が嫌いになり、この街が嫌いになり、店を一旦休むことにしました。
(この辺は過去の投稿でも書いています)

休んだら、あれほど辛かった腰痛が1ヶ月でなくなりました。

もう一度リベンジしたいと
これまでのお客様を全て手放す覚悟で、新しい店の形を作りました。

簡単に言えば「高級ネットカフェ」
時間制採用、メニューの価格は1.5倍に上げました。
批判されることなんて覚悟の上。
考えに考えた結論でした。

そして、リスタートを切った2019年2月。
1ヶ月後に未曾有のパンデミックがやってきました。

が、私のお店はポツポツとお客様が来られ、客数の割に月末にはお札が残りました。

その1か月後、ゴルフから帰ってきてお風呂に入り、いつもと同じ日常を送っていた父が倒れ、そのまま帰らぬ人となりました。
夜中に10時間車を飛ばし、本来なら看取ることもできたはずなのに、
県外から帰ってきたというだけで、病院には入れてもらえませんでした。
付き添っている母とも会うなと言われ、ビジネスホテルの一室で眠れない夜を過ごし、翌朝妹の嗚咽を電話で受けました。
死因がコロナではなかったため、家族で葬儀ができたのがせめてもの救いでした。

この得体のしれない病気は、この後いくつもの本質を私に教えてくれました。
なんで、色々お話できます⇓⇓



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