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ゆぴの10分日記

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帰り道の10分間で書く独り言のような日記。よわっちくても生きてるだけでえらいえらい!
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#フリーランスへの道

自信がないあなたへ何度でも言う、『あなたはすごい』

最近周りの友達がバタバタと闇落ちしている。 いや、闇落ちという言い方は正しくないな。仕事に疲れて心を病んでしまっている。 それで、あまりにもひどいので 『早くエスケープしなよ…!』 と言うんだけど、テコでも動かないんだこれが。 なんでかと言うと、大体鬱になってしまう人は、『完璧主義』な人が多く、完璧な理想の自分と現実の自分の乖離が許せなくてもがいているうちにだんだん病んでしまうそう。 自分はもっとできるはずだ、自分なんかが鬱になるはずがない、って更にがんばってし

器用貧乏が全方面にキラわれる理由

わたしはめちゃくちゃ重宝される。 まず、タイピングが速いし文章が書ける。 写真が撮れるからカメラマンをアサインしなくていい。 フォトショが触れるからアイキャッチも作れる。 イラストや簡単なマンガも描ける。 バンドをやっていたので、歌がうたえて人前でMCをすることもそんなに抵抗がない。 ブログも書いている。 まだ発展途上だけどグラフィックレコーディングもできる。 何だかんだ言って便利な存在である。 でも、ものすごく嫌われているとも思っている。 全領域の人に

やりたいことと、やったほうがいいこと

今日、自己理解について勉強をしている友だちと話した。 自分の心の声に耳を傾けられる人は意外と少なくて、「やらなくちゃいけない」「こうしたほうが自分の得になる」と考えてしまう。 それは、安定のためでもあるし、将来のためでもある。 じゃあ、今やりたいことは? これを頭じゃなくて心で感じることが大事なのだ。 でもわたしは、言語化するのが怖かった。 もともと自分のことを俯瞰してみる癖があるので、自分のためというよりは、総合的な最適解を考えていた。 内向的だけど、それじゃ

“知識”は生きるジャマになることもある

若くしていろんなものを知っている人と話すことがたまにある。 たくさんの本を読み、博識で、聡明で、引き出しが多い。どんな話題にも話を合わせることができるし、いちいち詳しい。 でも一方で、ものすごく達観しているなぁ、と思う。 人生を何周もしてきたかのような目をして、きっと私が考えていることも、何を言おうとしているかもお見通しなんだろうなと思った。 「どうしてだろう?」という疑問から学びは始まる。疑問を解決するために本を読み、人に聞き、答えがなければ考える。 *

規律は足枷じゃなく、スニーカーだった

わたしたちは物心がつくころから、時間割に沿って生きてきた。 散歩の時間、ごはんの時間、お昼寝の時間、おえかきの時間。 幼いころは何の疑問も持たず、それに沿って生きてきたけれど、いつしかそれを窮屈に感じるようになっていく。 眠たい目をこすりながら朝会に出席して、びっしりと埋まったカレンダーに辟易して、定時をまだかまだかと待ち構える。 でも、フリーランスになってそれらから解き放たれてみると、規律のない世界はカオスだった。 急ぎの予定がなければ1日中寝られてしまう

不自由を作ることで、自由が生まれる

シンガポールに家族旅行に行ってきた。 好きに移動もできないし、ネットも繋がらないし、不自由だったけど、ある意味でものすごく自由を感じた。 今はもう、スマホを使うことが生活の一部になっていて、スマホが発明される前、一体何を触っていたのかが思い出せない。 いや、別に何も触らなくても良かったのかもしれない。 そうやって行動を制限された結果、目の前にあるものと向き合わなくてはいけなくなる。 言葉にすると別に特別なことじゃない。 綺麗な景色をぼんやり

“いつでもどこでも働ける”の罠

「ホントに片時もスマホを離さないねぇ」 実家に帰ったとき、母が言った。 仕事だもん、と半分ホントで半分ウソのことを言ったら、 「フリーランスって自由な時間がないんだねぇ」 と言われた。それはまさに、わたしが最近感じていたことでもあった。 アナログだった会社では、リモートで仕事をすることが物理的に不可能だったので、土日に連絡が来ることが限りなくゼロに近かった。 会社用携帯を土日に持ち歩くこともほとんどなかったし、何なら退社後に見ることもなかった。 でも、IT企業だ