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TOKYO2020 ボランティアジャーニーを終えて

本日2021年9月7日、私のTOKYO2020ボランティアジャーニーが終了いたしました。

東京大会招致決定の日

今でも覚えている。
2013年9月、東京招致が決まった瞬間
マレーシアで旅行博に参加していました。日本政府観光局(JNTO)をはじめ全国の観光協会の方、観光事業者の方々と決定に盛り上がったあの日

それから今日までに、東京シティガイドや、スポーツイベント検定、イベント業務管理士、通訳案内士の資格も取りました。

パラスポーツとの出会い

SMAPが日本財団パラリンピックサポートセンターの大使に選ばれた2015年以降、SMAPが応援しているからという安易な理由で一緒に応援を始めたパラスポーツ

2016年にSMAPが解散以降も大役を新しい地図の3人に任せていただき、我々NAKAMAも3人に続けと、いろいろなパラスポーツの競技会場に足を運び、パラリンピック東京大会を観客でいっぱいにするには、もっとたくさんの人にパラスポーツに興味を持ってもらうためには、まず我々がその楽しさをしり、楽しむ姿を見せていこう。そうやって活動を続けてきました。

いつの間にか、SMAP抜きで、純粋にパラスポーツの楽しさ、魅力にひかれる自分がいました。心の底から、パラスポーツを盛り上げたい、パラリンピックを満席の観客で楽しみたいと思うようになっていました。

ボランティアジャーニーの始まり

2019年からボランティアの集合研修も始まり、フィールドキャスト、シティキャストともに、オンラインも含めて何度も研修をして、その研修ごとに大会に向けて楽しさを膨らませてきました。
「今日この場所から皆さんのボランティアジャーニーが始まります」と、自分の住むこの街に世界中のトップアスリートが集まってくるのだとワクワクしたのを覚えています。

TOKYO2020延期決定

2020年3月。
東京オリパラの延期が決定。そこからの約一年、我々ボランティアは「1年延期になりました、今後の活動については追って連絡します」という知らせとともに、約1年何の便りもない中で「やるの?やらないの?」と不安な日々を過ごしました。
コロナで人のいなくなった東京の街には「TOKYO2020」と書かれたフラッグや装飾が切なくはためいてました。

その途中には、
「オリンピックなんて金の無駄だ、意味ない」と言われ
「オリンピックなんて中止だろ」と笑われたり
「ボランティアなんて辞退しろ!」と言われたり
正直、開催直前まで私たちに届くのはネガティブな言葉ばかりでした。
何とか無観客という形で開催が決定しても、
世の中は、ネガティブな声の方が大きく聞こえます。
オリパラを応援してくれている人たちの声なんて一切届きませんでした。

このユニフォームを着て、街に出て、電車に乗るのが怖かった。
実際にユニフォームを着て町で心無いことを言われたキャスト仲間もいました。

そんな中でも、始まってしまえば応援の声が大きくなってくれるはずだと信じてもいました。

活動開始

旧オークラホテルのUACでユニフォームを受け取った6/3
すでにそこにはボランティアの方々が働いていて、同じ不安を抱えながらも同じ目的のために動いている人たちがいました。

6/28
はじめて選手村に足を踏み入れた時の感情は忘れられません。海外からの観光客が消えて久しい東京のこの場所に、この状況の中で世界中から選手たちが集まってくるんだと。胸が熱くなりました。

活動を終えて

あの日から約2か月、長かったようなあっという間だったような・・・
正直終わった今でも悔しいです。

東京招致決定を一緒に喜んだ観光事業者さんたちは、今どうしているのだろうかと
海外からのお客さんがあふれる日本が見たかった。
お客さんいっぱいのパラスポーツ競技会場が見たかった。
はるばる地球の裏側から来た選手たちを町に案内したかった。

一緒にボランティアジャーニーを始めたはずの仲間。コロナの懸念から泣く泣く辞退された人たちもたくさんいます。
無観客なったことでポジションがなくなり、活動したくても活動できないまま終わってしまった仲間たちもいます。

悔しい気持ちが大きい東京大会でしたが
いろいろなところから頂ける「ありがとう」「お疲れ様」その言葉がどれだけうれしく救いだったことか。

この状況下で開催できたことは誇りだし、ボランティアの我々でさえ心無い言葉に苦しんできたのに、きっと組織委員会の方々や運営に携わってきた方々はもっとつらい思いをされてきたと思います。その中でこうして何とかオリパラ完走できる環境を整えてくれたこと。もう感謝してもしきれないです。

最初から完璧にできるイベントなんてありません。何度もやりながら軌道修正していくのがイベントです。
ただ、TOKYO2020は一回ぽっきり、問題なんていろいろ起こって当然です。
思うことはいろいろあったけど、
担当選手団が
「ありがとう、君がアシスタントとしていてくれてよかった。」その言葉だけで、私の悩みも不安もすべて吹き飛びました。


日本に来てくれてありがとう
ARIGATO TO ALL WHO HAD BEEN INVOLVED IN TOKYO2020!


そして今回のこの大きな悔しさは、
今後、地方創生、観光業の発展、そしてパラスポーツの振興へのパワーへと変換していきますっ!

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