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私たちは何と戦っているんだろうね

知り合いの充実してる感出てるTwitterを見てムキャァーとなったり、意識高いマッチョな記事を読んでクソォーとなったり、なんで自分には肩書きがないんだろうと悩んだり、家だと作業捗らねぇとか言ってわざわざカフェに篭って眠い目をこすりながらブログ書いたりしていると

わたし、今何と戦ってるんだ?

という気持ちになってくる。

実家に帰るとマミーが朝起きて、家事をして、畑いじりをして、お昼寝をして、夕飯の支度をして、ドラマを見てゲハゲハ笑っているわけで、その姿を見ているとますます思う。

ドラマを見ながら原稿を書いていたら、「そんな仕事あるの?」と言われた。

いやあるんだよ。仕事もあるし、仕事じゃないけどnoteもブログも自分で書くと決めたから書きたいんだよ。ツイッターも見ていたいんだよ。

でも、それこそわたし含め、いらんことで悩んでるよなぁとは思う。

「行動」しなくても、「市場価値」を頑張って上げなくても、「話題のビジネス本」を読んでなくても、動画がつくれなくても、文章が書けなくても、ツイッターがうまくできなくても、フリーランスにならなくても、「何者」になれなくても別に死なないわけで。

小学生のころの友だちには「なんかよくわかんないけど頑張ってるんだねぇ」と言われたけど、彼女は肩書きや発信力なんてなくったって、じゅうぶん幸せだ。

それでいくと、何か無駄な戦争に片足をつっこんでいるような気持ちになってくる。

すごい人の話を聞きに行ったり、知らない世界に飛び込んでみたり、SNSの運用に悩んだりする私たちは、一体何と戦っていて、そしてこの戦争はいつおわるんだろうか。

必死なんだよ、必死なんだけど、たまになんか面白くなってしまう。

何をそんな生真面目な顔して文章書いているんだいって。

わざわざしんどい道を選んで、睡眠時間削ってるんだって。

戦ってる相手はよくわかんないけど、なんか究極的には「やれ」と言われたわけじゃないし、そんなアップダウンする必要もないし、気にしなくていいんじゃない、という話でした。

だって完全にプラスアルファだもん。

イージーに生きたいぞ。

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