遭遇

「コォーン、コォーン」

　心地よい、不思議な音。
　教会の鐘の音が聴こえる。本物は聞いたことないけど。
　霧雨のような細かい水滴が肌に纏わりつくような湿った感触に目が覚める。

「知らない天井だ」
　
　すみません。人生で言ってみたかったセリフのかなり上位に有ったので、ここぞとばかりに口にしてしまいました。
　ぶっちゃけ天井は無くてね、空が見えるんだ。手の届きそうな程低い雲が凄い速さで流れていく。雲の切れ間から朝陽がさしてとても眩しい。
　異世界飛ばして地べたにポイッて、16歳の女の子相手に扱い酷くない？　レディの扱い勉強しないとダメよ？
　そう、ここは紛うことなき異世界だわ。だって今、太陽の近くを音もなく高く飛んでるアレ、ドラゴンだよね……。人間食べないよね？　私、美味しくないよ？　ふぅ、少し現実逃避させて？
　
　
　漸く落ち着いてちょっと体を起こしてみたら、遠くのとても高い所に滝が見えるのだけど、滝壺が無いの！　エンジェルフォール！
　その奥にはアルプスみたいな高い山々。
　視界の範囲内にすべてがある。新緑の山、高みより落ちる滝、水面に映える高くて青い空、春色の絵の具を撒いたような湿原、鼻をくすぐる草と花の甘い香り。
　うそ！！
　ほんのり光る半透明のふわふわしたものが花に触れてくすぐったそう。あれって妖精よね？
　頭だけじゃない、瞳がついていかない。どこを見ればいいの？幸福感でパニックだよ！！宝石箱をひっくり返したみたい！！
　くしゅん！！目を見開いたら眩しくてくしゃみ出ちゃった。
　思わず近くに落ちていた愛用のスケッチブックとペンを取ってしまうほどに幻想的な光景が遠くまで広がってる。
　しばらく我も忘れて、ここが異世界だって事も、ドラゴン飛んでたのすらも忘れて必死にペンを動かした。
　どのくらいスケッチブックに向かっていたかな？　集中すると時間を忘れるのは悪い癖ねー。
　一息ついてスケッチブックから顔をあげると、あれだけいた妖精達の姿がない。
　
　ビチャ。
　
　本能で、後ろを振り向く。
　
　「ひっ」
　
　目が合った。

　オ……オークさん、こんにちは。

　目が合ってしまってはいけないお方に会っちゃった。

　10mくらい先にいた。

　背丈は優に私の倍以上あって、腕の太さだって私の胴回りくらいありそう。

　沼を潜って近づいてきたのね、体中泥に濡れた剛毛に覆われている。

　体重だってトン単位でありそうだけど、追いかけっこして勝てる気なんてこれっぽっちも湧いてこない。

　鋭い牙が２本、下顎から上に向かって生えてる。

　棍棒とか武器は持ってないけどそんなもの必要なさそうね。

　私を殺すだけならデコピンで事足りそう。

　私、多分あれに喰われて死ぬの。

　お母さんごめんなさい。お母さんごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

　喰われてすぐに死ねるならまだマシなのかな？　そんな考えができる内は、まだ余裕があるのかな……
　
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォ！！！！！！！！」
　
　咆哮。

　息が止まる。

　体が一瞬で硬直して、耳の奥には激痛が走る。
　
　
　平衡感覚が無くなり、世界が揺れる。
　
　
　目からは涙が溢れて、瞬きすらできない。けれども、目が離せない。
　
　
　魂が悲鳴を上げる。
　
　
　恐怖・絶望・死……。死がそこにある。
　
　
　本能で感じる。あちらが狩る方で、私は狩られる側。
　
　
　しかも一匹だけじゃない。少し離れたところからもう一匹、沼から這い上がってきた。
　
　
　ゆっくりと、確実に、獲物を逃がさないように、２足歩行でジリジリと包囲網を狭めてくる。
　
　
　逃げなきゃいけない。けど、指一本思うようには動かないよ。
　
　
　結局オークさん的に私まであと一歩というところに来るまで、何もできなかった……。
　
　
　「あ、あぁぁ、た、た、たす……」
　
　
　タスケテ……。

＠えくすこプロジェクト
挿絵はハンバーグ師匠の作画です。