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ゆぴの10分日記

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帰り道の10分間で書く独り言のような日記。よわっちくても生きてるだけでえらいえらい!
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2018年10月の記事一覧

りゅうちぇるさんへの取材を終えて。「自分」を手放してしまったすべての人へ

本日満を持して、りゅうちぇるさんの取材記事が公開されました。 もうりゅうちぇるさんと言うのがしっくり来ない…いやりゅうちぇるさんなんだけど、私にとってはりゅうちぇるなんです!(笑) そんなわけで、今回はご縁があってりゅうちぇるに取材をすることができました。あんまりこんなことを堂々と宣言するのもおかしいけど、多分記事を読んだ人にはバレバレだと思うので言います。 わたしは、りゅうちぇるのファンです。 個人として、ものすごくりゅうちぇるを尊敬しているし、応援しています。

疲れたら全力で余白を作りにいこう

金曜日に有給をとった。 特に何か予定があるわけではない。 ただ、私はたまに限界を感じると有給を取って2時間かけて電車とバスを乗り継ぎ実家に帰る。 そして、溜まったドラマを観ながらブログを書き、家族に近況報告をするのだ。 『実家に帰りすぎじゃない?』 としばしば突っ込まれるのだが、実家を出て早1年、私は予想以上にダメージを受けていたことに気付いた。 それは、家族のあたたかさだけじゃない。実家に帰ることは、自分の余白を作る行為でもあったのだ。 まず、家に帰るまでの2

人見知りは直らん。あきらめろ。

『人見知りなんです…』 という人は結構いると思う。なんなら人類のほとんどは人見知りだと思っている。 何者かもよくわからない得体の知れない生命体に近づく行為は危ないと、本能が叫んでいるのかもしれない。 でも、人見知りのなかにもなんとなくレベルがあると思っていて、ライトな人は成長過程で多くの人に関わるにつれ、直ったりもする。 わたしの場合は、もはや記憶も皆無なベイビー時代から、母以外の人が接近しようものならギャン泣き。何なら、父が出張で3ヶ月顔を合わせなかったときには父の

『メンヘラ』と言われたくないから『メンヘラ』と自己申告する

“メンヘラ”、これほどまでに一人歩きをしまくっている言葉はないと思う。 ネットスラングなので定義が曖昧なのも相まって、ほんの少し弱音を吐いたり、泣きべそをかいたり、どんよりとしているだけですぐにメンヘラ認定されてしまう。 そんな世の中ポイズンである。 私は、いわゆる友達に軽い気持ちで言うような”メンヘラ”は『ちょっと敏感な人』を言い換えた言葉だと思っている。 人に言われたことを気にしすぎて、悪い方向に考えてしまう人。 小さな失敗をいつまでも引きずり、クヨクヨと悩ん

幸せの尺度くらい自分で決めさせてよ

『あなたは本当に恵まれているんだよ。何不自由なく育って、たくさんの習い事をさせてもらって、お父さんの仕事のおかげで海外にも行けた。帰国子女だから一般の高校生よりも遥かに有利に良い大学にも入れたし、高い学費だって出してもらえた。』 『なにが不服なの?』 確かに、これは全部本当のことだ。きっと誰かからしたら喉から手が出るほど欲しいものを持ってると思う。 でも、自分でも不思議なくらい、全然幸せじゃなかった。 それにも、ものすごく悩んだ。私は何が不満なんだろう?と。

『一度挫折を経験しておいた方がいいよ』は嘘だ

「あなたは一度どん底を味わっておいた方がいいと思う」 というのは、よくお母さんが私に言っていた言葉だ。 幸いなことに、受験など人生の転機において大きな失敗をしたことがなかった私は、おそらく調子に乗って見えていたんだと思う。 何一つ不自由なく暮らし、家族に守られ、友達に恵まれ、のうのうと生きていた。 そんなある日、ついに『どん底』というやつがやってきた。 それは、途方もなく長く、延々と続くトンネルのように真っ暗で出口の見えない絶望だった。(それはもう表現できないほどに)

完璧主義って全然まったくこれっぽっちも完璧じゃない

以前、遅刻に関する取材を先生にしたときに、 『完璧主義の人ほど遅刻する』 と仰っていたのがものすごく印象的だった。 完璧主義なら、きちんとオンタイムに到着しそうなものである。 でも、完璧主義であるがゆえ、いつまで経っても身支度が終わらない。そして、ちょっと時間ができると家事なんかもやり出して、しかも終わるまで途中で辞めないから結局遅刻してしまうらしい。 しかも、5分遅れたりすると、それはもう完璧じゃないので、じゃあ30分遅れてもいいか、みたいなマインドになってしまう

友達は、いつまでも友達じゃなくてもいい

社会人になる前の1ヶ月間、 『会おう会おうと言って結局会っていない人に会いに行くプロジェクト』 をやっていたことがある。 誕生日や正月の度に、『また会おうね』と最後に定型文のようにくっつけるアレを嘘っぱちで終わらせたくなかったのだ。 そのときには本当にたくさんの人に会った。小学校のときのクラスメイトや、遠い場所に住んでいる友達、一度だけ同じクラスになって仲良くなった友達。 ひとりひとりに会う時間はすごく楽しかったし、こんなこともあったねぇ、なんて懐かしんだりした。

もしも願いが叶うなら、私はヲタクに戻りたい

なかなか意味のわからない悩みだと思うが、数年前からずっと思っている。 私は、ヲタクに戻りたい。 ニコニコでしょーもない替え歌や好きなアニメのMADを漁り、休日は好きな声優の絶版キャラソンCDを手に入れるためだけに1日中ブックオフを徘徊、登下校中はアニメのラジオを聴いてこぼれ出る笑みを俯きがちに隠し、夜な夜な好きなキャラクターを模写し、買いたてのコピックで色ぬりをしていた、あの頃に戻りたい。 私は、この世で1番幸せな生き物はヲタクだと思っている。 どんなにリアルが辛くて

自信がないあなたへ何度でも言う、『あなたはすごい』

最近周りの友達がバタバタと闇落ちしている。 いや、闇落ちという言い方は正しくないな。仕事に疲れて心を病んでしまっている。 それで、あまりにもひどいので 『早くエスケープしなよ…!』 と言うんだけど、テコでも動かないんだこれが。 なんでかと言うと、大体鬱になってしまう人は、『完璧主義』な人が多く、完璧な理想の自分と現実の自分の乖離が許せなくてもがいているうちにだんだん病んでしまうそう。 自分はもっとできるはずだ、自分なんかが鬱になるはずがない、って更にがんばってし

理解されたい。理解されたくない。

仕事も順調で、友達もいて、家族もいて、最近だとイラストや文章について褒められることが多くて、幸せなはずなのに夜中にふと、うーっと泣きたくなることがある。 多分、私は誰かに理解されたいんだと思う。 でも、無理難題を課すように人と話すとヘラッとしてしまうし、本質を突くようなことを言われてもきょとんととぼけるようにしてしまう。そんな、無意識に隠そうとする癖がある。 誰かに理解されるということは、本当の自分を晒すことだ。 そして、きっと私は多分その『本当の自分』が好きじゃない