続 白妙の衣舞ひたり

== 壱 ==

 内舎人のマヒトは、英雄だった亡き父の跡を継いで帝の身辺警護の任に就いていた。その夜は白い月が高く、内裏の大屋根に鋭く射し込む光の陰影が、まるで飛翔する蒼鷹の翼の紋様を思わせた。
 「嗚呼、蒼鷹のオオグロよ。矢形の尾を持ち、獲物を見据える眼は麗しく輝いていた。二上山を越えて、雲に隠れて飛び去ってしまったオオグロよ」
 マヒトの一族は上古より帝への忠誠を誓い、代々伝わる武力と言霊を惜しみなく捧げて勲功を挙げてきた。ときには帝に随行して、山野河海へ狩に出ることもあった。とりわけ鷹狩りは王権による支配を示威する儀礼としての意味合いが濃く、選ばれし者のみに許される象徴的な特権だった。その鷹を、マヒトは父から譲り受け大切に飼育していた。端正な、美しい蒼鷹だった。マヒトはこれをオオグロと名づけ、たいそう自慢にしていたのだが、先だっての狩の折、高く飛び立ったまま戻らなくなっていた。そのオオグロが、今宵は満月の光を纏って御所に舞い降りたかのように見えたのだ。
 マヒトは武門の家系に生まれたものの、鋭敏な感知力は生来の道義心と相まって、物事や言の葉に忍び寄る不穏な気配やその動向について、魂を荒ぶらせることを好まなかった。むしろ剣を置き間合いを図る道をこそ理想に抱いていたのだが、一族の中にはそんなマヒトの高潔な志を歯痒く思う者もあって、武門の長らしく猛々しくあれと煽り立てられもしていた。けれど若き長の澄んだ眼差しは深く、礼節に満ちた語り口は人に矛を収めさせるに充分な力を宿していた。
 もはやこの国を統べるのは武力ではない。真に世の乱れを正すのは言霊なのだ。先の大帝がこの国の騒乱を制して都を拓いた時、剣と弓を携え先陣を切ったのはマヒトの曽祖父だった。その偉大なる父祖は、帝の武勇を克明な軍記に認めて遺した。その記録こそが建国の神話となって語り継がれていることを、マヒトは一族の誰よりも誇りに感じていた。

 「神代より 言い伝(ツ)て来(ク)らく
  そらみつ 大和の国は
  皇神(スメカミ)の 厳(イツク)しき国 言霊の 幸はふ国と
  語り継ぎ 言ひ継がひけり」

 さて「コトダマ」とは、言の葉として発せられた「言」及びそれによって為された「事」とを両両貫く霊力のことを表象している。我がそらみつ大和の国は、古来この言霊の力こそが武力より優越し、とりわけ王の「言」は「ミコト」と呼ばれ、王によって発せられた「ミコトノリ」は「ミコトモチ」によって伝達され王権が実効されてきた。つまり、王のミコトはミコトモチによって複製され増殖し、地方の部族を制圧して行ったのだ。
 そしてこの国に先住する八百万の神々もまた、自身の名をミコトモチに明かすことと引き換えに、土地土地に封ぜられて延命してきたのだった。いわば「名告り」とは国譲りの証なのだ。言霊こそが、天の秩序と大地の力とを仲立ちし結びあわせているのだった。
 そんな大いなる天道によって織り成された世界が、今や人道による律令の下に解体され再編集されようとしていることを、マヒトは本能的に察知していた。それは、神から人への権力移譲なのだ。
 敷島の大和に布かれた律令は、一族の会合、宮中での帯刀を禁じ、所有する馬や武器についても制限することを求めていた。かつて大帝の時代に天と地を結ぶ大役を担っていた誇り高き血をもってしても、若きマヒトには宮廷での狡猾な政事を処して行くには虚しくも非力だった。

  「ちはやぶる 神を言向(コトム)け
  服従(マツロ)はぬ 人をも和(ヤワ)し 掃き清め 仕へ奉(マツ)りて
  祖(オヤ)の職(ツカサ)と 言立てて 授けたまへる
  子孫(ウミノコ)の いや継ぎ継ぎに
  見る人の 語り次てて 聞く人の 鑑(カガミ)にせむを
  惜(アタラ)しき 清きその名ぞ おぼろかに 心思ひて
  空言(ムナコト)も 祖の名絶つな ますらをの伴」

