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ゆぴの10分日記

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帰り道の10分間で書く独り言のような日記。よわっちくても生きてるだけでえらいえらい!
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2018年11月の記事一覧

幼い頃の自分を裏切りたくないからがんばれる

どうも、慌ただしく動いていろいろやってると「がんばっている」ように見えるようで、「がんばってるねー」と言われる。 そんなときに、よく聞かれるのは「その原動力は何なの?」ということだ。 でも、自分が動ける理由なんて、自分で言語化できるわけでもない。なんで自分が動けるのかなんて考えたこともないし、それが当たり前のことだった。なんなら動けているとも思っていなかった。 でも、最近、もしかしたら私は、昔の自分との約束を頑なに守ろうとしているんじゃないか、と思うようになった。 大

みんな絶対にやめる。だから、黙って続けるだけでいい。

4月から、声優の養成所に通っている。 少人数制のクラスで、20人くらいだ。 とは言え、このなかから上のクラスにあがれるのはほんのひと握り。せいぜい1人か2人だけだろう。 入所当初、そんな声優志望者たちがこの場に20人もいるという現実に打ち震えた。 全員が切磋琢磨する仲間であり、全員が敵だ。 決して安くはないお金を払い、貴重な日曜日の夕方3時間をレッスンに捧げている。 先日、ひとりのクラスメイトが教室を去った。 夢をあきらめたのだ。 でも、今回がはじめてではない

3分だって3時間だって「がんばった」事実は変わらないのに

要領が良い人は、チャチャッと何事も素早くこなしてしまいがちである。 でも、わたしは要領が良いって実はちょっと不利だなぁと思っている。 人は、人のがんばっている姿が好きだ。 わかりやすい、泥くさい努力。 長い時間、机にかじりつく姿。 たとえば、絵ひとつとっても、3分で描ける人もいれば、3時間かけて描く人もいる。 たしかに、客観的に見れば3時間かけた人は、丁寧に描いてくれたんだろうな、と思う。 「長い時間」=「丁寧」 に変換されがちだ。 でも、それじゃ

人に「好き」と言えないのは、「同じくらい好き」じゃないのを確かめるのが怖いから

人の「好き」ほど不確かなものはないと思っている。 本来なら笑って「ありがとう」で済ませれば良いのに。 かつて、好きだった人がわたしを好きじゃなくなったことがある。さすがに月日が経てばそうなるのもまぁ仕方がないとは思うけど、そのときのわたしは頭がガツンと殴られたようだった。 ああ、永遠の「好き」なんてないんだ、と。 同じように、友だちも環境によって移り変わるから、あんなに好きだと言ってくれていた友だちも今や疎遠になっていたりするし、久々に会ったとしても「好き」なんて言葉

二重人格なんてない。ぜんぶ自分だ。

すごく昔から悩んでた。どうして家族の前では自分をさらけ出せるのに、クラスではかしこまっちゃうんだろうとか。 塾に通ってるとき、なんとなく引っ込み思案だなぁと思って、ああ、学校での自分を見せてあげたい!!と思ったり。 なんていうか、たぶん無意識のうちに、人は自分の性格をカチッと場面に切りかえられる能力がある。 べつに変えたいわけじゃないんだけど、なんとなく、こっちのほうがみんなが喜ぶんじゃないか、やりやすいんじゃないかって切り替える。 それに、幾度も悩まされることがあっ

怖がらずに挑戦できるのは、「一度死んだ」ことがあるから

「いろいろやってるけどよく勇気があるね」 「よく今から新しいことをやろうと思うね」 「なんでも晒せるのすごいね」 なんて言われるけど、自分でもそれがちょっと不思議だった。 わたしは決して積極的な性格じゃない。超引っ込み思案だし、いつも隅っこにいる。 でも、どんな変化が起きても、事件があっても、どこか飄々としていることも確かで、それはどうしてだろうと考えたときに、 あ、そういえば自分は一度死んでいるからだ、と思った。 わたしは、一度夢を諦めたときに、死んでいる。

好きなものを見つけたら、それだけで100点満点だ

人を好きになるって難しいじゃないですか。 この人は信用に値するのか? 絶対に自分を傷つけない存在なのか? なんて疑って疑心暗鬼になっちゃったり。 でも、その反面、ものは裏切らない。 かくいうわたしもなかなか人を好きにならない性質です。 警戒心も強いし、やっぱり人を好きになるということは双方向の好きが成り立たなきゃいけなかったりするから、なかなか難しい。 それで、ああ、なんか私はズレてるんだろうか?人を好きになれないなんて…って悩んだりしていました。 でも、最近す

世界は変わらなくても自分の世界は変えられる

思うんですよ。 会社内と学生時代の友だちだけが、自分の世界のすべてなんじゃないかって。 少なくとも、わたしの大学時代の友だちはみんなそんな感じだと思う、バカにしてるとかそういうんじゃなくて、たぶんこれが普通の感覚だ。 だって、わたしもずっと、学校とサークル、家の中が自分のすべてだったから。 わたしが入っていたバンドサークルは小さな社会みたいだった。 ニュースはすぐに社会の中を駆け巡るから、何かしら失態をしたらウワサになるし、ちょっとでも『ヘタ』のレッテルを貼られたら

身体が丈夫すぎる人は心の疲れに鈍感だ

風邪をひきました。(どーん) いや絶対ひくと思ってたんだけどさ。 これ、身体の丈夫な人あるあるだと思うんだけど、全然身体がへこたれないのでガンガンアクティブに動き予定を入れまくる→ある日突然爆発するという負の連鎖、起きませんか。 それも、なんの前触れもなく、 『あっ!限界きちゃったー⁉︎』 といきなり倒れませんか。 それで、身体がちょっと悲鳴をあげてから、あっ、わたし疲れてんだ!と気付く。 わかってるんだけど何度もやってしまうこれ、いくないですね。 という

歌には思い出が引っ付きやすい問題

何かをきっかけにして何かを思い出す、というのはまぁよくあることだろうけど、そのなかでも厄介なのが歌だと思ってる。 例えば、場所であれば、そこを避けるようにして生きればまず思い出すことはないだろう。 でも、歌は。 自分の意思とは関係なしに耳にスッと入ってきてしまうものである。 ぼんやりと街を歩いているとき。 なんてことはないショッピングセンターで。 シャッフルしていたらたまたま。 そんな感じで突如として耳に入ってきては、思い出を逆なでしてくる。 しかも、目と違っ

嫌いなものを好きになるのは難しい

好きなものを嫌いになるのはもちろん難しいよ。だってそれってもはやダイエットじゃん。 大好きな糖質をセーブすること。それはセーブしてるだけで別に嫌いになってるわけじゃないんだけど。嫌いになるようなものだよね。 反面、嫌いなものを好きになるのはどうなんだろう。 そもそも、嫌い!って思うのだって、きっと何かしら理由があるはず。自分にとっては大事件があって、そこから何かが狂ってしまったりしてね。 そうやって、ずっと遠ざけていたものほど、好きになることは難しい。 でも、時とし