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「意識高い系」って存在しないのでは?

書店に行くと、自己啓発本の棚の前にサラリーマンたちが群がっていて、いわゆる「意識高い」情報を貪り読んでいる。

「リーダー論」「お金の稼ぎ方」「ライフハック」「コミュニケーション術」「プレゼン力」

そして、こういった本を鞄のなかに忍ばせていると、それだけで「意識高いね」なんて言われてしまう。

でもわたしは、「意識高い人」「意識低い人」というカテゴリがあるというよりは、誰もに「意識高いフェーズ」と「意識低いフェーズ」があるのだと思っている。

たとえば新学期。何が起こるわけでもないけれど、なんとなく新しいことを始めようか、なんて思ってユーキャンの資料を取り寄せてみる。英会話を始めてみる。断捨離をしてみる。 早起きをしてみる。

しかし、最初は高かったモチベーションも、日々のさまざまな出来事に忙殺されて下がっていく。

そして、溜まりゆく回数券や散らかった部屋や、ピカピカの教材を前に自己肯定感がちょっと下がる。

でも、しばらく経つとそんな自分に嫌気がさして、「変わらなきゃ!」と新しいノートを買ってきて半年間の目標を立て始める。

「意識」ってそうやって上がったり下がったりするものなんじゃないか。

変わりたくて動いて、停滞して下がって、また一念発起して上がって。

実際、仲間内で「あの人意識高いよね」と噂されている先輩が、実は最近やる気がなくて漫画ばかり読んでいることをわたしは知っている。

そして、わたしも例に漏れない。ストイックに頑張っているときもあるし、メンタルが死んでカラオケばかりしているときもある。

でも、数週間に一度、「アカン!!」と起き上がってガチガチにスケジュールを組み始めたりする。

この、「意識の高さ」というのはどのタイミングで生まれるんだろう、と思ったら、やはり外部から刺激をたくさん受けたときだと思う。

実際にわたしが「アカン!!」と思うのはネット上の自己啓発記事に目を通したり、書店で新刊を読んだり、外部でレベルの高い人に出会ったりしたときだ。

意識が高いときのほうが目に見えて成長をするし、どんなに根はだらしなくても、意識が高いときの自分は嫌いじゃなかったりする。

ただ、ずーっと意識高くいることは難しいし、疲れてしまうことでもある。

だから、みんな意識の高い瞬間もあれば、低い瞬間もあって、「意識高い系」とか別に存在しないんじゃないか。

意識高くあるべきときに高くいられて、どうでもいいときにだらーっとできたらちょうど良いよね。

そんなわけで今、最高に意識低く毎日を過ごしているんだけど、まあ然るべきタイミングで上がると信じて、身を委ねております。

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