見出し画像

難しい言葉を使いたがる大人へ

ものすっごいアホなので、実は人の言っていることが半分くらいしかわかっていないときがある。(暴露)

最近は何だ、レバレッジ?みたいな言葉がよくわからなかった。たぶん、見返りとか余裕とか幅みたいな意味だと信じている。よくわからないけどレバレッジを効かせると良いことだけはわかった。

それはともかく、わたしがビジネス書を嫌う理由のひとつとして、謎の横文字が多いことが挙げられる。

何なら、サイバーに入社したときも同じことを思った。

「ピボット」とか「アジェンダ」とか横文字が飛び交うたびに、「転換」とか「予定」じゃダメなの?と何度首を傾げたかわからない。

わたしのなかで「ピボット」といえばクラシックバレエ用語で片足を軸にしてまわることだったし、「アジェンダ」はアメリカでは「スケジュール帳」という意味だし、ますます混乱した。

この、英語ともちょっと違う和製英語みたいなやつは何なんだ⁉︎ と。

しかし、言葉というのは不思議なもので、伝えるためにあるはずなのにみんな伝わらない言葉を使いたがる。

何故なら、ちょっとかっこいいからだ。

その気持ちはわからなくもない。わたしも中2のときにラノベで「俯瞰」という言葉を覚えたときは無駄に使いたがった。

でも、そんな言葉は響きは良いけれど、わかる人にしかわからない。

つまり、裏を返せば、やさしい言葉を使えば使うほど、より多くの人に届けられるようになるのだ。

わたしは普段から難しい言葉を極力使わないようにしている。

単純に語彙力がないというのも事実だが、難しい言葉を使って「すごい」と思われるよりも、とりあえず中身を読んでほしいからだ。

大前提、伝わらなくちゃ意味がない。

ターゲットを意図的に位の高い人たちや特定の業界に設定するなら良いけれど、もう、ものっすごい簡単な言葉で良いと思う。

そして、ものっすごい簡単な言葉を使うということは、ある意味で言葉に頼らないということでもある。

おそらく、難しい言葉というのは便利なのだと思う。

短い言葉のなかに、複雑な意味が詰まっていて、だから、簡単な言葉だけでそれを説明しようとするとき、「噛み砕く」という行為が加わる。

つまり、簡単な言葉だけで会話をする、というのは逆に思考することなのかもしれない。

難しい言葉で会話している人たちは、おそらくもう難しい言葉で会話している自覚もなくなってしまっているのだろう。

聞いている側も、「それ、何て意味ですか?」なんて話の腰を折るようなことをわざわざ聞いたりはしないしね。

でも、もしも広く伝えたいことがあるのなら、一段スイッと階段を降りて言葉を紡いでみてほしい。

難しい言葉は、思っている以上に届いていないよ。

サポートは牛乳ぷりん貯金しましゅ