わたしたちは明るい人にはなれないけれど
根が暗い。
何を言いだすんだという話だけど、根が暗い。
人の集まる華やかな場所は憧れはするけれど、勇気を出して行ってみてもドキドキして会話がすっ飛ぶ。家に帰ってひとり反省会をする。
会議中にすばらしいアイデアが思い浮かぶ。しかし、議論が白熱している。邪魔をしてはいけないと、口の中で言葉を転がす。そのうちに他の人に言われてしまう。ちょっと落ち込む。
仲良くなるために会食に足を運んでみる。知らない話題が出てくる。「おいしい〜」以外の語彙力を失い、黙々とごはんを食べる。スマホを見てみる。
なお、今もパーティに向かいながら緊張で「うへぇ」となっている。
よくこんな性格でガンガン発信しているな、と思う。
前に誰かが言っていたけど、もともとニコニコやYouTubeをはじめとするネット界隈にはいわゆるクラスで1番目立つ人はいなかったそうだ。
むしろ、目立たない人が粛々と発信をし、市民権を得てきた。
しかし、今は誰もが発信できる時代。
リア充だろうが何だろうが、リアルとネットの両方に居場所を作っている。
そして、正直根暗なわたしはリア充には勝てないと思っている。
ただ、ひとつ言えるのは、すべての人がリア充ではないということ。
それに、ポジティブな人だってネガティブな日もあるだろう。いくら根明な人でも、枕を濡らす夜はある。
そんなときに響くのは、根暗たちの言葉だ。
あのとき言えなかった思い。
人とうまく関われない歯痒さ。
自分は世界で一番不幸なんじゃないかと思ったあの絶望感。
今や黒歴史と化しているポエムノートに夢中になって筆を走らせた日々。
毎日心に湧き出てくるモヤモヤ。
絶対やりたくないのに引き受けてしまって自分の時間が侵食されたときのやるせなさ。
そんな、溜まりに溜まったダークマターを、わたしたちは誰かに直接ぶつけることができない代わりに、文字にして、あるいは作品にして投げることができる。
根暗は、根明にはなれない。
でも、根暗は根暗を救える。
あれっ! そう考えると、わたしたちにもできることがあるのでは?
そんな使命感すら湧き上がってはこないだろうか。
だいたいにして、「エモい」と消費される小説も音楽もアニメも往々にして暗い。
絶対根暗が書いているに違いない。
極端だけどドグラマグラよりブレイブストーリーを読んでいたほうがポジティブになれるだろう。
でも、ドグラマグラを読んで、どっぷり闇に浸りたい気持ちのときもある。闇のなかに、一筋の光があることを祈りながら読み進めてしまう。
根暗にしか、生めないものがある。
根暗にしか、救えない人がいる。
明るい人に憧れるのはもうやめよう。
根暗を活かす方向に振り切れば、根暗でも誰かに「ありがとう」と言ってもらえる日が来るかもしれない。
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