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理解されたい。理解されたくない。

仕事も順調で、友達もいて、家族もいて、最近だとイラストや文章について褒められることが多くて、幸せなはずなのに夜中にふと、うーっと泣きたくなることがある。

多分、私は誰かに理解されたいんだと思う。

でも、無理難題を課すように人と話すとヘラッとしてしまうし、本質を突くようなことを言われてもきょとんととぼけるようにしてしまう。そんな、無意識に隠そうとする癖がある。

誰かに理解されるということは、本当の自分を晒すことだ。

そして、きっと私は多分その『本当の自分』が好きじゃないんだと思う。

だから、理解されたいと言いながら晒したくない。そんな矛盾行為をしている。

今でこそヘラッとしているが、私の創作の原体験は『孤独』だった。人とどう話したら良いのかわからなくて、絵を描き、文章を書き、歌を歌った。

何かを生み出すという行為は、誰かを満たすためにあるか、自分を満たすためにある。クリエイターと呼ばれる人たちは、そのどちらかだけど、後者はちょっぴり不幸だなぁと思う。

だって、誰かに話すよりも先に創作意欲が出てきてしまうし、直接的な表現を嫌うから結果的にわかりづらい曖昧なアウトプットにして解釈を受取手に委ねたがってしまう。

そして、結果的に誰にも理解されないままおわる。

このnoteみたいに、『なんかよくわからないけど苦悩しているんだろうなぁ』でおわる。

それでいい。それでいいんだけど、ちょっと寂しい。

多分、一生ちょっぴり満たされないまま、満たそうと何かを創りながら生きていくんだろうな。

そんな独り言でありました。

おしまい

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