 たとえ我が氏が戦士として去勢されようとも、言の葉の力で粛として屹立して行くのだ。マヒトの信念は八百の火よりも熱く、放たれた矢の如き志で一族を鼓舞しようとしていた。

== 弐 ==

 夜半過ぎに仮寝から覚めると、マヒトは夜陰の底に何やら不穏な瘴気を感じた。そろそろと立ち上がり裏鬼門の方角へ傾き始めた月をそぞろ見遣ると、遥か葛城の山の辺り、紫だった煙が天へと立ち上っている。
 「や。あれは神火ぞ」
 此のところ都の四方では訝しい火が頻発しており、はじめは天の災いと口にしていた者も、今や何者かの作為を疑うようになっていた。
 マヒトは白み始めた南天に目を凝らした。思えばオオグロが居なくなってからというもの、こんなふうに空を眺めては愛しき者が再び飛来する姿を探すのが常になっている。風のない空にもやもやと立ち上る煙は、勢いを増す様子は見られなかったものの、やがて鳥の声が鳴って曙光が射し始める頃には、際やかな濃淡を描きながら天の雲に溶け込んで行った。
 
 「あしひきの 八つ尾の雉(キザシ) 鳴き響(トヨ)む
  朝明(アサケ)の霞 見れば悲しも」

 こんな時でも歌を詠み風景を記譜しようとする自分の性分に、マヒトは言霊の氏族として逃れられない使命のような意識を感じていた。人の世の凡とした営みを言の葉に乗せて語り継ぐこと、更にはそれを書に認めて遺すこと。その儚くも粘り強い所業を貫く覚悟は、既に我が胸に充溢している。
 ふとその時、山の端で何かがひらと揺れるのをマヒトは見逃さなかった。さてはオオグロだろうか。さしもこの距離では遠目が効かないが、よろよろと衣が舞うように小さな影が朝焼けの空を東へと流れて行く。あのような飛び方が鷹ではないことは明らかだったが、マヒトは矢も盾もたまらず馬を駆った。都の大路を南へ下り朱雀門をくぐる頃には、もう左の頬に温もりを感じるほどに日は昇り、清とした天空の彼方に白白と浮遊する衣が見てとれる。
 「空を舞う衣とな」
 先回りするように馬を巽へ走らせると、衣はよろよろと三輪山の向こうへ堕ちていった。 

 「奥森の 荒き草ぐさ 踏み敷いて
  光の道を 示し告げらね」

 一心不乱に草をかき分け山へ入ると、マヒトが目にしたのは傷ついた白妙の娘だった。足を射抜かれ、立つことはおろか口を開くこともできず頑なに怯えるばかりの娘は、ただならぬ経緯を全身で物語っていた。マヒトは一切を問うことをせず、かつてオオグロにそうしたように娘の背をそっと擦った。
 すると娘は、ほぉと大きく息を吐くや声を殺してわやと泣きじゃくった。マヒトは娘を館へ連れ帰り、離れに匿って介抱することにした。

== 参 ==

 月が欠け、再び満ちるまで、白妙の娘は伏せったままだった。マヒトは何をしてやることも出来なかったが、娘には日々マヒトが朗誦する歌歌が耳に届いていた。娘は文字を読むことが出来なかったが、母屋から聞こえるマヒトの歌はまるで満天の夜空に散る大小の星々の如く心にさざめき渡った。
 それはマヒトの亡き父が古今の歌を収集して採録した未完成の歌集の一部で、帝や殿上人の歌だけでなく、東国の名もなき民や防人の者の歌まで、この世の全て萬の言の葉を尽くそうとするものだった。

 「家告らせ 名告らさね
  そらみつ 大和の国は
  おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそ居れ
  我にこそは 告らめ 家をも名をも」

