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ゆぴの10分日記

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帰り道の10分間で書く独り言のような日記。よわっちくても生きてるだけでえらいえらい!
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#日記

自信がないあなたへ何度でも言う、『あなたはすごい』

最近周りの友達がバタバタと闇落ちしている。 いや、闇落ちという言い方は正しくないな。仕事に疲れて心を病んでしまっている。 それで、あまりにもひどいので 『早くエスケープしなよ…!』 と言うんだけど、テコでも動かないんだこれが。 なんでかと言うと、大体鬱になってしまう人は、『完璧主義』な人が多く、完璧な理想の自分と現実の自分の乖離が許せなくてもがいているうちにだんだん病んでしまうそう。 自分はもっとできるはずだ、自分なんかが鬱になるはずがない、って更にがんばってし

たとえば、ぬるい幸せがだらっと続いていく日々に

今日は、なーんも有益なこと書きたくないし、読者のことなんてなーんも考えたくないし、わたしのためのどうでもいい日記を書くんだぞーという気分で筆を取ってみる。筆っつーかフリック入力だけどな。まぁええんやで。 どうやらやっと冬が来たらしく、日の落ちるスピードが異常なほどに感じる。友だちとちょっと遅めのランチをして外に出たら、もはや夕焼けでもなく夜空が広がっていてびっくりした。 最近のわたしは目の前の楽しそうなことにパッと飛びついて、その隙間にやるべきことをやっている。そんな感じ

街から飲み会が消えた日

わたしはもともと、飲み会が好きじゃない。 ザワザワしているから、隣の人になにかを伝えるにも声を張り上げないといけないし、「なにを言ってるんだかわからなかったなぁ」って話題にもなんとなく笑顔を作らないといけないような気がして。 一時期は仕事おわりにスマホを見れば、いろんなところから飲みの誘いが来ていたけれど、今はそれがぱったりと止んでいる。 それはもちろん、わたしが断りつづけた結果でもあるし、コロナ禍で飲み屋があいていないというこもある。 それがひどく寂しく感じる。

「割り切ること」が大人じゃないって思いたいよ

悔しい!!!!!! 嫌だ!!!! …って思うこと、日常のなかで多々あると思うんだけど、その「悔しさ」「嫌」をどう消化するのかが変わってきたような気がする。 前までは悔しいことや嫌なことがあっても、せいぜい友だちにこぼしまくったうえで、デトックスする程度だった。 「そうだよね、仕方がないこともあるよね。最終的に受け入れることが大人だよね」 なんて自分に言い聞かせて飲み込むこともあった。とりあえず愚痴ったしいいかぁ、と。別にわたしがああだこうだ言ったところで、何も起きない

やっぱりお外に出ていたい

自粛が開けて、はじめてのお出かけの日。 今日は朝いちばんでコナンの映画を観てきて!「コナンって探偵物を超えてアクション映画なんだな!?」と度肝を抜かれてきたわけです。 ちょっとだけ肌寒い1日。私が自粛期間をおえて、はじめて外に飛び出した日でもある。 朝一番で映画を観るために7時台の電車に乗って、ぎゅうぎゅう詰めにされながら新宿に向かった。 あんまりおいしくないマグロの入ったサラダボウルをお昼に食べて、3週間ぶりに銭湯に行く。 軽く身体をあたためるために入った炭酸泉で

集中力長続きマンは早死するよ

あーもう無理。腰が爆発しちゃう。弾けとんじゃう。 思うんだけど、「異様に集中力が続く人」って早死するんじゃないか。 1日部屋にこもってカタカタやっていたら、飛行機にも乗っていないのにエコノミー症候群みたいになりそうだ。 とにかく腰が痛いし、脚に血がどんどん集まっていくのがわかる。成長痛みたい。 そして極めつけは、何も食べない。 なんというか空腹より「立ち上がって作業を中断する面倒くささ」のほうが勝ってしまって、動かないことを選んでしまう。 そして何も食べないからこ

半年間毎日知らない人に「かわいいね」と言われつづけた話

「ゆぴしゃん今日も可愛いね🥺」 そんなDMを、半年間毎日欠かさずに送り続けてくれた人がいる。 何きっかけでそうなったのか、もう半年も前のことなので全然思い出せないし、DMが遡れなかったので迷宮入りなのだけど、ずっとずっとずーっと送り続けてくれた。 基本的にはその一文だけのシンプルなDM。 最初は、「どうリアクションすればいいんだろう」とか、「物好きな人だなぁ」と思っていたんだけど、気づけば毎日DMをひらいてメッセージにハートマークを押し続けるのが習慣になっていた。

