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「世界に一つだけの花」になる方法

思えば、この世は競争ばかりだ。

よーいドンで始まるかけっこも、壁に貼り出される模試の点数も、ありとあらゆるものに順位がつけられる。

そういえば、小学生のころに通っていた塾では、漢字テストの点数をひとりひとり順番に当てられたら口頭で言わなければいけなかった。

「100」「100」「95」「100」「90」「95」

漢字が苦手だったわたしは、「ここで80って言うの、しんどいなぁ」と胃を痛めながら教室の隅でうずくまっていた。

どうせテストを回収すれば済む話なのに、どうしてわざわざ小5にこんなことさせるんだろう。

それは、たぶん競争心を煽るためだったに違いない。

そうやって、私たちは競い合いながら生きてきた。少しでも上に行くために。ライバルを蹴落としながら。

そして、それは大人になってもおわらない。

「マウンティング」という言葉があるように、持ち物やステータスなど、小さなことでも競り合うし、世の中はランキングに溢れている。

隣の芝生はいつだって青いし、知り合いのインスタを見てため息をつきがちだ。

でも、そうやって競うことをあたりまえに育ってきた人たちが今、自分を見失っている。

まわりと自分を比較して、少しでも有利なことをしようともがいた結果、描いていた未来とは別の場所にいたりする。

比較って、意味があるんだろうか?

金子みすゞさんの「わたしと小鳥と鈴と」のなかの「みんな違ってみんないい」という言葉や、SMAPの「世界に一つだけの花」のなかの「もともと特別なオンリーワン」という歌詞にあるように、気付いた人は、こうしてずっと訴えてきたはずなのだ。

誰かと比べて1番を目指すんじゃなくて、自分自身を認めることが大事なんだと。

でも、それをやすやすと受け入れるには、わたしたちは競争社会に染まりすぎた。

比べても何も始まらない、なんて頭のどこかではわかってる。それでもどうしても比べてしまう人に、そこから無理やり抜け出す手段があることを伝えたい。

「自己理解」だ。

「自己理解」という概念自体は前からあるけれど、ストレングスファインダーが一般的に認知されるようになったのはごく最近のことのように思う。

わたしも、「意識高い系のテストでしょ」なんて斜に構えてた。

一見それは、ビジネスに活かすためのテストに見える。あるいは、ビジネスパーソンとの共通言語を作る手段にも思える。

でも、本当はどちらでもない。

誰かと比べなくなるための手段なのだ。

自分のことがわかると、他人と比べることの無意味さを身を以て知ることになる。

なぜなら、自己理解をすることによって、もともと持っている自分の性格も得意なことも不得意なことも全部浮き彫りになるからだ。

そうなると、まったく違う存在と比べることの無意味さがわかってくる。

うまく表現できないけど、お茶と椅子を比べているような感じというか。

要するに、比べようのないものを比べているんだなぁ、というのがわかってくるのだ。

だから、競争社会に辟易し、自分を見失い、しんどくなってしまったら、まずは自分を知ろうとすること。

それが、もっとも楽なことだし、誰かと比べない自分になるための近道なのだ。

ビジネスのためでもキャリアのためでもない。自分のために、自分を知ってみよう。

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