 更に月が欠け、また再び満ちる頃、ようやく娘は生気を取り戻すと纏っていた白妙の衣をほぐし糸を紡ぎ始めた。娘は未だ何も語らず、マヒトも何も問わず穏やかにそれを見守った。空から来た自分を人は畏れたり妬んだりするというのに。
 「これを使ってください」という娘の一言が、二人に交わされた最初の言葉だった。白妙の娘は、傷ついた心と体を癒された恩に報いようと、マヒトのために歌集を綴じる糸を紡いだのだった。
 母は舞姫だったこと。気がついたら翔んでいたこと。どこから来てどこへ向かっているのかを知らないこと。空は人に追いつかれないから安全だけれど、そこは決して故郷ではないのだということ。娘は問わず語りにぽつりぽつりと身空を語った。
 二人は何れも、天と地を橋渡す者同士なのだとマヒトは悟った。だのに人の世は、天を射落とし、地に天を捕縛しようと躍起になってばかりなのだ。国は巨大な舟を用意して、圧倒的な繁栄と虚栄に満ちた安寧を約束するが、それは一方で生命を隔離し自由を去勢し、気がつけば世界は右も左も境界線ばかりに囲い込まれようとしている。
 ならばと剣を持てば囲いを破れると言うのか。言の葉を運べば結び合えると言うのか。遥か天空を翔べば超越できると言うのか。

 「あかねさす 紫野行き 標野(シメノ)行き
  野森は見ずや 君が袖振る」

 「恋ひ恋ひて
  逢へる時だに うるはしき 言尽くしてよ
  長くと思はば」

 白妙の娘は、マヒトの歌に合わせて舞った。見たこともない至極の舞だった。けれど娘は、この舞のことを決して他の者に語らぬようにと願うのだった。

== 四 ==

 その頃、都の大納言クラモチは苛立っていた。策を弄して仇敵葛城の老翁エダシを追い堕としたものの、懐刀の呪禁師カギヤは返り討ちにされ、白妙一族の残党は空へ逃げられたきり行方知れずのままだったのだ。
 されど権謀術数に長けた大納言にとって、エダシ亡き後の宮中での権力闘争などもはや取るに足らない雑事だった。最も厄介な抵抗勢力の長だった者は図らずも病で倒れ、その後継はまだまだ若く、しかもか細く、とても武勇を誇る氏族の血を引く戦士の体には程遠く、むしろ優美な歌人の風情を醸していた。
 このマヒトに狙いを定めた大納言クラモチの嗅覚や恐るべし。マヒトを懐柔し、白妙を誘き寄せるに一石二鳥の計を案じた。
 「マヒトよ。来たる月の宵に帝の御前で歌会を催す。そこで其方は舞姫の歌を献じられよ。歌に相応しき舞姫を招かれれば尚良かろう。事の次第によっては、其方も亡き父君の如き任官を賜われようぞ」
 マヒトには抗う術がなかった。思い悩むマヒトの重い口からようやく事情を聞き出した白妙の娘は、大納言の奸計を察しながらも、面を着けて舞うことを提案した。但し、二度と此の館へ帰ることは叶いますまいが、と。

 「我がやどの い笹群竹 吹く風の
  音のかそけき この夕かも」

 月が欠け、月が満ち、マヒトは頭巾を被った舞姫を伴って御所へ上がった。大納言による贅を尽くした夜宴は麗しく、帝は終始上機嫌で夜は更けていった。
 歌会もたけなわを過ぎた頃、どこからか嫋やかな風が流れて、面を着けた白妙の舞姫が静々と御前へと召し出された。多くの舞姫が殿上ではたちまちに障りを申してはしたなげに歩み入るところを、白妙の娘の凛とした立ち振舞いはそれだけで場を清らに鎮め、軒から射す月明かりは一層の光彩を降り注ぐように見えた。

 「天(アメ)の海に 雲の波立ち
  月の舟
  星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」

 「月立ちて
  ただ三日月の 眉根掻き
  日長(ケナガ)く恋ひし 君に逢へるかも」

 マヒトが頃合いをはかって徐に朗誦を始めると、舞と歌とは千万無量に響き合い、その夜の全てを深く遠く結びあげるようだった。
 大納言は娘を捕らえるべく手下どもを配置して構えていたのだが、二人の共演によって増幅された霊力は荒御魂をも鎮め仰せ、誰一人身動きはおろか声を発することさえ封じられてしまった。
 荒ぶる者も尊き者も皆、物に酔いたる心地のまま放り置かれている間に、白妙の舞姫はひらと舞い上がり、月夜の果てへと飛び去って行った。
 以上の出来事は、以降誰に語られることもなく、ただマヒトの歌筆に八百万の言の葉として記譜されるのみだった。

 

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