どのコンテンツも、実は伝えたいことは超シンプルなのかもしれない

前々から思っていた。あらゆるコンテンツが伝えたいメッセージって「愛」でしかないんじゃないか、と。 わたしには「リゼロ」(Re:ゼロから始める異世界生活)という好きなアニメがあるんだけど、今日あらためて観て確信した。 当時「長ったらしいタイトルのラノベ原作アニメが嫌だ、どうせラブコメだし」と偏見を持っていたわたしに、「アンタは絶対好きだと思う」と友だちが推してくれたおかげで、かれこれ2016年から追いかけている。 それはさておき、これがまた登場人物も多く、複雑な設定で残酷

いくら褒められても自分で自分のこと認められなくちゃ意味ないよって

いつもポジティブではつらつとした雰囲気の友人のSNSをそっとひらくと「死にたい」なんて書いていたりして、人間ってほんとにわかんないな、と思う。 意味がわからない。 むしろ、「え、お前わからないようにわざとカモフラージュしてるよな、え?」ってぐらい演技派女優だらけだ。 そんでもって、「誰かに認められたい」とも書いているSNSを見て、また怒りたくなってしまう。 わたしはこんなにも認めてるのに!!!とか。まわりからもこんなにも認められているというのに、どうして気付かないんか

他人が私の客観的評価を気にしてくれるということ

自分で言うのも何なんですけど、わたしはマジで他人に興味がないんですね。 こういうと冷酷な感じがするけど、別に仲良くなりたくないわけでもなくて、ただ必要以上にに近づかなくてもいいかなーと距離を取る傾向があるんです。 そんなにキャパがあるわけでもなくて、一度にたくさんの人のことを考えて大事にすることができないから、最小限に留めておきたいというか。 向こうが懐にぽんっと入ってくれるか、あるいはわたしが個人的に興味があって近づいていくかの2パターンしかないんですね。 だから、

「面白かった」の一言でおわらない人になるために

わたしが小学生のころ、「お話きいて」というコーナーが帰りの会であった。 ルールは至ってシンプルで、何か話したいことがある人が手を挙げ、無事にさされたら「お話きいて」という。それに合わせて、クラスメイトが「はい、どうぞ」と言い、その後手を挙げた人が「昨日ね、お母さんがね〜」といった調子で話しはじめる。 この、「自分が見聞きしたものを誰かに話す」というのは結構大事なことだなぁと今は思う。 「誰かに話したぁい!」と思えるような出来事があって、それを相手に伝えていくうちに、「あ

みんなに会えないままにライフステージが変わってゆくのが怖い

わたしは一時期、仕事と自己実現に夢中で友だちからの誘いを蔑ろにしていたことがある。 コロナになった今、それをちょっと後悔している。 友だちと時間を気にせずに遊んだり、悩みに寄り添ったり、ピンチのときに駆けつけたり、そんなことができる時間は有限だ。 「助けて」ってときに側にいれなかったり、逆にどうでもいいときに笑い合えなかったり、些細な悩みを聞けなかったりしたのは悔しい。 わたしたちはどんどん成長していくし、時間も過ぎていく。 みんなの状況もどんどん変わっていって、そ

ダラダラしているだけで褒められちゃう

正月が明けても相変わらずソファのうえでとろけているような毎日を送っているんだけど、最近ダラダラしていると褒められるので不思議な気持ちになっている。 「自分の欲に従うって最高やで」と言うと「刺さるわぁ…」と言われ、「ゆぴしゃんがダラダラしていると許されるような気持ちになる」と言われ、本人ダラけているだけなのにまるで怠惰の神になったような気持ちである。 つまるところ、それほどみんなストイックに生きているんだということ。 友だちのGoogleカレンダーを見たら予定とタスクがぎ

ひとつ欠けるだけでもダメな世界

改めて、超絶苦手なコーディングの勉強を再開したんだけど、やっぱり改めて超絶苦手だなーと思った。 何が苦手なのかというと、ひとつ欠けるだけで全部が台無しになることだ。 今日は「div」というたった3文字がないだけでレイアウトがしっちゃかめっちゃかになるという事件が起こった。 うまく表示されないとき、コードをじっと見つめてミスの原因を特定しようとする。えーっとここはペアになってるじゃん、ここのスペルは合ってるじゃん、というふうに。 たぶんミスのチェックだけで1時間ぐらいは