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世界を変えられるのは、自分を満たせる人だけ

著名な人に話を聞くと、自分のことではなく、みんな「世界のこと」を考えている。

お金が有り余る人は、それこそ世界のために募金をするし、寄付をする。

自然がなくなっては生きていけないから、未来の地球のために動く。

そして、わたしがひとりの一般人として思うのは、自分の死んだあとの未来まで考えられるなんて尋常じゃないな、ということ。

もちろん、地球の現状は大体は小学生のころに教わった。

年々地球温暖化が進んでいること、たくさんの動物が絶滅していること、砂漠が広がっていること。

でもそれは、ものすごく遠い場所のような、自分には遠いことのように思える。

地球はみんなのもので、地球がなくなったら、困るのもわかっている。

でも、その一方で、「自分が生きているあいだ、何とか持ってくれたらいい」なんて思っている人も多いんじゃないかと思う。

100年後の未来なんてわからないし、大切に守った自然に隕石が落ちて終了するかもしれない。

日常を覗いてみれば、私たちは自分の半径5メートルのことで手いっぱいだ。

好きな人に冷たくされて死にたいとか。仕事で病んで鬱になりそうとか。昨日読んだ漫画が面白かったとか。

それは、世界を守るために活動している人も何ら変わらないのだと思う。自然を守る術を考えながら、1番大切にしているのは自分の身の回りの人に違いないと思っている。

だから、大前提として、世界を守れる人は、「自分の半径5メートル」がちゃんと大切にできている人だと思うのだ。

その小さな範囲が満たされて、はじめて世界が広がっていく。

たとえば、超ヒマでヒマで仕方がなくて、そんなときに世界滅亡レベルの大きな事件が起きたら、「助けに行くか」と思うかもしれないけど、目の前で恋人が大変な目に遭っていたら、そりゃもう世界どころじゃないと思うのだ。

そして、わたしは余裕のない人のほうが今は圧倒的に多いんじゃないかと思ってる。

何に対して忙しいのかわからないけど、みんな忙しい。時間がない。「スキマ時間を有効活用しよう!」なんてライフハックが賞賛されてしまうほど時間がない。

こんなんで世界なんて救えるわけがない。

何なら、日本のことも考えられない。だから選挙に行かないんじゃないかとか。自分ごとにできるほど余裕がないからなんだと思う。

「暇」と言うと、なんだか怠惰な気がしてくるが、要するに余裕があって、余白がある人。

自分でいっぱいいっぱいじゃない人。まわりと自分を幸せで満たせている人。

そこに行くにはどうすればいいんだろうなぁ、と考えている。

別に世界をどうこうしたいなんて大義名分はないけど、せめてもうちょっと。

やわらかくなるために、さっさと自分のことを満たしてしまいたいな、と思う。

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